2. 白の姫と従者
「……では姫、ここで待っていてくださいね」
そう言ってリグレットはドレッサーのある方へと向かう。
エルメルアは言われた通りその場に座って、リグレットを眺める。しかしリグレットがこちらを向きかければ、すぐさま視線を逸らして、目が合うのを避ける。
悪いことをしているようで、心臓がドキドキしている。違う意味でもドキドキしているが……。
そのせいか今まで気にならなかった、外からの声がとても聞こえる。
「「あのっ………………」」
お互い、考えることは同じだったらしい。
何か話そうとしてリグレットを見れば、同じようにリグレットはエルメルアを見ていて、自然と目と目が合う。
そして生まれたのは会話ではなく沈黙。数秒後には仄かに頬を染め、それを隠すように早足でリグレットは座っているエルメルアの背後に移動する。
「……えっと、じゃあ寝癖直しますね」
背後からはすりすりと手を擦る音。
その音が聞こえなくなってから、優しく髪を触られる。その後に撫でるように手櫛をされる。荒々しいようで繊細なその手つきが気持ちが良く、自然と力が抜ける。
「そういえばリグレット、私に何か要件があったのではないですか?」
心地良さに身を委ねながら、エルメルアはリグレットが自分の元へ訪れた理由を尋ねた。
リグレットとは自分が5歳の時から世話役として一緒にいる関係ではあるが、女性の部屋に男性が気軽に訪れるものではないという配慮からか、リグレットがエルメルアの部屋に訪れるというのは珍しい。きっと何か理由があるはずなのだ。
「ああ、それは即位式の準備ができたので、姫にはリハーサルも兼ねて見ていただこうかと」
手櫛をしているのを止めて、リグレットは軽く返答をする。何となくそんな気はしていたが、少し期待はずれだったので気づかれないように頬を膨らます。
「別にそれくらいなら、リグレットじゃなくても他の世話役がいるでしょう」
「他の従者にも声を掛けたのですが……皆忙しそうにしていて」
代わると言っても頑なに断られて、と言って一旦止めていた手を再び動かし始める。次は手櫛をしながら、形を崩さないように微弱な風魔法で乾かすといったもの。
他の世話役が来ない理由を聞き、何となく理解する。
リグレットは気づいていないだろうが、私がリグレットに憧れているのを何故か他の世話役は知っている。……決してその事を言ってないのだが。
とはいえ朝の弱いエルメルアを起こしに来たり、酷い寝癖を直しに来るのはリグレットではなく女性の世話役であるため、女性として見られて恥ずかしい時はリグレットには頼まないのだろう。
それでも今日もかなり恥ずかしい部類に入るはずなのだが、実を言うとエルメルアは一度世話役に起こされている。生返事をした覚えも僅かにある。しかし世話役が去った後に睡魔に負けて二度寝してしまったのだ。
そんな事など知りもしない世話役達が「姫様は起きているからリグレットに行かせても大丈夫!」という会話をしたに違いない。
次からは睡魔には負けない……と心に誓ったエルメルアは、ふと声の聞こえなくなった窓の外を眺める。
そこには王城の中庭に作られた会場がすぐ側に。
今日準備をしたとは思えない、まるでそこに最初からあったかのような立派な会場に目を見張る。
「……本当に私が女王になって、いいのでしょうか」
自分には不釣り合いな立派な会場を見て、ぽつりとそんな言葉を零す。
それもそのはず、エルメルアはまだ16歳という若さであるし、そもそも自分に国民が慕ってくれるのか。そんな不安さえ今は感じている。
零してしまった弱音に思わず訂正しようとしたが、リグレットに無理して誤魔化していると言われる気がしたため口を噤んだ。
「姫には、王としての器があると私は思っていますよ」
リグレットは続ける
「姫が小さな時から見守ってますし、誰よりも強い覚悟を持ってますから」
そう言ってリグレットは髪型を崩さないようにくしゃくしゃと頭を撫でる。
……エルメルアが不安な時にいつもしてくれる事だ。
「姫はわかりやすいんです」
撫でる手が止まったので振り向けば、リグレットは微笑んでいた。
1番長い付き合いだからこそ、何かもお見通しなのだろう。本当にリグレットには隠し事ができない。
「はい、姫。寝癖、直し終わりましたよ」
