3. 従者と姫と即位式
リグレット視点です。
エルメルアが即位式のリハーサルをしている間、リグレットは特に何もすることが無かったので、壁にもたれてその様子を見ていた。
それにしても会場は本当に立派だ。
リグレットは割と高い方の身長だが、それでもちっぽけに見えるほど会場は大きい。
その最も高い場所にいるエルメルアは、より小さく見える。しかし纏っている雰囲気は会場にも負けていない。
会場の様子に感心していれば、同じ従者のマルマット……通称ママが声を張り上げる。
最初は、エルメルアの声量が小さいとか、言葉に詰まりすぎなどといったママの指摘が聞こえてきたのが、今はそういう類のものというより、寧ろ褒めている言葉の方が多く聞こえている。
とはいえ、ただリハーサルの様子を眺めて聞いているだけというのも流石に退屈を感じる。せめて騎士団の仕事を少しくらい残しておけば……と思いながら頭の中でやり残したことはないか模索する。些細なことでも待ち時間を気にしなくなるならそれでいい、そう考えている時だった。
「姫様と一緒じゃないなんて、珍しいですね団長」
突如として掛けられた女性の声で、思い出しかけたことが全て水の泡となった。聞き覚えのあるその声の主を渋々見れば、リグレットの隣で同じように壁にもたれてエルメルアの方を見ている女性……リズラがいた。彼女が気配を消して脅かすことは珍しい事ではないため、またか、と思っていたが、様子を見る限り今回は自分が考え事をしていて気配に気づかなかったという方が適切だろう。
「お前の方こそ、俺のことを団長って呼ぶなんて珍しいな」
仕事でも残ってたか? と最後に問う。
というのも、リズラは騎士団の仕事が無ければ、リグレットのことを団長と呼ぶことはないからだ。……最近は騎士団の仕事があってもほとんど団長と呼ばなくなったが。
「そんな所です。とはいえ団長が片付けた仕事に、不足している点や、間違いが無いか等といった最終確認ですから気にする必要はありませんよ」
最終確認というのは、リグレットが頼んだ訳でも、騎士団として決めたことでもない。副団長だから、という理由でリズラが自らやり始めたのだ。
仕事の容量は良いし、ミスも少ない。騎士団からの人気もある。それでいてこういった気配りもできる。
「……真面目な時は頼りになるんだが」
「なにか言いましたか、団長?」
「なんでもない、気にするな」
真面目な時、と限定したが正直リズラの性格には助かっている。本人にこの事を言えば調子に乗るか、からかってくることが目に見えているので言うことはないが、騎士団の仕事の時は真面目で頼りになるし、仕事が無ければ誰に対しても明るく話しかけるムードメーカーのような存在なのだ。このメリハリのある性格が、団員のやる気と癒しに繋がっているのは間違いない。
「それよりも誰ですか? 姫様と一緒にいるあの女性の方」
「ああ、あの人は姫の従者のマルマットさんだ」
怪しい人を見るような目だったリズラに、笑いながら教える。自分と違い、他の従者は普段姫の傍ではなく王宮の掃除などをしているため、リズラが彼女を知らないのも納得できる。
「てっきり姫様が団長とずっと一緒にいるので、従者は団長だけだと思ってました。」
「……そんなに一緒にいるか?」
団長が気づいてないだけです、とリズラが返すので、これからは意識しよう、とリグレットは思う。従者とはいえ、姫の傍にずっといるのは、姫にも迷惑だろう。姫には自分の時間を大切にしてほしいという気持ちもある。
リズラと2人で壁にもたれながら会話を続けていると、エルメルアは疲れきった表情と足取りでこちらに歩いてくるのが見えた。
「お疲れ様です、姫」
「姫様、お疲れ様です」
「2人共……ありがとう……」
リズラとリグレットがいた所の傍にはベンチがあったため、そこに姫を座らせる。
「もうお腹ぺこぺこで倒れそうです」
エルメルアは、はにかみながらお腹を押さえる。
時刻はもう昼時であるし、自分が訪れた時には寝間着姿で寝癖もあったことから朝も食べていないのだろう、とリグレットは思う。そして気は乗らないが残酷な事実を伝える。
「姫、申し訳ないのですが……その、即位式まであと1時間程度で、今から食堂に行って食事をされるのは厳しいかと」
その事実を伝えられ、エルメルアから笑みがすっと無くなる。会場には僅かではあるが、国民の姿が見えている。即位式が始まる頃には人で溢れていることだろう。
この場にずっといる訳にもいかないので、エルメルアをベンチから立たせ、会場を後にする。
「即位式とはいっても、本来よりは短いですから多分大丈夫です」
大丈夫、と言うその顔は無理して笑っているように見えた。何か食べさせれる物はあるかと考えていれば
「姫様、軽食ですがよろしければどうぞ」
いつの間にかフィナンシェを持ってきていたリズラがエルメルアに差し出す。ありがとうございます! と目を輝かせているエルメルアを横目で見て、小声でリズラに礼を言う。たまたま自分の部屋が近かったので、とは言っているが若干息が乱れているので急いで取りに行ったのだろう。
「こういう所が頼りになるんだけどな」
「だから何の話ですか。……というか団長は姫様のことをどう思っているんですか?」
わざとらしくリズラは話を逸らす。姫に関する事のため、小声で話しているが、姫はご満悦の様子でフィナンシェを食べているので聞こえていないだろう。
