47. 狼と獅子と群れる魔獣
襲い来る大群はどれだけ減らしても変わらない。そもそも減っているのかさえも怪しい。
あれだけ広かった野原も、今では魔獣とそれらが流した血で変わり果てていた。
「くっ……。……『無銘の神剣』!」
その中で立つリグレットは肩で息をしながら、新たな剣を精製する。
1匹1匹は弱い。だがその数は凄まじく、斬る度に纏っていく血で剣は弱くなり、そのためにまた錬成術を発動しているため、魔力も身体も徐々に摩耗していくのだ。
「坊主、へばんじゃねぇぞ!」
錬成術を発動したと同時、項に風。
振り返れば、額に汗を滲ませるグリーフとその手に持つ大剣によって裂かれた魔物の死体。
「……助かった」
「ああ、気にすんな」
先の自分との戦いでは軽口を叩く余裕があったグリーフが最低限の言葉だけに留めている事から、今の状況が劣勢というのがすぐにわかる。
唯一余裕があるとするなら……ティアくらいだ。
彼女は身体を馴染ませるようにゆったりとした動きで腕を振るっている。しかしその腕から放たれるのは魔力の暴風であり、1匹足りとも魔物を寄せ付けておらず、ただその暴風の中心で目を細めて、何かを分析していた。
「できることなら、3人でなんとかしてぇが……くそがっ!」
悪態をついて前へと進もうとするグリーフとリグレット。しかし濁流のように現れる魔物に押し戻される。
ティアまでの距離はそう遠くない。だと言うのに、この大群の中では果てしない道のりに見えた。
グリーフは大剣で魔物を払いながら、頭上で見下す化け物を睨む。
「ちっこいのを操ってんのは、あのデカブツで間違いねぇ」
その睨みを利かせたまま、グリーフは背中合わせのリグレットへと言葉を投げる。
頭上の化け物はこちらまで攻撃が届かないと嘲笑うように、優雅に羽ばたく姿を見せつけてくる。
「魔獣……。知性はないはずなんだがな」
「魔獣?」
「ん? ……ああ、坊主は初めて聞くか。魔獣ってのは、あの頭上にいる魔物の事だ。あれらは何ら変わりない生物が災厄の影響――災厄の過剰な魔力によって凶暴化した正真正銘化け物さ」
災厄。それはパレンティアの大陸を歩き全てを破壊するだけでなく、その足跡にすら悪影響を及ぼしていたのだ。
あの異様な姿も災厄によるものだと考えれば納得がいく。だがそれと同時に、災厄という強大な力を知っているからこそ……それに影響された存在に勝てるのかという不安も募る。
「本来、災厄の影響をその身に受ければ……その強大さに、身体は耐えきれず自壊する。ああやって動いてるだけでも不思議なくらいだが、それに加えて周りを従え俺らを挑発する知性があるなんてよ」
「例え災厄の影響を受けた知性のある魔獣だとしても、どうして俺やおっさんを明確に狙っているんだ? 災厄は自然災害だろう?」
「さあな……。そこまでは俺も聞いただけだから知らんが。ただ知性をもって効率よく獲物を狩るためか、それとも……誰かが裏で仕組んでるか。そのどちらかなのは確実だろうな」
グリーフが言った「裏で仕組まれている」――それは言ってしまえば災厄の混乱を利用、もしくは災厄そのものが何者かによって引き起こされたという事になる。
ならば今こうして、ブランとノワールが戦争している事自体……真の黒幕の掌の上で踊らされているだけなのではないか――。
「ッ……と!!! 坊主、考え事は後にしな! 災厄が何なのか気になるのはわかるが、今そんな余裕なんてねぇぞ!」
「……! ああ!」
そんな考える暇すらも、魔獣の群れは与えてはくれない。
大きな魔獣のけたたましい鳴き声に集まり、リグレットとグリーフへと特攻してくる姿は、彼らが真相へと近づくのを拒むようだった。
「あぁクソ! キリがねぇ! あのデカブツを何とかしたいが……」
いくら時間が経とうとも変わることのない状況にグリーフの鬱憤が溜まりに溜まり、それを吐き散らすかのように大剣を地面へと叩きつける。そしてその衝撃で宙へと舞った魔獣達を纏めて一閃。
「空が飛べねぇなら、武器でも投げりゃ届くか? ……ハッ、それをして仮に倒せたとしても、代わりにコイツらの餌になるからダメだな」
空にいる敵を倒す手段、それはリグレットでもグリーフでも限られている。空を飛べれば何とかできるかもしれないが、それができない以上彼らが取れる行動は武器という守る術を捨てて大きな魔獣を倒すか、ここで力尽きるまで魔獣の群れの相手をするかという2つに絞られていた。
「なぁおっさん、今空を飛べないならって……言ったか?」
「ん? ああ、言ったが」
「それなら……飛べる」
「……は? ハハッ、おいおい坊主。この惨状で頭イカれたか?」
「頭は別にどうもなってない」
「じゃあどうやって飛ぶ?」
しかしリグレットは3つ目の選択肢の可能性を考えていた。
この場にいるのが、グリーフとリグレットだからこそできる選択、それは――。
「おっさんのその膂力で、俺をあの魔獣の元まで飛ばす」
飛ばすのは武器でなくとも、あの大きな魔獣を倒せる人物を直接飛ばせばいい――そんな一見巫山戯た解答だが、グリーフは大剣を振るいながら目を細めて距離を確認する。
「……あの距離となると相当力がいるが。俺は構わんが坊主は耐えられるのか?」
