4. 白の姫と予感
「疲れた……」
即位式が終わり、自室に戻る最中。エルメルアは誰も聞いていないだろうと愚痴をこぼし、軽く伸びをする。
即位式は1時間程度だが、何よりもずっと見られているため緊張するし、疲労を顔に出せないし、何よりもその場から動くことが少ないので身体中が凝り固まっている。
もう一度伸びをして、エルメルアは久しぶりに王宮の外に出歩こうかな、と考える。滅多に王宮の外には行かないが、たまには散歩というのもいいだろう。それに国がどれほど復興しているのかも気になる。
「リグレットが暇だったら……痛っ!」
1人で行くのも世話役に心配をかけてしまうので、リグレットと行こうと考えていた時だった。急に右目が痛みに襲われ、思わず手で押さえる。脈打つようにずきずきと痛み、呼吸が乱れていく。
「また、ですか……」
右目が突然痛くなることは、これが初めてではない。
2年前辺りから痛みだし、2ヶ月に1回、1ヶ月、2週間……とだんだんと間隔が短くなっていき、最近は3日に1度はこの痛みがやってくるようになっていた。
それにしても今日は長い。いつもは深呼吸を数回すればいつの間にか痛みは和らいでいたのだが、今日は更に悪化しているような気がする。
こうなるのがわかっていたなら世話役に付いてきてもらうべきだった、とエルメルアは後悔する。世話役からは付いていくと言われたのだが、どうせ自室までであるし、即位式の片付けも残っているのでそちらを優先してもらったのだ。
「あともう少し……もう少しだから……」
重い足取りが、少しでも早くなるように自分に言い聞かせる。自室に戻れば、ベッドで休むことができる。寝て起きれば、この痛みもきっと治まっている。きっとそうだ。
この右目の痛みに原因があれば、もっと簡単に自分を落ち着かせることはできるだろう。だが、どこの医者に聞いても原因はわからなかった。他にも原因として思い当たる節はあるが、それにしては聞いていたことと違う。
そんな事を考えていた時、エルメルアの中で異変が起こる。感覚が無くなってきたのか、痛みを感じない。いや、痛みはあるのかもしれない。でもそれを超えるほどの不快感が全身を駆け巡り、足が止まる。確信はないが、嫌な予感がする。
右目の視界が消えかけの灯りの様に薄暗くなっていき、そしてやがて何も見えなくなる。
そして水の上に捨てた破いた紙のように、断片的なものが現れては消えていく。
それらに映るのは黒い鎧を纏う者が戦っている様子。
そしてその足元には白の装飾が落ちている。
この状況で予想できること…………。
「ブラン……に、襲……撃? 黒い……人?」
自分でも無意識にそう呟く。ただ漠然とそう感じる。そんな予感がする。理由はわからないが。
そんな予感を感じて、しばらくして右目に電気が流れたような激しい痛みが一瞬走り、顔を歪ませる。
声にも出せないほどの痛みだったが、それを境に右目の痛みは治まった。残ったのは先程の予感による胸のざわつきだけだ。
「……これが、お父様の言っていた私に宿った力、でしょうか。」
痛みが治まったため、エルメルアは再び自室へと歩きながら考える。右目の痛みの原因として思い当たっていたこと。父が言っていたエルメルアに宿っているとされるもの。
「謎の力……『恩恵』」
そんな力などある訳ないだろうと思ってはいたが、一応書庫にいって探したことがあり、実際に恩恵について書かれた本も見つけたことがある。
それには確かこう書いてあった。特定の人物のみが持つとされる不可思議な力であり、神に与えられし恩恵だと、ソフィーという人物が提唱したため『恩恵』と呼ばれるようになったらしい。他にも恩恵を宿す人間のことを『保有者』と呼んだりなど様々な事が書いてあった。
特に重要なのが、恩恵は世界の運命に干渉する事ができる力であり、その干渉力によって保有者への代償が変わる……という事である。
恩恵の中でも強さがあり、強ければ負担が大きいという解釈でいいだろう。そうすれば、先程の未来を先読みしたような予感が恩恵であり、右目の痛みがその代償という風に紐付けできる。
ただ、代償がこう何度も起こるというような事は書いてなかったはずなので、もしかするとエルメルアの恩恵は、まだ成長途中なのかもしれない。それに自分が、本の内容をあまり覚えていない可能性だってある。
自室の前に辿り着いて、近いうちにあの本を読み返そう、とエルメルアは決めるのだった。
自室に入っても、やはり胸のざわつきは続いている。
しとしとと降り出した雨が、暗い室内の窓を叩き始める。
先程までは自分に宿った力と右目のことで気は紛れていたが、自分の中で答えを出した以上それについて考えることもない。だからこそ余計に不安が募る。
きっと即位式で疲れているだけだと、ベッドに潜って目を閉じてみるが、一向に眠れる気がしない。まだ夕方だからと、カーテンを閉めてみたが、何も変わらなかった。
それから何度か眠りかけては起きる、というのを繰り返した後、身体を起こしてなんとなく時計を見ると、エルメルアが普段眠る時間を過ぎていた。
自分がいつの間にか寝間着であったり、お疲れ様でしたというリグレットの書き置きがあるのを見れば、なんだかんだ寝ていた時があったのだろう。
再び横になり、カーテンの隙間から夜空を見る。
本当に、自分の嫌な予感の通りになったら。そう思うだけで、胸がきゅっと締めつけられる。ただの予感であって、それが真実であるとは限らないのだが何故かその通りになるような気がして仕方ないのだ。
誰かに言ったところで、信じてくれるとも思わない。誰だって急にこの国が襲撃されると言われても笑い話で済ませるだろう。
「……リグレットなら、信じてくれるかな」
彼なら、もしかしたら。そんな期待が膨らむ。もしかしたらダメかもしれないが、リグレットなら言っても大丈夫だと、そう思う。
なんとなく気持ちが楽になって、ベッドの中に潜る。
大丈夫、と深呼吸をして、エルメルアはまた不安が募らないようにぎゅっと目を瞑るのだった。