26. 冷戦
え……め……あ……、……る……あ。
真っ暗の世界、迷子の私は声を頼りに歩く。
手も足もないのに、歩いている。
見渡す限りの黒、聞こえるのは微かな声だけ。
える…………めるあ…………。
また声がした。でも暗闇の中だから方向はわからない。
パキッ……と何かが割れた。
そして感じる浮遊感。上も下も、右も左もわからない世界なのに、このまま落ちたらダメだと思った。
だから懸命に手を伸ばした。手なんて無いのに。
伸ばしても伸ばしても落ちている気がした。
あぁ、ダメだ。また……私は……………。
「エルちゃん…………!!!!!」
真っ暗な闇に飲み込まれる。そう思った時、無いはずの手を誰かに握られる。握られると同時に景色が一変。
先程までの暗闇はどこにもなく、あるのは白い天井。
背中の感触からして王城内のベット上だろうか。
周りはちょっとした小物や鏡……そして王の証である花の冠。どうやらここは自分の部屋……らしい。
それにしても先程の母に似た声は何だったのだろうか。
「おはよう、エルメルアちゃん。とは言っても厳密にはおはようの時間じゃないけどね」
暗闇の中での声の主を辺りを見回して探してみるが、代わりに見つかったのは黒髪のお姉さんだ。久しぶりの再会で、身体を起こそうとするが倦怠感がまだ残っていて上手く動かせない。
「あんまり動かない方がいいよ。魔力性の貧血なんだから」
魔力性貧血。言われてみればそうだ。リグレットを助けるために無我夢中だったが、治療魔術の他にも『万花せし星の光』など魔力消費はしていたのだから。
それが緊張が解けた事によって、遅れてやってきたのだろう。
「ありがとうございます……お姉さん」
「礼ならあたしじゃなくて、そっちに言ってあげて」
お姉さんはベッドの傍らを指差し、エルメルアもそれに伴って視線を動かす。すると見慣れないシスターがすやすやと眠っているではないか。
ブランにも教会はあるし、シスターだっている。しかし災厄による被害によって今は教会の活動は行われていないはずなのだ。だから修道服を来たシスターは滅多に見なくなったのだ。
「ほら、起きなさい」
「…………ふぇぁ?」
お姉さんは軽くシスターを揺する。部屋に響き渡る腑抜けた声と、ゆっくりと顔を持ち上げて目を擦るあどけなさ……そして容姿からエルメルアよりも年下だろうか。
「ふぁ……ごめんごめん、いつの間にか寝てた……わふ」
「エルメルアちゃんが困ってるから。早く動いて、ほら」
再び寝ようとするシスターをベッドから引き剥がし、そのまま前後に揺らすお姉さんだが、全く動く気配のないシスターにため息をついてすぐに揺らすのをやめる。
「せめて自己紹介くらいはして」
「はぁ……仕方ないな…………」
呆れた言葉を聞いて、ようやくシスターは動き出す。
軽く伸びをした後、ぺこりと一礼。そんな単調な動きではあるが優雅さが滲み出ていて、それはどこかの国の王女といっても過言ではないほどだ。
「エルち……こほん。エルメルア様の治療をさせていただきました。シスターのせ……んんっ。フィアです、フィア」
言葉を噛んだ……というより言い間違え……だろうか。本人は満足そうな顔をしているし突っ込まない方がいいのだろうか。
「……ええと、フィアさん。ありがとうございます? でも私、特にそんな酷い怪我とかでは…………」
「ああー。あのね、頬に怪我してたでしょ」
魔力性貧血というのは安静にしていれば自然に治るものであるし……だなんて考えていれば、お姉さんがするりと会話に混ざる。確かに頬に怪我はしたが、そんなにも慌てるようなものじゃなかった気がするのだが。
「顔に傷残されても困ります。…………自慢の可愛い顔なんだから」
ぼそりとフィア。ぶつぶつと言っていて、最後の方は聞こえなかったが、確かに言う通りだ。仮にもブランの王なのだから、顔に傷というのは望ましくない。
「でも時間が経っていますし、流石に傷跡までは……」
傷を負ったのは昨日の夜中で、その後王城に帰ってくる頃には日を跨いでいたのだ。最速で治療したとしても無理がある。そんなエルメルアに向けて、フィアはドヤ顔で鏡を置く。その鏡の中にいるエルメルアの頬は、足跡1つない雪原だった。
「それを可能にしてしまうのが、フィア特製軟膏という訳ですよ! なにが凄いのか作った自分ですらわからないけれど、とりあえず凄いの。説明難しいからざっとするけど……」
まるで商人の売り文句のように、すらすらと特製軟膏について語るフィア。ざっと説明するという言葉通り、擬音語まみれの説明は全く理解できないが、とりあえず凄いらしい。
「ぷっ…………あははは」
「説明の最中に笑わないでくださいよ!……もう」
「ご、ごめんなさい。なんだかお母様に似ていて」
思わず笑い声が漏れる。フィアというシスターはなんとなくだが母にそっくりなのだ。ころころ表情が変わる所だとか擬音語が多いところだとか話し方だとか……。
「ふ、ふーん? そう、なんだ。まぁいいわ」
少しだけ浮かない顔をフィアはして、そのまま話を続ける。ただやはり、あまり理解できない話を横になって聞いている、というのも眠気が徐々にやってくる。それに母の声に似ているからか、安心できてしまうのもある。