「強化魔術は限界まで施す。こっちの面は心配しなくてもいい」
「んで、なんだ。ここの群れの相手は全部俺か?」
「ああ。おっさんならこの程度、楽勝だろ」
「ハハッ! 買い被ってくれるなァ坊主。……いいぜ、その手乗った」
大きな魔獣を本当に倒せるのか、あの群れを相手に生き残れるのか……そんな不安など今の2人にはない。どちらにせよ、これができなければ辿り着くのは死という終点。できないのではなく、やるしかないのだ。
「……行くぞ坊主」
「……ああ」
群れとはいえ、全員の足並みが揃っている訳では無い。それによって生じた僅かなズレ、それを見逃さなかったグリーフの合図にリグレットは静かに答え、自らの脚へと魔力を集中させる。
「死ぬなよ坊主!!!!」
力を込めた脚で跳躍、そこから更にグリーフの力を入れた大剣で大きな魔獣の元へと迫る。
ビリビリと身体に伝わる衝撃に、流石という言葉を心の中で送りながら、強化魔術を脚から腕へと移す。
「KYUA!!? ……Aa??」
大きな魔獣は、まさかこちらまで飛んでくるとは思っていなかったのか、突然眼前に現れたリグレットに驚きを隠すこともできず、簡単に接近を――鋭い刃物を容易く受け入れる。
「……悪いな」
そしてリグレットから呟かれたのは、騎士として不意打ちという卑怯な手段を用いた事による謝辞なのか、それとも魔獣という化け物に対する相応しい技も何もなく首を撥ねた事への皮肉か。
「早くおっさんの所へ――ッ!!」
ぼとぼとと零れていく魔獣を形成していた肉塊を眺めながら、リグレットは辺りを見渡して、見てしまった。
倒れ伏した女性と、騎士団の同期としてよく一緒に行動していたロミの姿を。
ロミがいるということは、倒れた女性は間違いなくジュリエッタだ。どの程度かはわからないが脚付近からの出血……その原因は言わずとも知れた。
ロミの眼前に対峙している6本腕の化け物……明らかに魔獣であるそれの仕業だろう。
魔獣の動きは素早く、一見傷も対して無いように見えるが、一方のロミは満身創痍。それにジュリエッタを守りながらというハンデ付き。
勝てない事は見て明らかだった。
だがしかし今ロミを助けに行けば、自分のために大群の相手を引き受けたグリーフはどうなる? 敵国のノワールの人間とは言えども、今この瞬間は仲間である事に違いはない。
どちらかしか選べない。どちらかを見捨てる決断を無理強いさせられている。
リグレットは何度か木を蹴って落下の衝撃を和らげて着地、しかしその次の1歩は重かった。
この1歩、進めば最後。どちらを選んでも後悔するからこそ、選択ができない。
「……何を呆けているのですか。リグレット」
リグレットにのしかかる重りを簡単に取り除いたのは先程まで1人で魔獣達の相手をしていたティアだった。
それらを片付けたらしいティアには微塵の疲れもなく、本当に戦っていたのかと疑うほどだ。
「……仲間の元に魔獣がいる。そしておっさんの所にも」
「状況は?」
「仲間の方は――満身創痍、正直持つかもわからない。おっさんの方は魔獣の大群を相手にしてる。そっちも手助けがなければ怪しい」
「そう……なら――」
リグレットの報告に、ティアは考えるように口に手を当てて暫く固まる。そして口を開こうとした瞬間――。
「LYUAOOOOOON……」
新たに現れた魔獣がそれを遮った。
その姿は空飛ぶ鯨。陸地で見るはずの無い大きなヒレで空を舞い、その顔は全体的な美しさに不似合いな尖った角に不揃いの歯。
特筆すべきはその体躯だろう、リグレット達のいる上空一帯を覆い、辺りを夜に変えるほどの巨体。のしかかるだけで何かも押し潰しそうなほど、それは大きかった。
「くっ……流石に、仲間の元には……」
「……行きなさい、リグレット」
すぐさま対応しようと武器を構えたリグレット。しかしティアはそれを喜んで受け入れるのではなく、仲間の元へと行くように命じた。
「だが、魔獣が……」
「あれは私がやります。あとグリーフの救援も。なので貴方はこちらの事は構わず仲間を助けに行きなさい」
「…………」
「大切なのでしょう? それに私のやり方は――少々手荒なので」
魔獣の相手を自ら買って出たティアはむしろ楽しそうだった。ようやく身体が馴染んだ、本領を発揮できる……そう言っているかのように。
「……恩に着る」
「気にせず。万が一魔獣の相手が厳しそうなら、私の元へどうぞ」
「わかった」
そうして駆けて行ったリグレットを尻目に、ティアは眼前の魔獣へと視線を変え目を細める。
勝てるか勝てないかで言えば……楽勝だろう。
だが、ティアには「生き残る」という理由でここに来ていない。名目上は「彼らの手助け」だが、実際は「裏で手を引く者の炙り出し」なのだから。
そして目を瞑り考える。今までティアはティナを支える役目だったから、どういう風にやれば炙り出せるほど目立てるのかを。
「ふふっ。良い目立ち方がいまいちわかりませんが……遠慮なくやってしまいましょうか」
笑みを浮かべ、目を開いたティアの周りに集い始める蒼い魔力の残滓達。そしてティアは告げる魔獣達との最後の戦いの幕開けを――。
「『魔力深化・解放』」
 




