35. 強さの代償
見慣れた騎士団室、しかしその中からは異様なほど重苦しい空気が漂っていた。中に入れば、セアリアスが座ってじっと時計を見ている。
「……これで全員、か?」
「……ええ」
そんな空気を読んで、静かにセアリアスに尋ねれば返ってきた言葉もまた静かなものだった。
騎士団室を改めて見渡す。中にいるのはセアリアスにロミ、そしてセレーニ……その3人だけ。つまり今現状、行動が可能な団員はリグレットを含めて4人のみ。
「そうか」
副団長のリズラやほかの団員は? そう聞こうとしたが、察したリグレットは別の言葉を選ぶ。
たった9人で、ノワールの軍勢を相手するという無謀な事をしたのだ。例え誰一人死んでいないとはいえ、次も万全に動ける状態とは限らない。
「お嬢様は私が念の為にと休ませました。アウリュスはフェンとリルの看護を。ヴェルトも以前の戦いでかなり無理をしていたようです」
少ない言葉から何かを察したらしいセアリアスは淡々と各々の状態を述べていく。
「私とセレーニは特に問題ありません。ただロミは……本人の気合です。個人の意見としても、軽く撫でた治療知識からも休ませるべきかと」
「……わかった」
セアリアスに名前を呼ばれたセレーニはびくりと肩をあげて振り向く。もごもごと何か頬張っている所から食事中だったらしい。
「さっきから言ってるけど僕は大丈夫だよ、セアリアス。ノワールとの戦いはまだ続くんだ。これ以上欠員を出す訳にはいかない」
「……その姿で言われても、全く納得できません」
「ははっ……セアリアスは手厳しいな。ほらリグレットも何か言ってくれ」
セアリアスの報告に待ったをかけるのはロミ。彼は大丈夫だと言ってのけるが、所々包帯に巻かれている姿はセアリアスの言う通りで、全く説得力がない。
「……相手の出方次第だ。それによっては次の防衛の参加も認める」
手助けを求めるロミに少し頭を抱えながらも、最善であろう結論を出す。
現状では、あのノワールの大軍を3人で立ち向かう事になる。9人ですら厳しい戦いだったのに、3人となれば……どうなるか等やらなくてもわかる。だからこそロミという戦力は喉から手が出るほど欲しい――が、今のロミではどうなってもおかしくない。最悪の場合の事だって有り得る。
かといって、ノワールが以前と同じ量の軍勢で来るとは限らないのだ。被害はこちらだけではない、向こうにも多少被害はあるのだから軍勢の量も威勢も弱くなるはず。
そうなればロミの戦力があれば有利になるし、自分がロミを補えるだけの余裕も生まれる。
「……まぁ、リグレットがそう言うなら。大人しく僕も従うよ」
「ああ、すまない。下手をして大切な仲間を失う訳にはいかないからな」
声色も表情からも、細目のロミから本心を探ることはできないが、仮にも騎士団の同期……理解してくれているだろう。
「それで、リグレット。今日の呼び出しの用はなんだい?」
「その事だが、実は俺もよく分かっていない。ただ昨日姫から招集するように言われたんだ」
「なら、次の襲撃の日……かな。向こうも弱っているブランを潰す機会を逃すはずがないだろうし」
「多分な。それで、姫は?」
昨日はあの後、エルメルアの部屋でいつも通り従者としての役目を果たした際に「話があるので」と言われたのだが、まだ部屋には来ていないようだ。
「姫様は自室では? 食堂付近の部屋にはいらっしゃらなかったので」
「わかった。なら俺は姫を見てくる」
元々上流貴族であるリズラに仕えていたセアリアスは、その名残りなのか当時の習慣を今でも続けている。そのためリズラの部屋の傍にある部屋はもう目を通してあるらしい。
ならば自分が行くべきはひとつだと振り返れば、ばったりと出会ったのは目的の人物。
「あっ……リグレット」
ゆらゆらと足元をふらつかせながら壁伝いに歩く姿をリグレットに見られ、僅かに目を伏せるエルメルア。
従者として今すぐにでも、何をしたらこうなるのか聞きたいが……。後ろにいる仲間達にまで心配させる訳にもいかないと口を固く結ぶ。
「皆さんも、おはようございます。あと、お待たせしてしまってごめんなさい」
そうしてエルメルアは何も無かったように、部屋にいる仲間達へと挨拶を済ませる。リグレットも彼女への不安を抱えながら、その後に続いて話は本題へと入っていった。