起きたばかりだというのに、瞼は重さを増していき、次第に視界が狭まる。今では軟膏の説明が子守唄のようだ。
「それで軟膏の主成分は…………って寝てるし」
「あんた、話長すぎなのよ……あたしも眠くなってきたわ」
ふぁぁと欠伸をしてみせる女性。フィアはため息をして、被っていたウィンプルを脱ぎ捨てる。その中からばさっと溢れ出てきたのは腰まで届く白金の髪。
「それにしても名前のセンス無いわよね……。フィアって。名前から1文字取っただけじゃない」
「うるさい。そもそもレグレアもエルちゃんに名乗ってないのズルだと思う。何、お姉さんって」
セフィアという名前から1文字とってフィアにしたのは確かにセンスないなと自分でも思っていただけあって、そこを刺されるとぐぅの音も出ない。
「ま、それは置いといて。どう? 黒幕さんは動いた?」
「全く。戦争の間ずっと見てたけれど、なーんにも」
「はぁ……規模が小さいから尻尾出さないのか、私らを警戒してるか……どっちだろうな」
黒幕の目的が「世界の破滅」であるならば、その余興である国中の混乱や戦争は眺めるだろう、という予測ではあるが、所詮は予測だ。そんなにも上手くいかないらしい。
「それより、エルメルアちゃんいいの? 起きたら……」
「起きないさ。あの軟膏にはちょっとした睡眠薬が混ぜてあって……てなんだい、その目は」
「いえ別に、娘に睡眠薬を使うことに引いてなんてないわ」
レグレアの冷めた目を受けながら、視線をエルメルアへと移す。すぅすぅと寝息をたてて眠る愛娘には申し訳ないが、ほんのすこーしだけ眠気を誘発させる毒を混ぜたのだ。もちろん無害であるし、医者も使用しているものなので心配はいらないが……やはり気は引ける。
「しかし困ったな……何も得られないというのは」
「そうね……あー、でもちょっとした違和感ならあったわ」
諦めかけていた所を踏みとどまる。視線をレグレアに戻して続きを促す。
「数こそ少ないけれど、『魔獣』がいたわ」
魔獣。無害な動物達が災厄に影響されて凶暴化した姿の事だ。災厄の発生した直後こそ多く見られたが、1年も経たずして絶滅した。理由はその凶暴さ故に、その器が壊れたからであったり、飢えによる共喰いだったり様々だ。
「魔獣……ねぇ。警戒しておいて損はないか……」
ブランとノワールの戦争中に魔獣を暴れさせれば、あわよくば両国とも潰せる可能性はある。それとも、それを阻止するために七天の創始者が動くのを誘っているのか……。
「一応、魔獣の事はダーリンにも伝えておいたわ」
「ありがとう。最悪の場合、対処は私達だが……極力それは避けたい」
互いに裏で誰が動いているのか、それを先に知られた方が負けだろう。
「この感じ……13年前を思い出すわ」
「皮肉にも、その13年前の戦いのせいで、影に隠れてコソコソしなきゃいけないんだが」
恐らく黒幕は13年前の敵と何らかの関係があるのは事実だ。下手に動けば七天の創始者の権能に敵わない事を知っている。
13年前の戦いで私達が本調子を出せない事は知られていない……と思いたいが、実際は不明だ。
レグレアは魔力が無くなれば死んでしまうから、権能を全力では出せないし、私自身も療養の合間に少し動くのが精一杯になっている。
「……あんた身体の調子は?」
「今は大丈夫。少なくとも、娘を守るくらいはできた程に」
「……それは私からも謝るわ」
「いやいい。咄嗟にあれほど『万花せし星の光』を操れる娘も見れたしな」
最後こそ、セフィアが軌道をずらさなければ危なかったが、風魔術自体はエルメルアが止めたと言ってもいい。
「ブランもノワールも皆……本気で戦ってるから、私の予測が外れるんじゃないかとひやひやしたよ」
「ダーリンも楽しそうだったしねぇ……リグレット君だっけ。とりあえず良い好敵手を見つけた顔してた」
「グリーフが認めるなんて中々だな、まぁ確かに夫も骨のあるやつだとか言ってた気もする」
黒幕を欺くための「盤上」ではあるが、ここまで来ると予測無しにどうなるか見てみたくもなる。
「とりあえず……次の戦争時も黒幕の様子見、ね」
「ああ。奴らが魔獣をどうするのかも気になる。……ただの生き残りだと嬉しいんだけど」
そんな呟きを聞いて、レグレアは「じゃ、行くわ」と光へと消える。そろそろエルちゃんも薬の効果が切れて自然に起きてもおかしくない頃合だ。そろそろ私も行かなければ。
最後に、そっと娘の頭を撫でようとして、手を止める。
今ここで、撫でればきっと私は…………。
「私は、ずっと見てる。絶対に守ってあげるから。だから…………だから、今はごめん」
聞こえることのない謝罪。ずっとそばにいたのに、撫でられなかった。4歳の小さな叫びとその後数年の独り言は今だって忘れない。
全てが終わる頃には、もう遅いかもしれない。
でもそれでもいい。小さな約束を叶えれるなら。
役目を終え、全ての重荷を脱ぎ去った時。
愛せなかった時間を、私はやり直す。
溢れて零れた、1つの涙を残して。
セフィアは虚空へと消えた。




