25. 残る傷痕
「姫、様…………?」
荒野となって、景色の変わらない風景では時間の感覚がおかしくなる。最初は数えていたが、今ではもう何度治療魔術を唱えたか分からないほど時間が経っている。
そんな中聞こえたのは心配した声色。
セアリアスだ。帰ってきて少し安堵する。
「セアリアスさん……お疲れ様です」
「い、いえ。……結局、心を鬼にはできませんでしたから」
セアリアスは申し訳なさそうに、顔を背ける。
しかしすぐさま顔を元に戻して、本題に戻る。
「そんな事よりも、この状況は……?」
「……たった1人によって、こんな惨状にされて……リグレットもその人に。……あ、そうだセアリアスさんは、ここに来るまでに誰か見ませんでしたか?」
「いえ……私も追いつくのに必死で、見逃したかもしれません……」
来た道のりを思い返す素振りをした後、セアリアスは首を横に振る。
「そう……ですか、なら探さないと」
「……私が探しに行きます。姫様はリグレットの傍に……怪我人を放置する訳にもいきませんし」
「で、でもその脚じゃ……」
淡々とその場を去ろうとするセアリアスを止める。
彼女だって脚に大きな傷を受けているのだ、1人で行かせる訳にはいかない。
「大丈夫です。姫様達を中心にして、見てきますから」
セアリアスはちらりと見て、エルメルアが反応するより早くその場を去ってしまう。慌てて追いかけようとするが膝上でリグレットの呻く声が聞こえ、気持ちを落ち着かせる。
セアリアスは大丈夫だと言っているのだ、私が信じなくてどうする。それよりもやるべきこと……重傷のリグレットの治療を優先するべきだ。かなりの時間治療魔術を行なっていたが、エルメルアの魔力に適していない治療魔術では傷の回復が遅い。
それに適していない魔術というのは消耗する魔力も多い。エルメルアに適している光魔術と波長が近かった『癒しの妖精』でも定期的に休まなければならないのだ。
ふぅ……と息を吐いて、頬を伝う汗を拭う。慣れない魔術はその制御も大変だ、暴発しないように慎重になる必要があって息が詰まる。
1回1回の魔術でも息が詰まるのに、それを何度も繰り返すとなると疲労が溜まる。折角恩恵による疲労が取れてきたというのにだ。
セアリアスが帰ってくるのは案外早かった。
治療に集中していたから、というのもあるかもしれない。
「おかえりなさい、セアリアスさん。それにリズラさんとセレーニさんも」
帰ってきたのはセアリアスとセレーニ、そして2人の肩を支えにして立つリズラだ。
「姫様に団長さん……無事で良かったぁ……」
今にもわんわんと泣き出しそうなセレーニは治療専門という事もあって怪我をしていないようで、酷いのはリズラの方だ。
「あはは……まぁ指揮を執ってただけあって最初に狙われちゃって……不意だったので、そのまま瓦礫に」
エルメルアの視線を受けて、リズラは自ら話す。セレーニが近くにいたお陰ですぐに治療ができたらしく、支えられれば歩ける程度にはなったらしい。
「無事でなによりでした……所で他の方は?」
「ロミはヴェルトに担がれて、今こっちに向かってる最中です」
「アウリュスさん達は、気絶したフェムくんとリルちゃんを安全な場所に逃がすために一足先にここを離れてるので大丈夫だと思います」
セアリアスとセレーニが、他の騎士団のメンバーの安否を報告する。一応全員生きている……それを確認できただけでも肩の荷が降りる。
結果はどうであれ、王として誰も失う訳にはいかないのだ。それも予知という力を宿しているのだから、尚更。
「……後はリグレットだけ、ですね」
未だ膝の上で眠る従者をエルメルアは心配そうに見守る。
手当てをしたとはいえ、もしこのまま目覚めなかったら……そう頭が悪い方へと思考を運んでいく。
そんな思考をぐるぐると丸め込むように、酷い目眩。
「……姫様、1度王城に戻りましょう。セレーニ、あれを」
「は、はい!!!」
セアリアスはリズラを1人で支え、セレーニに何かを用意させる。セレーニは慌てながら小さく畳んだ白い布を広げて、地面に置く。その布切れの正体は携帯用の担架だ。
「姫様ごめんなさい、団長さん動かす手伝いお願いします」
セレーニが申し訳なさそうに言うのを、快く了承する。
人手が足りないし、王であってもやれる事はやりたい。
担架にリグレットを乗せ終えると、遅れてロミとヴェルトがやってくる。
ロミはエルメルア達が会った時よりも回復したようで、今は自分で歩いている。
「リグレットは……そうか。僕らで運ぶよ」
状況を見て、王城へ戻ると察したロミは担架へと近づく。
ヴェルトが準備を終えたと同時に持ち上げる。
今回の目的はノワールを滅ぼす事ではなく、ノワールの猛攻から耐え、生き残ること。そういう意味では勝ったのだろうがとても誇らしい、とはいえない凱旋。
王城までの道のりは、とても長く長く感じた。
まだ誰も目覚めぬ時間帯とはいえ、戦いが終わってから随分と時間が経っている。
暁が差し込む医務室の灯りをつけ、全員がどっと息を吐いてベッドに座る。
「やっと終わった…………」
「えっ、と。皆さんお疲れ様でした……。それとごめんなさい、私の力不足で……」
エルメルアは団員達に向けて謝ろうと立ち上がるが目眩のせいでよろけてしまう。
踏ん張ることすらできず、倒れる……そう思い目を閉じる。
しかしぶつかったのは硬い床ではなく、もにゅっとした柔らかい何かに抱きとめられ事なきを得る。
「姫様のせいじゃないですよぉ、むしろ恩恵が無ければ、あの大群に飲み込まれてましたから」
声からしてセレーニ……なのだろう。確認をしようとしても体重を預けている身体が言うことを聞かずに顔を持ち上げられない。セレーニはそんな事を気にする事無く、ぽんぽんとエルメルアを撫でた後、そのままエルメルアを座らせる。
「むしろ力不足だったのは、私達白花騎士……まさか1人の男に全員で立ち向かっても勝てないなんて」
ノワールの中でも飛び抜けた強さのグリーフ……ブランにとって、最大の難敵。彼をどうするかが、今後の課題となる。グリーフと対峙したもの達がお互いの情報を交換し合うのをエルメルアは座って聞く。
しかしどこか意識がぼんやりとし始め、耳を傾けても一向に内容が入ってこない。
目眩はどんどんと酷くなり、本当に世界が回ってるんじゃないかと錯覚。
まだ眠る時間でもない……まだリグレットが目覚めてない、そうやって意識に釘を刺しても、すぐに抜けてしまう。
徐々に暗くなる視界と回る世界が、今自分がどうなってるのかさえわからなくする。ただ床に四肢が投げ出されたのは何となくわかった。
遠くで誰かが呼んでいる、でもそれが誰かはわからない。
ただ誰かに呼ばれている、それだけを知って、私の意識はぷつりと途切れた。
 




