39. 切られた火蓋
「来てしまいましたね。今日が」
前回とは違う昼時。しかし霧が濃いせいかノワールの軍勢どころか太陽すらも見えない。
そんな中リグレットの隣に、ぴとりと寄り添うエルメルア――元いティアは深刻そうなセリフを、あたかも楽しんでいるように言い放つ。
「……その割には楽しそうなことで。それよりもだな」
「なんですか? リグレット」
「距離が近い」
そんな旅行気分のティアに呆れを感じながらも、リグレットは思っていたことを口にする。
そう、距離が近いのだ。エルメルアの姿に変わってから、ずっと肩と肩が触れそうな距離だった。
「……おかしいですね。私の観測では、貴方達はこれくらいの距離だと認知していますが」
「こんなにも近くなかった気がするが」
「いいでしょう。本人がそういうのなら、認知を改めます」
それを指摘すると、ティアはすっと手を伸ばせば触れる距離へと遠ざかる。
遠ざかったのはいいが、少し感じた違和感。なんというか、こんなにもエルメルアは背が低かったか? という違和感である。ティアが擬態しているから、という理由では到底納得できない。なぜなら声や魔力は変えているのに、背丈は変わらないという事をティアがするはずないのだから。
「姫様。……それにリグレットも。おはようございます」
「おはようございます。セアリアスさん」
違和感を連れて歩いていれば、準備を終えたらしいセアリアスが挨拶をする。それにティアは笑顔で返し、リグレットも適当に返したのだが。
それが不満だったのかセアリアスの視線がティアとリグレットを交互に行き来して、リグレットをじとりと見つめる。
その視線が、ティアへと向く度「バレたのか?」と不安になるのでやめてほしい。そう思っていればセアリアスが静かにリグレットへと歩み寄ってくる。
「…………姫様と喧嘩でも?」
「……は?」
飛んできたのは予想にもしていない一言。そのあまりにも突発的な言葉に間抜けな声を出してしまう。
「ただの私の勘違いなら、別にいいです」
「なんで喧嘩したと思った?」
「……いえ、いつもより2人の距離が遠いので」
「…………そうか」
内容が内容のため、ティアに聞こえないように小声で配慮してくれているのは嬉しいが……多分無意味だ。
ちらりと視線を動かせば、ティアは微笑んで首を傾げて見せるが、その笑みには「だから言ったでしょう」と自信満々と書いてあったのだから。
そのやり取りを見て、セアリアスは呆れたような溜息と冷ややかな目をリグレットへと送り、無言でその場を去る。
「だ、そうです。リグレット」
セアリアスの代わりに、するりと隣に立って悪戯っぽく笑うティア。
この絶妙な距離感というのが、またいやらしい。思い切って腕を絡めてくるならば、エルメルアではなくティアだと断定できるが、逐一の仕草がエルメルアと全く変わらないのだ。
そのため実はティアではなく、エルメルアなのではないかと脳が錯覚している。そのせいで、どうにも調子が狂う。
「ふふ。……戦う前だと言うのに、この子の前だと緊張感が微塵も感じられないとは……貴方結構重症、ですよ?」
「…………うるさい」
周りに人がいなくなったからか、口調を元に戻してからかうように話すティア。彼女の言う「重症」の意味は自覚しているつもりだが、こうして言われると言い返す言葉が見つからないのがまた悔しい。
そうして黙っていれば、ティアはこんこんと靴を鳴らす。
それから軽い咳払いをして、集った騎士団――4人に向けて視線を送る。
「……前方から3人。後のノワールの大群は遅れて到着してくるようです」
先程までの緩い空気は、すぐさま引き締まる。
「1人はとても速い……。きっと、ジュリエッタさんです」
「彼女なら、僕に任せてくれ。あの子なら、この傷でも問題ない」
その名前に僅かに反応したロミの即答。それを手助けするようにセアリアスも頷いて賛成を示す。
「ではロミさん、お願いします。そしてもう1人は……グリーフ」
「……俺が行く。ただ、各自戦闘が終わったら手助けに来てくれ」
「「了解」」
リグレットの言葉に、ロミとセアリアスは声を揃える。
「では私が残りの1人、ですね」
「ええ、ただすみません。もう1人はどういう人かはわからなくて」
「大丈夫です。……なんとなく、見当はついているので」
そしてセアリアスは自身が対峙する相手に思い当たりがあるのか、静かに闘志を燃やす。
「そしてセレー二さんは3人の回復をお願いします。……動き回らなければならないので大変かと思いますが」
「いえいえ! 回復しかできないので、それくらい任せてください!」
残った騎士団の4人目。セレー二は元気な返事をする。
「では皆さん……健闘を」
そして最後のティアの一言で、3人は散らばり戦闘態勢へと移る。
再びリグレットと2人になったティアは口を再び開く。
「……ここ一帯に、僅かな氷を張りました。魔力を持っているならば影響は受けません」
そう言われて地面を見れば、確かに氷が張っていた。しかし触れれば直ぐに溶けてしまう、その程度のもの。
「これに何の意味が?」
「多少ながらの足止めです。大袈裟にすれば敵が警戒してしまいますから」
「魔力のないノワールの大群を……これで?」
「ええ。魔力が無い者はまともには歩けませんよ。ただしそれは気休め程度、いつかはこちらに辿り着いてしまいますが」
あれだけ苦労した大群が、ここまで簡単に対処されるとはノワールも思ってもいないだろう。しかしそれをする為の規模が並大抵では再現できないものなのだが。
「戯言は終わりです。……来ますよ、彼が」
ティアが目を細めて、睨んだ先。
濃い霧から豪速球で現れて巨体。
それはリグレットを見つけると、獲物を見つけたように口角を吊り上げて、笑う。
「久しぶりだなァ!! 会いたかったぞ坊主!!」




