27. 記憶の残照
ブランからフェアリーランドまでの移動中。セフィアは懐かしい日々を思い出す。忘れることの無いあの日々を。
薄れる意識、消えかける身体。
息を吸う度に入ってくるのは激痛。
「心核を傷つけるのが……ここまでなんてね……」
ふよふよと力無く浮く心核と呼ばれた結晶。それはズタボロになっており、いつ砕け散ってもおかしくなかった。
万象を司るには、小さすぎた器。それを補うために創造した心核。その心核が壊れれば、権能の負荷は全て私の身体へと襲いかかる。
本来なら七天の創始者の権能に負荷という概念は存在しない。しかし万象を司る権能……名を『A』。これだけは他とは違う。
他の権能も強力なものばかりだ。言ったことを信じ込ませるもの、夢の世界を行き来し夢を自在に操るもの、範囲こそ限られるがその領域を支配する事ができるもの……普通からすればどれもありえない超常現象ばかりではあるが、その中でも『A』は飛び抜けている。
万象を司る権能……言ってしまえば「何でもできる能力」。
何でもできるが故に、自分の思ったことは何もかも実現してしまう。もっと言うならセフィアが関わる全ての事象に勝手に干渉するのだ。だから他の権能とは規模が桁違いで、その規模の大きさが負荷の原因になっている。
他の権能は確かに強力ではある。だがそれは「限られた範囲内」という手枷があって、それが存在しない『A』に与えられた手枷がセフィア本人への負荷という訳だ。
何でもできる権能ならば、その負荷を無くしてしまえばいい。そう思って実践して見た事もあるが「権能の使用によって生じる負荷」と「権能によって負荷を生じなくする」という矛盾が生まれて、自壊しかけたので直ぐにやめた。
それを踏まえて、創り出したのが「心核」というもの。
与えたのは「権能による負荷を肩代わりする」という機能。これによってセフィアに負荷がかかることはなくなったというのに、つい最近起きた戦争によって自分自身と心核を傷つけられたのだ。心核の肩代わりが不可能になった訳では無いが、傷つけられた状態では壊れてしまう。
心核は壊れると治すのに時間がかかるため、結局今は負荷をセフィア自身で負っている。
「……起きた事を悔やむのは、やめよう」
自分の想定外の事とは言え、何でもできる権能ならば、それを見越した対策をしておくべきだったのだ。溜息代わりの咳をしていれば、ぎこちなく動く扉が目に見えた。ゆっくり開いたり閉じたりする扉をしばらく眺めていれば、娘のエルメルアが不安そうに顔を出す。
「おかあ……さま?」
「うん? 何かあった?」
心配させまいと微笑みかければ、愛娘は私の元へと駆け寄ってくる。ベッドから半分身体を出しているが、それでは私の顔を見る事ができず、顔を見ようと必死に飛んでいる姿はなんとも愛らしい。
「んっ……しょっ、と。はい、これでいい?」
腕で押して身体を起こせば、顔を見られるようになったからかエルメルアは飛ぶのを止める。支えていなければ身体を起こす事もできない自分が憎たらしい。手を伸ばせば頭を撫でられる距離だと言うのに、それさえできないほど弱ってしまったのだ。
「お父様と一緒に遊んでたけど男の子が来たから、お母様とお話しようと思って」
4歳になる娘は恥ずかしがり屋で、夫に用のある知らない誰かが来るとこうして私の元に逃げてくるのだ。この話の様子だと来た男の子はブランシュ家の子供の確か……リグレットだったような。
「いいよ。お話しよっか」
娘のお話、これが最近の私の楽しみなのだ。ここからあまり離れる事ができない私にとって、娘の見ている世界は新鮮で何より成長を感じられて嬉しいのだ。
夫と遊んだ事、魔術の基礎を学んだ事、庭の花で花冠を作ったなど、話し始めれば止まる事はない。そうして段々と声が聞こえなくなってきて、気づけば寝ている。その寝顔を眺めるまでがセット。
「エルメルアは……寝たか」
「うん、話し疲れたみたい」
真っ赤なオレンジが部屋に入り込む頃には、夫であるラフィデルが部屋に入ってくる。娘を探しにきたらしい。
「今日もお疲れ様。団長と王の役目を背負わせちゃって」
「いや、いい。君は気に負わずゆっくり休んでいてくれ」
「……ありがと」
本来私のやるべき王の役目を喜んで引き受けたのは夫ではあるが、何もしないというのも気が引ける。だからといって何かできる事があるのかと言われれば、首を横に振る事しかできないが。
「娘はどうする?」
「今日は……うん。一緒に寝たいかな」
「……わかった」
そう言ってラフィデルはエルメルアを私の隣へと寝かせて部屋を後にする。団長としての仕事が残っているのだろう。視線でラフィデルを見送り、姿が見えなくなってからエルメルアへと移す。場所を動かされてもすやすや眠って幸せそうな顔をしている。
思えば、こうして一緒に寝るなんていつ以来だろうか。王の役目を優先して、まだ時間は沢山あると思っていたらこのザマだ。目の前の娘を抱くことも、頭を撫でてやる事さえできない。
「母親失格だよ、ほんとに…………っ!」
自身への悪態を吐いていれば、それを責めるようにやってくる痛み。痛む度に自分の身体が消えていく感覚と薄れていく意識。そんな中視界に入ってくるのは無表情の女性。
「ティア……か」
「ええ、そうです。定期報告の時間ですから」
「そう……だったね」
「酷いようなら心核の使用も視野に……」
ティアの助言を横に振って否定。ここで心核を壊してしまえば敵の思うつぼだからだ。