「どうって……そりゃ嬉しい限りだよ。自分の仕えている人が女王になって認められるっていうのはさ」
「…………」
「な、なんだ違ったか?」
「もういいです。私はこちらなのでお先に失礼しますね」
期待はずれと言いたげな表情で、即位式での自分の持ち場が近づいたためリズラは去っていく。リズラの、というより騎士団の持ち場のためリグレットもそこなのだが、即位式が始まるまでは姫と一緒なので今はまだ行かない。
リズラが持ち場について団員の指揮を取り始めたのを確認して姫の元へと戻る。エルメルアは自分の手よりも少し小さいフィナンシェを2つ貰っていたが、1つ目を食べ終えて2つ目を食べようか悩んでいる、そんな様子だった。
「とても美味しくて、1度に2つも食べてしまうのは何だか勿体ない気がしてですね」
「ですが姫、食べずに残しておくといっても保管する場所が無いですよ?」
保管できるのは食堂くらいですし、それも向かっている方向とは真逆ですから、と付け加えるとエルメルアは肩を落とす。
「またリズラに作ってもらうよう、頼んでおきます」
「本当ですか!? ありがとうございます!」
先程までとは打って変わって目を輝かせるエルメルアを見ると、自然と笑みがこぼれる。再び食べれるということで、決心がついたのか2つ目を口に運ぼうとして、ふと手を止める。
「リグレット、ちょっとしゃがんでください」
言われた通りしゃがむと、エルメルアはフィナンシェを半分に割る。とても美味しいと言っていたので、リグレットにもお裾分けしようとしたのだろう。そこまではよかった。
しかし何を思ったのかエルメルアは、分けた片方をリグレットに渡すのではなく、リグレットの口元へと伸ばしたのである。にこにこと笑っている所を見ると、無意識にやっているのだろう。
「リグレットはフィナンシェ、嫌いですか?」
少ししょげているエルメルアを見て、意を決してフィナンシェを口にする。広がるフィナンシェの味は、いつもよりも甘く感じたのは気のせいだろう。
そしてお返しと言わんばかりに、エルメルアの持っていたフィナンシェを手に取り、同じようにエルメルアの口元へ伸ばす。
目をぱちぱちさせて、フィナンシェとリグレットを見るエルメルアをじっと見つめれば、恥ずかしそうに小さな口を開く。少し食べて、リグレットを見て、また少し食べて。そんな動作を数回繰り返し、フィナンシェを食べ終える頃にはエルメルアの頬はほんのりと赤く染まっていた。
「あの、その、リグレット。食べさせてくれるのは嬉しいですし、自分が無意識にやってて言うのもなんですけど。急にそういうことするのは、ずるい、です」
だんだんと声がしぼんでいくエルメルアを見て、リグレットは食べさせるのも食べさせられるのも危険だと思った。赤く頬を染めて、ちらちらと上目遣いで見てくるのも破壊力がある。自分がどうにかなりそうだったが、それを止めてくれたのは即位式の司会のアナウンスだ。
「そ、それでは、その。もう少しで始まりますし私行きますね」
慌てながら、そう誤魔化したエルメルアは従者達が待っている場所へと早足で歩いていく。従者達が自分に会釈したので、ここは任せて自分は騎士団の方へ行け、という事だろう。最後にエルメルアへと激励の言葉を掛けるため、心を落ち着かせる。
「……姫様」
軽く深呼吸をして、エルメルアを呼ぶ。
廊下を彩る華やかな装飾が2人を応援しているかのように揺れる。
「…………!」
先程の出来事のせいか、呼ばれると一瞬体が引き攣ったが、エルメルアはゆっくりと振り返る。
「姫は自分が王に相応しくないって言ってました。でも本当にそんな事ないって俺は思ってます」
伏し目がちだったエルメルアが意表を突かれたように目を見開く。その目は先程の事で恥じらいも見えるが、やはり不安の色が強い。
「だって、王に相応しくなかったら。こんなにも国民は集まってません。こんなにも、姫の名前を呼んでません」
先程までは人のいなかった会場には、今は人が収まらないほどいるし、その誰もがエルメルア様万歳! と讃える声が相次いでいる。
「それに、たとえ何があっても。騎士団長として、従者として、俺が姫の事を支えますから」
その言葉を聞いて嬉しそうな、そして今にも泣き出しそうな表情をするエルメルア。そんな彼女に微笑えんで言う。
「だから、安心して、いってらっしゃい」
「……はいっ!いってきます!」
目尻には涙が浮かんでいたが、とびきりの笑顔で答えるエルメルア。そして、即位式の開始のアナウンスが始まる。
それを聞いたエルメルアがリグレットに向けて深く一礼する。
重々しい扉が、ゆっくりと開き。
いつの間にか空の雲は消えて、真っ青に晴れている。
太陽の光が、ブランの象徴である白色を照らす。
まるでその光は花道を示すようで、通り抜ける風は新たな王を祝福するようにダンスを踊っている様だった。
それを見届けて、リグレットはその場を後にする。
……これでいい。これでいいのだ。例えどれだけ姫が自分に好意があったとしても、自分が姫を好いていたとしても。従者と姫という関係である以上許されない。そんな事はわかっている。従者として姫を支え続ける、それが自分が彼女の好意に対してできる最大限のお返しだ。
そう自分に言い聞かせて、リグレットは持ち場へと戻る足を早めた。
Aoyです。
色々と好きを詰め込んだら長くなりました……