リグレットに言われ、エルメルアは鏡を見れば、寝癖などない艶々とした髪の自分がいる。
元々ふわふわさらさらの髪質ではあるが、今はもっと生き生きとしている気がする。
そして髪と合わせて、自身の服装を確認する。
リグレットが訪れた時に起きた騒動が終わり、心を落ち着けている間に自室の中の個室で着替えたのだが、動揺していたため乱れていたり変なのを選んだかもしれないと気になっていたのだ。
今のエルメルアは、白を基調としたオフショルダーの膝丈ワンピースにパンプスと、エルメルアの見た目も相まって清潔感と可憐さが際立つ格好だ。ちらりと見える肩や、すらっと伸びた脚……控えめな露出が尚更その姿を魅力的にする。
「よく……似合っていますよ、姫」
「……?リグレット、どうしました?」
「……気のせいです。行きますよ、姫」
否定はしつつも、足早にこの場を去ろうとするリグレットを見て、やっぱりこの格好は変だったのかなと思いながらエルメルアはリグレットに置いていかれないように自室を後にするのだった。
「3年前……災厄によって、この国が壊滅していたというのは嘘みたいですね。」
エルメルア達は汚れのない白一色の王宮内を歩く。その中には亀裂が残った場所や、色が違う場所などが数箇所ある。
それを見て嬉しいような、それでいてどこか憂いを帯びたようにエルメルアは呟く。
3年前、パレンティア大陸全土に甚大な被害をもたらした災厄。そのほぼ中心に位置したブランは王宮や国民の家だけでなく、様々な人の大切なものを失わせた。それでも王宮を前と変わらない状態まで修復できたのは、国民が自分達の土地よりも王宮の修復を優先したいという声を上げてくれたおかげであるし、それだけ父が王として信頼されていたというのがわかる。
「やっぱりお父様は、凄い方です」
様々な事を考えながら、あらためて父を尊敬する。
王としてだけではなく、騎士団の団長として最前線で戦い、災厄という得体の知れない恐怖にも物怖じすることなく国民の避難が終わるまで一人残って耐え続けていた。
災厄が収まって、父がいた場所に向かった時には姿はなく、3年経った今でも連絡がつかない事から亡くなった、というのが妥当だろう。
「前代の王……ラフィデル様には、何度もお世話になった事があります」
リグレットが少しだけ気まずそうにしている理由は、エルメルアにはよくわかる。
「小さい頃リグレットが、よくお父様に怒られていたのは覚えてますよ」
ふふっと笑いながら、思い出す。リグレットがエルメルアと6歳差という他と比べればかなり近い年の差で世話役に選ばれたのには、父なりの配慮がある。母はエルメルアが物心着く頃には亡くなったと聞いていたし、父は王や騎士団の団長という立場でエルメルアとの時間を全くといっていいほど取れず、だからといって遊べる同年代の子もいない。そのため代わりとして、その時の一番歳が近かった騎士団見習いのリグレットを世話役という名目でエルメルアの遊び相手にしたのだ。
今でこそ父に代わって騎士団長となりエルメルアの従者として傍にいるが、当時のリグレットは早く騎士団に入りたい一心で、あまりエルメルアの面倒を見るのが好きではなかった。そのためエルメルアを泣かせることも多々あり、その度に父から怒られていたのだ。
それから2年後、無事に騎士団に入ったリグレットはエルメルアに王族として相応しくなるため行儀作法や勉学、魔術を教えてくれた。
やっぱりお父様には感謝しかないな、とエルメルアは思いながら気づけば即位式の会場前へと着いていた。
中に入ると、準備をしていた世話役のリーダーであるマルマットが、最終チェックを終えて王宮の上の方を見ている。
方向的に考えて、エルメルアの自室であるしリハーサルをするためにエルメルアを待っているのだろう。
「あの、ママさん……遅れてごめんなさい」
「あら、姫様いい所にいらっしゃいました。遅れてなどございませんよ、寧ろまだ予定より1分8秒早いくらいです。さぁ、こちらへどうぞ、今からリハーサルを始めますからね!ご心配なく、リハーサルはすぐ終わりますので」
時間を気にしているようだったので、おずおずと謝るエルメルアを視界に捉えると、待ってましたと言わんばかりの早口でエルメルアを捲し立てるその様子に、リグレットはやれやれと肩を竦めるのだった。