30. 精霊の胸騒ぎ
一国の王の部屋に向かっているというのに、誰1人としてすれ違うことなく、ただ靴音だけが木霊する。騎士団の者は災厄の被害で大半が亡くなったと聞いたが、城に住む者も例外ではなかったのか?それにしても、だ。
「こうも静かなのは……あまり好きではありませんね」
普段は静寂を好む私ではあるが、ここだけはそういう訳にはいかない。城内の風景も、レリーフが施された白い廊下も、どれも私が知っているブランとは風変わりしているのに、このがらんとした空気だけは変わることなく私の心を責める。
かつての女王、セフィア。最善だとは言え彼女の意思に反する決定を促しに行く時も、こんな空気だった。いつもは賑やかな廊下が嘘みたいに静まり返って、歓迎しないかのように見守っていたのだ。
「……時に最善は、最大の悪となる」
ぽつりと呟いたのは、いつか誰かが言っていた言葉。
最奥で静かに待ち受ける扉へと歩みを進めながら、頭の中で考えるのは最悪の結末。
今回の災厄。被害はパレンティア全土に渡っていたが、もしそれが「そうするべき最善」であり、「見せかけの最悪」だったとすれば?
そうすると、来るであろう「二度目の災厄」に対する回答も変わってきてしまう。災厄を止めるというものから、災厄を受け入れなければならないという回答に。
だがそれは皆に受け入れられるのか? これが最善だと二度目の災厄で死にゆく人々を見捨て、真の最悪から世界を救うという選択が。
「あくまで推論……こうなる結末ではないと願いますが」
不透明な推論をした理由は、13年前の聖戦による創始者達への被害。あれにより大半の創始者は権能をまともに使うことはできない。
1番大きいのは、やはりセフィアだ。全てを予測できていた「万象の観測者」は死んだも同然。休養したとはいえ全快した訳ではないからだ。
確かに表向きは「七天の創始者が聖戦からどれだけ回復したか」なのかもしれないが、どうにもそんなものではないと胸騒ぎがしてならない。
「……杞憂がすぎるのは私の悪い癖、仮にそうなったとしても私達は使命を果たすだけだと言うのに」
どちらに転がっても、世界が滅ぶのが運命だと言うのなら私達は災厄だろうが、それに隠れた最悪のものだろうが関係なく『叛逆』して運命を変える。
ただそれだけだというのに……それではいけないと本能が言っている。それでは再び、同じことを繰り返すと。
「どちらにしても……災厄の真相は突き詰めなければならない。起こした犯人も、その真意も」
最奥に立ちはだかる重い扉をゆっくりと開け放ち、中へと入る。人の気配を感じさせない暗い室内ではあるが、地面に投げ捨てられたようなウィンプルに、魔力の痕跡からして、来ていた人物はすぐさまわかる。
「筋金入りの親バカなんですから……」
取り囲うように残された魔力、その中心で眠っているのはエルメルア。それらはまるで「起こさないでね」と言いたげで、わざわざこんな風にするのはその親であるセフィアしかいない。
それに無理やり起こさなければならない用事もない。
当分は私達はリグレットの訓練のために、ここに残る予定であるし、調べておいた資料はどれもわかりやすいようにしてある。今話すより、彼女が読んだ上でわからない場所を集中して教える方が効果的だろう。1冊の本を取り出して、それをすやすやと眠るエルメルアの傍らへと置く。
「私も今夜眠る場所を探さねばなりませんね」
気持ちよさそうに眠るエルメルアを見ていれば、自然と小さく口が開いて欠伸をはじめる。普段睡眠はティナに任せているから、眠気というのを感じるのが随分と懐かしく感じる。前はティナが起きている時に仮眠を取っていたが、今はティナが起きているのも珍しく、調べる事などが多くてティアも中々寝ていなかったのだ。そろそろ身体を休めるべきだろう。
エルメルアが起きた時の書き置きは残しておこうと文字を刻むが、1度睡魔が襲ってくるともう手遅れのようで明日起きた時で良いのではないかと思ってしまう。
「今は夕暮れ時……月が顔を見せ始めるまでなら、少しくらい……」
そんな誰に言う訳でもなく自分を甘えさせて、書き置きを片付けて、座ったまま目を閉じる。
完璧に寝る訳では無い、これは仮眠……と言い聞かせながら、ティナは久々の睡魔に身を委ねるのだった。