話というのはロミの予想通り、次回のノワールの襲撃の件だった。
2日後という、かなり直前に迫っているがその規模は前回よりも小さいらしく、苦労はしないだろうとの事。だがそれよりも気になるのは……やはりエルメルアの様子だった。
右目を気にする姿は普段の癖とは違うように思えて仕方がない。恩恵を使用した後だからと納得させようとしても、あの姿は痛みを我慢しているのではと頭が悪い方へと進んでいく。
「…………レット?」
杞憂ならそれでいい、従者として気にしすぎているだけならそれで――。
そんな集中しているリグレットの首筋にぴとりとくっつけられたエルメルアの手。
「……姫。ええっと、どうかしました?」
「どうかしましたか、じゃないです。もう話はとっくに終わったというのに、びくとも動かないんですから」
そう言われて周りを見渡せば、既にロミやセアリアスの姿はここにはなく、部屋にはリグレットの隣でちょこんとエルメルアが座っているだけだった。
「……考え事、ですか?」
様子を伺うようにこちらを覗き込むエルメルアから顔を背け、リグレットはやはり違和感を感じていた。
彼女の手はいつも冷たいのに、今は自分の体温と対して変わらないという違和感を。
「…………考え事と言えば、考え事です」
「それは、その」
2人きりの部屋だ、聞くなら今しかない。そう思っても、やはり聞くべきなのか迷ってしまう自分もいて、発言を躊躇う。
そんなぎこちないリグレットを見て、エルメルアは少し困ったように返答。
「――私の事、ですか?」
「……っ」
そして続けられたのは、今まさに聞こうか迷っていた事だった。息を飲んだリグレットに、エルメルアはもじもじとして息を吐く。
「昨日も今日も……リグレットは、多分気づいてるだろうなぁって」
「…………」
「でも、大丈夫です。私は……大丈夫ですから」
一息をついて、エルメルアは背を向けて話す。
隣り合わせでも、表情は見えない。それでも声でわかった、彼女は大丈夫なんかじゃない。無理をしていると。
「姫、嘘は……嘘は良くないですよ」
「……嘘なんてついてないです」
「だったら……! だったらなんで、姫の声は震えてるんですか!? だったらなんで……姫の手は、普段より暖かいんですか!?」
珍しく声を荒らげたリグレットにエルメルアは押し黙る。長年から自分を知っている従者だからこそ、隠し事はできないのは百も承知。しかしそれでも、言えない事は沢山ある。
「でも本当に――」
大丈夫。そう言うはずだった、念押しのもう一回は不意な額の衝撃で弾け飛んだ。
痛くはないが、確かに別のものと触れている。それがリグレットの額だと気づくのには数秒かかって、ようやく頭が理解したように身体が更に熱くなる。
「本当に……なんですか? 熱があって、更には右目も充血しているのに、大丈夫だなんて言いませんよね」
「……えと、その」
「大丈夫なんかじゃない。そうやって自分に言い聞かせてるだけで、身体の悲鳴を聞かないようにしているだけです」
子供に言い聞かせるような言葉にエルメルアは反論できなかった。全部本当の事だから。
だけど、無理をしなければ守りたいものは守れない。例えそれが自分の身を壊す手段だとしても……。
「でも、私がやらなきゃ。私にしかできない事……だか……ら?」
そう想いは強くても、やはり身体は言う事を聞かない。ぐわんと歪んだ視界では立つこともままならず、右目の激痛が更に酷くなる。
ふとしたきっかけによる体温の上昇、休みを挟まない恩恵の使用、そしてそのまま長話……思いつくだけでも、こうなった理由はすぐ出てくる。
むしろ今この瞬間まで倒れなかった事が不思議なくらいだ、昨日からこんな症状でずっと続いて生活をして本当によく……。
閉じる視界、落ちていく意識の中。こんな戯言を思った。
ああ、もしかしたら。リグレットとまともに会話をして、安心して気が緩んでしまったんだとか。
一生懸命なリグレットに置いてかれないように、自分も一緒に着いていきたかったのかもだとか。
どちらにしても、私は結局リグレットに迷惑をかけてしまって愚かだな……だとか。
そんな自虐と共に、エルメルアは目を瞑る。