50. 得たものと失ったもの
「――ロミッ!」
ティアと別れ、リグレットが辿り着いた先。
そこには上空から見た魔獣の姿はなく、灰燼と化した何かと、その付近に倒れているロミとジュリエッタしかいなかった。
付近の木には炎が僅かに残り、先程まで戦いは繰り広げられていたものと推測できる。
だがそんな事よりも目の前の2人が生きているか……それだけが重要だった。
「…………リグレット、かい?」
「ああ……。俺だ」
「そうか。……うん、ちゃんと痛い」
リグレットの必死の呼びかけに目を覚ましたロミは、夢でも見ているかのように、左手で頬をつねる。
たははと弱弱しく笑うロミは仰向けで、その上にジュリエッタが寝息を静かに立てて眠っている。
「夢じゃない。……ほら手を出せ、ブランに帰ろう」
そんなロミの仕草にリグレットは呆れたような、それでも平常運転のロミを見て安堵したような表情をして、右手を差し出す。
しかしその手が握り返されることはない。
「……何してる、ほら手を――」
何も言わず、ただじっと動かないロミを見て、リグレットは言葉を失う。
身体を左手で支えて、ようやく起こせるほどの重傷を負っているロミ。だからリグレットの手を握れるのは右手のみなのだが、ロミの右手は……そもそも右腕自体が存在していなかったのだ。
破れた隊服から見えた、黒く焦げた皮膚……それを見てリグレットは再度ロミを見る。
「……使ったのか」
「…………」
そう問いかければ、ロミは罰が悪そうにそっぽを向く。細目で目の奥が見えなくとも、感情が揺れたのは明らかだった。
「……いや、いい。魔獣を相手に右腕だけの犠牲で済んだんだ、代償魔術を選択したのは正しい事だったと思う」
「……悪いね」
ロミにとって自分の身を犠牲にしてまで守りたいものがあったのだろう。そうでなければ、代償魔術を使用する……という決断には至らない。そんな決断を――ロミの覚悟を踏みにじるような真似はしない。
「だが、その腕ではもう――」
「騎士団からは抜けない」
「…………」
「白花騎士第七小隊の誓い。……忘れた訳じゃあ、ないだろ?」
リグレットの言葉を遮ったロミが口にした誓い。それを出されてはリグレットも何も言えない。
「何を失っても前に進み続ける」――それが誓い。前に進む事を止めれば、災厄によって失った他の騎士達の想いも止めてしまうことになる。
他の騎士と比べてはいけないのかもしれないが、ロミが失ったのは腕であり命ではない。だから、止まる選択肢というのはロミからすれば許せないのだ。それはきっと、リグレットが同じ立場になってもそう言うだろう。だから……リグレットは何も言えなかった。
「それに、左だけで戦えない訳じゃない。間に合わせるさ、今からでも」
口を噤んだリグレットを励ますかのように、話題を明るくしたロミ。そして今度は左手を差し出す。
それを見たリグレットはジュリエッタをそっと移動させて、ぐいっとロミを引っ張り立ち上がらせる。
「……頼もしいな。だが今度は、無理するなよ」
「ああ。わかってる」
立ち上がって砂埃を払う仕草を見せるロミからリグレットは視線をジュリエッタへと変え、少し考えるように目を細める。
「ロミ、ジュリエッタはどうだった」
「それならブランへの脅威にはならない。彼女は僕らと戦う気はないからね。それよりも……」
「……それよりも?」
「幾分か不明瞭な所がある。……彼女がいなければ僕はきっと、今頃あの化け物と相打ちさ」
「ジュリエッタがお前に何か施したのか?」
「ああ……。だがそれも本人は自覚がない。理由を聞いてもわからないだろう。わかっていたらもっと前から戦闘で使用しているはずさ」
ロミは失った右腕を見て、そう言った。ジュリエッタがいなければ彼の代償魔術は、右腕だけに留まらず、命全てを喰らい尽くしただろう。
しかし肝心のジュリエッタからは何の痕跡もなかった。普通魔術を行使すれば魔力が僅かに残っていたりするというのに、そういったものがまるでないのだ。
この感覚はエルメルアが恩恵を行使した時と似たものを感じるが、それも違うだろう。なぜなら恩恵には代償が必要である。しかし以前ジュリエッタと戦った際には、それを感じる事はなかった。
エルメルアの右眼のように、身体の一部が全く機能しない代償となれば、力を使いこなした者でなければ戦うことすら不可能だろう。
それに恩恵の力は強力であり、ロミも言ったように使い方を知っていれば、もっと簡単にブランを滅ぼす事ができる。
「…………」
「それで、リグレット。……彼女を、どうするんだい」
これから先、彼女の持つ「不明な力」がブランの脅威にならない可能性はゼロではない。
リグレットの反応を待つロミも普段の飄々さを無くして、その決断をただ待っていた。
「その判断――お前に任せる、ロミ」
「……それは、どういう意味だい?」
「彼女の力を目の当たりにしたのは、他でもないお前だ。彼女の目が覚めてから、この事について聞いてくれ。彼女もお前なら、話してくれるだろうから」
「…………」
「それに元は騎士団に入団予定だった子だ。……できるならこの戦争には巻き込ませたくないし、脅威になったとしても排除するのは心が痛むからな」
「……ありがとう」
そのありがとうに、どんな意味が含まれていたのか……それはロミにしかわからない。
だが実際、ジュリエッタの力は未知数なのだ。まだ脅威と決まっていない。それにジュリエッタがこちら側になってくれれば、その力を活用することもできるのだ、判断を急ぐ必要もないだろう。
リグレットはジュリエッタをそっと持ち上げ、ブランの方へと歩く。
「帰ろう、皆がブランで待ってる」
「……ああ」
魔獣の乱入によって混乱した戦場は、ようやく落ち着きを見せ、残ったのは酷い戦いの後だけ。
しかし得たものも大きい。災厄の混乱に乗じて、パレンティア大陸に危害を加えようとする何者かが裏に存在するとわかったのだから。
だが1つリグレットの心には、僅かな疑問が生じていた。災厄の裏に手を引くのがノワールでないのならば、この戦争を続ける意味はあるのか――と。