55. 紅の暗躍
リグレットとリーゼロッテが城外へと向かい、とうとうやってきたしまったのだとエルメルアは内心で思う。
もう『予知』は使えない、少しでも自身の余力を残しておきたいから。
だから申し訳なさを感じていた。自分の身ばかりで、リグレット達の身を案じれない事に。もっと言えば自分が恩恵を使いこなせれば、その代償に耐えられれば……そんな悔しさだってある。
「エルっちー? どしたの、そんなこわーい顔してさ」
突如背後からかけられた声にびくりと跳ね上がる心臓、しかし体は動こうとしない。
当然頭に過ぎったのは死の一文字。油断していた自分が悪いが、足音も気配も何も感じられなかったのだから。
「そんな時はね、とっておきのぎゅー!」
そうして背中に伝わったのは、鋭利な物が突き刺さるような痛みではなく、包み込むようなほんのりとした温もり。
「えへへ、エルっちはあったかいね」
その感触を楽しんでいるかのようなドロテアの愛くるしい仕草に振り回されるエルメルアを、とても申し訳なさそうにしているシャリー。
エルメルアもこの数回のやり取りで何となく察してしまった。多分きっと、このドロテアという少女はリーゼロッテの自由奔放さを勝るだろうと。
「お肌はすべすべだし、きれーだし。ずっとぎゅーってしてたくなるね」
「そ、そう……」
くるりとドロテアにされるがままに身体の向きを回され、今度は正面から抱きついてくる。
「あとは、赤色がきれーなら、間違いなくドロテアのお気に入りになれるね!」
「赤……色、ですか?」
赤色――その単語に僅かな恐怖を感じた。目の前の少女が発したその単語が何を意味するのか、疑問に思うのと同時に、本能的に拒絶しているような……。
しかし気づけば、既にその疑問をぶつけてしまっていたのだ。
「んぇ? 知らないの、赤色。すっごく鮮やかであったかくて……ほんとにすっごく綺麗でね。それを見るために『D.C.』にいるんだもん」
「赤色」について語るドロテアは、まるで恋をしているかのような可愛らしい微笑を浮かべている。
そして確信した。――彼女の言う「赤色」とは、間違いなく紅葉や花といった平和的なものではない。花は花でも争いが生み出す血の華の事なのだと。
それをドロテアは笑みを浮かべて話すのだ。その無邪気さが、余計に彼女の狂気さを掻き立てている。
「だからさぁー? エルっちの赤色――」
「……っ」
にこりと微笑んで、エルメルアから離れるドロテア。
その言葉の続きを聞くまでもない、そう思ったエルメルアは『予知』を発動する。
視るのは数秒先の行動。それならば予知後の待つ時間も数秒でいい。断片的な予知によって、常に先手を取れる――リグレットのような実戦経験のある者に劣ってしまうエルメルアの身体能力を補う術。
ドロテアが見る先はエルメルアではなく、その後ろ。
「――あたしよりも先に見ようとしないでね?」
迅速な構えから響き渡った2発の衝撃音。放たれた鉄玉を弾いたのは、鎧に身を包んだ者。
「……邪魔をするな、ドロテア」
くぐもった声で警告をして、ナイフのような小刀を手に、構えを取る鎧を纏う者。
「邪魔? なんの? あたしはただ――エルっちのきれーな赤色を先取りされたくないだけだけど」
「ふん……。ならば何故、こちらにそれを向けるのか、説明してもらいたいな」
突如として始まった同士討ちに戸惑うエルメルアを、いつでも狙える位置にいる鎧から守るように立つドロテア。その手には黒いピストルが握られ、その銃口は仲間であるはずの者に向けられている。
「隠れてコソコソは、ドロテアちゃんの趣味じゃないもんね」
「ふん……。くだらん」
そう切り捨てるような言葉と共に動いた鎧、それに合わせてドロテアも速射を披露するが……やはり全て弾かれてしまう。
「やーっぱ、ソリスタとは馬が合わなーい!」
駄々をこねるような声を出すドロテアは鮮やかな手捌きで弾倉を入れ替え、次なる射撃を……ソリスタと呼ばれた鎧ではなく、その背後に向けて放つ。
「…………」
明らかに命中しないというのに、それすらも弾くソリスタにドロテアは「ははーん」と声を出して左目を閉じる。
「まぁー、そんな気はしてたけどさぁ。……クリエもそっち側なら、鎧で銃弾も防げるよね」
次にドロテアが左目を開く時、その目の周りに現れる照準のような何か。
「なら、こっちだって遠慮なく……ねっ!」
すると一転してドロテアは、狙いを定めず……反動を受け止める最低限の構えだけをして乱射。落ちた弾倉すらも蹴飛ばして、あらゆるものを「弾」として放つ。
投げやりになった訳ではない、彼女の放った弾はどれも異様な軌道を描いて、狙った対象へと飛んでいっているのだ。
無数の軌道では、今まで弾く余裕のあったソリスタも防ぐという守りの姿勢に入るしかない。
絶え間なく振る鉄の雨は身動きすら許さず、ドロテアの一方的な攻めは永遠に続くかのようにも思えた。
「……そんなにも血が見たいなら――自分のでも見ていろッ!!」
「やっ……ば」
しかしそんな雨の中でも構わずソリスタはドロテアの眼前へと躍り出る……それも鎧を脱ぎ捨てた姿で。
突然の展開にドロテアは咄嗟に迎撃するが、構えも狙いも安定しない射撃は通じるはずもない。――むしろ無理な姿勢で反動を受け止めてしまう。
その隙をソリスタが逃すはずもなく、容赦なくその剣を振るう……。
「反動で命拾いしたな、ドロテア」
「鎧、脱ぐとかさぁ……。あたしもシャリーちゃんも見たことないってのに……」
「ふん……。勝つためには手段も選ばん」
「あっそ」
反動によって致命傷は避けたが、利き腕である左腕に傷を負ったドロテアに勝ち目などもうない。
勝ちを確信したソリスタは、ドロテアに最後の一太刀を入れるべく、その剣を天へと掲げ――。
「しばらく眠っていろ。そしてその巫山戯た頭を冷やしてこい」
――皮肉のような一言と共に、振り下ろす。
しかしその剣は、ドロテアを引き裂く事はなかった。
「……狙いは私、ですよね?」
それを止めたのは他でもないエルメルア。その右目は美しい翠に光り輝いている。
無詠唱の『集い護る星花の光』。消費した花弁はたった1枚。
「……『万花せし星の光』ッ!!」
そしてエルメルアの声に呼応するように、残った9枚の花弁がソリスタへと波状攻撃をしかける。
ただただ距離を取らせるためだけの目的だが、エルメルアの魔力から繰り出されるそれは充分すぎる程の威力がある。
「エルっち、やるぅ」
「ドロテアちゃん、話すと傷が痛むから。じっとしててね。……シャリーさん、よろしくお願いします」
「……は、はい!」
出血しているというのに、元気さは変わらないドロテアをシャリーに任せ、エルメルアは眼前の敵を睨む。
あちらも、まさかこちらが戦う選択をすると思っていなかったのだろう。……それとも、王女だから戦えないと思われていたか。
だから、まだ動く気配はない。息を整えるのも、恩恵の休息時間にもたっぷりと余裕を持てる。
そして、初めて……見守る側ではなく、戦う側として。
白の少女は、戦場に立つ――。




