36. 急変
リグレットは走る。急に倒れたエルメルアを抱えて。
思い当たるとすれば恩恵。彼女には右目にそれが宿っていて、その右目が充血していたから。
ただ、問題なのは何にどう使ったか。予知する恩恵だとしても、前回はすぐに終わっていたし右目に痛みはあっても倒れるまではいかなかった。
なのに、どうして……。
考える事は多数ある中、姫の部屋の扉を乱暴に開ける。
「……酷い慌てようですね」
当然のようにエルメルアの部屋で本を読んでいたのはティア。その冷静さは抱えているエルメルアを見ても変わる事はなかった。
「姫が高熱で倒れた。たったそれだけでも、従者には一大事だからな」
あくまで恩恵の使いすぎ、というのは憶測であるため事実だけを伝える。
そしてふと思う。エルメルアの体調、というよりも異変を感じ始めたのは自分がティナと特訓した直後。しかもエルメルアはあの場にいた。という事は――。
「ティア、何か心当たりはないか?」
「至極当然、そうなりますよね」
ティアからすればこの展開は推測済み、そう思わせるようにふふっと笑う彼女。
「結論から言えば知っていますよ。ただそれを貴方に伝えることはできない。貴方含め他の誰であれ……言ってほしくないというのが彼女の希望なので」
「……っ」
そんな事は今守らなくてもいい……そんな怒りと、エルメルアの希望を無下にする事の葛藤。もひま今エルメルアを抱えていなければ確実にティアの胸ぐらを掴んでいただろう。
「……暴力ならば好きに。貴方の気持ちも充分理解していますし、かと言って精霊として彼女との契約を破れませんので」
すっと本を置いて、立ち上がってリグレットを見るティア。他人の気持ちを理解している……そんな事不可能だと言いたくもなるが、ここまで心境を言い当てるティアの顔を見れば、そんな事は言えなかった。
「……人に暴力を振るうのは従者としても、騎士団の規律にも反する」
ティアの顔は普段の無感情ではなく、確かに悲しむような顔だった。だからこそ、怒りを抑えた。
抑えて発した、人という単語に僅かに驚いたようなティアは立ったまま口を開く。
「彼女からの申し出とはいえ、責任は私にもあります。危険な事とわかっていて止められなかった事、そして私の想像以上に彼女が無理をする方だったという事です」
「…………」
「これは認知を改める必要がありそうです。想いの力というのには。……まぁ、戯言はさておき」
ティアは指でとんとんと頭を叩きながら、リグレットの眼前へと手を伸ばして指の本数で2の数字を示す。
「現状私から言えるのは2つ。1つは先程彼女が言っていた予知は外れます。どれほど無理をしたのかは私にもわかりませんが、倒れる程の状況で恩恵がまともに使用できるとは思いません」
そう話して、ティアは指を1本……折りたたむ。
「次。これは別に緊急を要するものではありませんので、聞き流してもらっても結構ですが貴方達――リグレットとエルメルアは1度お互いの事を話し合うべきかと」
「話し合う? 何をだ?」
「様々な観点ですれ違っているので、色々ですね。同一の生命であるティナと私でさえ、考えている事は違って何度も話し合った結果、今の信頼と絆が成立しているのですから」
全ての指を折りたたんだティアは呆れたように溜息。
そしてその溜息を誤魔化すように、こほんと咳払いをする。
「まぁ、話すかどうかはご勝手に。話を戻しますが……そんな貴方へ提案が1つあります」
「提案?」
「ええ。エルメルアの容態を見るに……次のノワールまでに回復するのは難しいです。彼女は無理をして戦場へ出ようとするでしょうが。そして多少なり責任を感じている私からの提案です」
ティアはちらりとエルメルアを一瞥、そして自分の考えを話していく。
提案というのが変なものでなければいいが、と彼女の話を黙って聞いていれば、次に飛んできたのは意外すぎる言葉だった。
「――次の指揮。私に任せてもらってもよろしいですか?」