とはいえ、セフィアの無力化という意味では今の状態も狙い通りだろうが、改めて心核を創るのと、心核を治すのではかかる時間に大きく差が出る。それならば、痛みに耐えて心核を治した方がいい。
「ただ……この様子なら、私の我儘も程々にしないとな……」
この状態を続けて1年、容態は悪化していく一方なのだ。
私の発言に、ティアは目を見開く。ティアは前々から魔力の澄んだフェアリーランドで療養する事を勧めていたが、娘の傍にいたいと拒否していたから。
「本当に……後悔はしませんか?」
「後悔がないと言えば嘘。でもこのままじゃそんな後悔もできなくなる。だから大人しく治すよ」
それに、再び戦争が起きる可能性だってある。お互い消耗して、お互い動けないというのが今の状態で、戦争が終わったわけではないから。
「……夫にも、この事は話してあるから。心配しないで」
「貴方のお好きな時に来てください。こちらの準備は万端ですから」
そう言ってティアは深く頭を下げ、その場から消える。去り際に残した表情から、私が嘘をついていることは気づかれているだろう。当たり前だ、本当はずっとここにいたい。
でも仕方ない。私情よりも優先されるべきなのは、世界の命運を背負った『七天の創始者』としての役目だから。
自分にそう言い聞かせていれば、腕に抱きつかれる感覚。ちらりと見れば、エルメルアが抱き枕と勘違いしているようだった。この様子からしばらくは離れそうにない……そう思った時、エルメルアがぶつぶつと何か言っているのが聞こえた。
「おかあさま……」
何か悪夢を見ていたのかエルメルアの閉じた瞳には雫が溜まっている。不安げに震える声に、耳を傾ける。
「約束して、どこにも行かないって、ずっと傍に……んぅ」
か細い声だった。しかしその叶うことの無い小さな約束だけは、はっきり聞こえた。あまり自分の気持ちを言う事のない娘が初めて吐露した本音だったからこそ、心に残る。
開いた口は何も言えない。ただ乾いた笑いだけが流れ出ていく。小さな子供の約束すら叶えてやれない私は、あまりにも無力だった。何でもできる権能の癖に。
その日王城に響いていたのは誰も聞いたことも、見たこともない万象の観測者の涙と嗚咽。
「もう12年……か。私からすれば遂先日だけど」
懐かしむ頭を切り替える。虚空の旅はもうじき終わるのだから。
結局私は、その数日後にブランを離れる事になった。病によって亡くなったという理由で。
もちろん離れる事に躊躇いはあったし、ずっといたい気持ちは嘘ではなかった。日に日に蝕まれていく体を大丈夫だと言い聞かせて、遂には死を目の前にしても我儘を言い続けた私を、ティアと夫が療養させる方向に決めたのだ。
抵抗する力もない私はフェアリーランドへと行き、そこに着くなり死んだように眠った。眠っている時でも、王城の様子はティアが教えてくれた。
それでも心残りだったのは、愛しい娘との叶えてやれなかった小さな約束。傍にいられなくなると理解して、普段は表に出さない感情をむき出しにした娘の姿は権能の負荷なんてどうでも良くなるほど、深々と心に棘が刺さったように痛んだのを今でも覚えている。
フェアリーランドでの療養をしたとはいえ、セフィアの体は完治とまでは行っていない。というのも3年前の災厄によって半ば無理やり目覚めさせられたから。先日のように感じるのも、その前の9年間をずっと寝ていたから。
我儘を言わずに早く療養していれば、完治までできていたという意見にはぐぅのねも出ない。
「あ、おかえり」
「ただいま……その様子だとティナか」
すとんっと虚空から降り立ち、前を見れば今にも出かけようとしているティナリアがいた。いつもの丁寧口調は無くなって、顔つきも少し明るい。という事は今はティナが起きているという事だ。
「うん、ようやくね。とは言っても、まだまだ本調子じゃないけど」
「そっか。それで、どこに行く気?」
セフィアの問いかけに対して、ティナは困ったような顔をする。
『ブランです。そろそろ調べ終わった事を伝えに行こうかと。……まぁ、後はちょっとした特別訓練です』
2人の沈黙に割って入ったのはラピスラズリのペンダント……ティアだ。ティナが主導権を持っている時は、紛らわしいという理由から、こうしてペンダントを通じて会話するのだ。
「ん、気をつけてね。最近また出始めたっぽいから」
『また……。まさか魔獣、ですか?』
「そ。数は少ないけど」
「全部潰しちゃダメなの?」
「ダメ。向こうとの関係わかるまではね」
セフィアの静止に、ティナは「ちぇっ」と残念がって、ティアがティナに溜息。2つで1つの生命体は互いに正反対の性格であるのに、その絆は固くて誰にも負けない強さがある。ティナリアとは長年の付き合いではあるが、全く理解のできない部分だ。そこが面白いのだが。
『とりあえず、私達はもう行きますよ』
「ん、足を止めさせてごめん」
セフィアのその言葉を聞いて、ティナリアは華麗に空へと舞う。それを見送って、セフィアは自分の手のひらを眺める。
ずっとずっと、娘の頭を撫でたくても撫でられなかった手のひら。時には王を、時には七天の創始者を、そして負傷した体を言い訳にして、ずっと娘のしてほしかった事をしてやれなかった。
「……待っててね、エルちゃん」
見つめていた手のひらを、そっと握って胸に当てる。
願いが、祈りが、今も眠っている愛娘に届くように。
許してほしいとは言わない。ただ今まで塞ぎ込んできた事を、言えなかった事を、何もかも全部やらせてあげたい。
そして今度こそ、あの約束を叶えてあげたい。
それが今の、私の勝手な贖罪。




