37. 精霊の秘策
次の指揮を私に任せてもらってもよろしいですか? そうやってティアに言われても、リグレットは瞬きをするだけだった。
「……もう1回。聞かせてくれ、なんだって?」
「次の指揮を私に任せろと」
2度の同じ内容にリグレットは頭を抱える。そして探るように口を開いた。
「何が目的だ?」
「ただの善意です。深い意味はありませんよ」
「……だがな。それは少し厳しいぞ。俺は良くても他の団員が納得するとは思えない。突然現れたやつに指揮を任せる……つまりは命を預ける行為なんてな」
「安心しなさい。そんな時のための『とっておき』があるので」
微笑を浮かべて、くるりと背を向けるティア。そしてリグレットに向けて「しばしお待ちを。……決してこちらを見ないでくださいね」と念を押す。
「『絆の共鳴』『別離の星』」
何かの術式を唱えたティアの後ろ姿が2度、変化した。
まずは先程よりも髪が伸びた。そして次に似たような背丈の人がティアに寄りかかるように増えた。
ティアはその寄りかかった人を大切に抱き上げて、椅子へとゆっくり座らせる。眠っているのか、びくともしないもう1人の顔と僅かに見えたティアの顔は――。
「ティアが……2人?」
「……狭い部屋なので見ない方が無理がありますね。まぁ最悪私の顔さえ見なければいいです」
座っているもう1人のティアは先程と同じような髪の長さではあるが、その表情は眠っていても優しい顔つきだとわかる。そしてもう1人は顔は先程僅かに見えただけで全体はわからないが、座る彼女とは対照的な綺麗な顔立ちだった。
「懐かしいですね。こうして地を踏みしめる感覚というのは」
長い髪をひとつに束ねて、その髪の隙間から自由を求めるように虹の羽が伸びていく。
「ティア……なんだよな」
「ええ。正真正銘、私はティアですよ」
「じゃあ座っているのは」
「私ではありません。彼女が……私の姉のティナです」
言葉の音が届いても、その意味を理解することはできなかった。何故ならティナとティアは同じ身体で、2つの意思を宿した存在。
「本来なら私もティナも、こうあるべきだった。もしくは――」
ティアが座るティナにそっと触れて、そのまま優しく抱いていく。すると2つは1つに変化する。
リグレットを見据える双眸は瑠璃と翠玉にそれぞれ色付いて、振り返って見せる表情も2人を合わせたような姿だった。
「もうひとつの姿である、ティナリアという一つ子」
そして再び、先程のようにティナとティアへと別れる。
「しかし実際は1つの身体に2つの意思という不可解な姿。それが私達の運命でした。でも長い年月をかけ、私もティナも互いを認め信頼して、運命を叛逆した姿――本来あるべきだった『絆の共鳴』であり『別離の星』という2つの姿です」
丁寧に説明をしてくれるティアだが、その内容を噛み砕くのには時間がかかった。なぜなら「万象全ては、運命の上を辿っている。それに反する事はできず、受け入れるしかない」――というのがパレンティア大陸に伝わる話で、今のティアは「従うべき運命に刃向かった結果」なのだから。何らかの魔術でこうなっている事は確かなのだが、かといって目に見えない運命に叛逆するというのは……。
「滅多にこの姿にはならないので、いつもと変わらずでよろしいですよ。ただまぁ……ティナに宿る意思ではなく、本来の姿の私という事に私自身慣れていないので、感情だったり表情などが不慣れでして……。ですから、そのあまりこちらは見ないでいただけると」
理解を追いつかせているリグレットを見かねて、目を細めてこちらを見るティア。見ないでと言いながらも、流石に顔を合わせないのは失礼にあたるという判断なのか、目元から下を手で覆っているが。
「その件についてはわかった。それで『とっておき』ってなんだ?」
「……ああ、それは――」
嫌ということを知っていて、それをする必要もないので顔をあまり見ないという了承をして、本題へと戻ると、ティアは思い出したように目を瞑って……。
「こういうこと、ですよ?」
可愛らしく微笑むエルメルアへと変貌した。
「……ますます意味がわからなくなったな」
目の前の彼女はティアではなく、紛れもなくエルメルアだと頭はそう感じている。それも目の前でティアがエルメルアに変わったのを見ているのにだ。
それに普通、見た目は変わっても感じる魔力というのは変わらないのに、目の前のティアの魔力はいつも隣にいるエルメルアの元と変わらない。
「やっている事は、模倣魔術と同じです。ただ私が今までの観察から『限りなく本人に近い模倣』をしているだけで」
「だがな、模倣魔術は見た目は変えても声質や魔力までも変えれないだろう」
「それを可能にするために、わざわざ私になったのです。精霊の私のみなら多少の無理は可能です。そもそも精霊というのは、その体液に不老不死であったり魔力の回復であったり様々な効果があると前にも言いました」
確かに他人の魔力から自分の魔力に転換するのは、ほぼ無理だと言われているのに、彼女の涙を使用したとされる『ティアの涙』には魔力の回復はもちろん、怪我や疲労も吹き飛んでいった。
そんな精霊ならば他人の魔力に見せかける事も容易いというのか。
「彼女の従者である貴方でも見抜けないのなら、当日はこれで指揮をとれば問題ないでしょう」
ふふんと自慢気なティアを見ると調子が狂う。というよりも確実にその理由はわかっている。
「見た目が変わると表情豊かになるんだな……」
「ええ、何故か。元々ティナの身体を借りていたからか、こうして模倣魔術をすると恥ずかしいといった感情は無くなるのです。それが何か問題でも?」
「その見た目だと、色々と落ち着かない」
「……いつも隣で見ている姿では?」
「そのはずなんだがな」
そうそれは、ティアがエルメルアの見た目をしているということ。別にエルメルアの姿が不快な訳では無い、むしろ誰よりも見慣れた姿なのだが、どうにも落ち着かないのだ。
普段のエルメルアとは全く違う話し方だからか、それとも彼女があまりしない仕草が新鮮だからなのか……気づけば視線が追ってしまう。
「……はぁ。見蕩れる暇があるということは、私の提案に了承という事で良いですね」
「いや、見蕩れては……」
「ぼーっと眺める癖に、こちらが目を合わせれば逸らす……これが見蕩れてないとでも?」
そんなリグレットの様子にティアは大きく溜息を吐く。とはいえ見た目はエルメルアなので、周りからすればエルメルアが大きな溜息をしているように見えるのだが。
ズバリと的確に切って捨てるティアにリグレットは何も言い返せないでいると、ティアは姿を元に戻して再び口元を隠す。
「まぁ、当日の事は追って話します。エルメルアの予知と私の推測を合わせれば何とかなるでしょうし。最終手段として私もいる事ですしね」
「最終手段って、ティアは戦わないのか?」
生まれたリグレットの疑問を、ティアはまたも呆れたように目を細める。
「当たり前です。何のために貴方に特訓をしたのですか。私が動けば国としては万々歳でも、特訓の意味が無くなります。まぁ、エルメルアの予知にはない事が起これば、手助けくらいはしますよ」
あくまでも「人間同士の問題に、精霊が首を突っ込むべきではない」という考えのティアは、その後何度か説得を試みても首を振ることはなく、リグレットは仕方なくエルメルアの部屋を出ていくのだった。




