15. 白の姫と秘密の特訓
「用事は終わった?」
従者のミミが帰った後、姿を消していたお姉さんが現れる。その顔は少しだけ辛そうな、何かを耐えているような表情だった。
「続きは夜って……」
「……いえ、早く済ませれるなら今のうちの方がいいかなって」
ふと窓の外を見れば今は夜と夕方の境目といった空をしている。それは青紫と橙が混ざった色をしており、綺麗でありながら何処か不気味な雰囲気を漂わせている。
夜じゃないのか、とは言ったが、今のエルメルアにする事はないし、お姉さんが言っていた「災厄が終わっていない」ということについても早く知りたかったので、今からの方が都合がいい。そう考えながらエルメルアは話を先に進める。
「それで、災厄が終わっていないというのは……」
「そのままの意味よ。災厄の被害は大陸全土。でも被害の程度は場所によって違う……なんというか故意的に狙ってる感じがするのよ」
そう言いながらお姉さんは指をくるくると回す。その指を追うように光が集まり、やがて1枚の紙となる。お姉さんはその紙の内容を確認した後、エルメルアに渡す。
「これが知りうる限りの被害の程度よ」
渡されたのはパレンティア大陸の地図。赤が濃く塗られている所は酷かった所……だろうか。
確かにブランは濃いのに、隣の赤の国……ルブルムは全く塗られていない。そんな不自然が所々にある。
「では、災厄は誰かが引き起こしたということですか?」
「ええ……。今回のはどこまで私達が対抗できるか、そんな様子見程度じゃないかなって。だから必ず次の災厄は起こるだろうし、次は本気で潰しに来ると思ってるわ」
様子見でこの被害ならば、本気で来たらどうなるのか。
考えるだけでも恐ろしい。そんな固くなったエルメルアの表情を見て、お姉さんは笑う。
「大丈夫。国同士で協力すれば何とかできる」
「で、でも! 今は協力なんてできる状況じゃ…………あ」
そう言いかけた所で、エルメルアの中で何かがストンと落ちる。
「そうか、災厄の原因がわからないから……」
今協力ができない理由。それは災厄が原因不明ということによる国同士の中での混乱や猜疑心があるからだ。
つまり災厄の原因が国や自然現象ではなく、他にあるという事が伝わればいい……そういう事ではないのか。
そう頭の中で纏めて、お姉さんをじっと見る。
「そういうこと、流石理解が早いわね」
そんなエルメルアの表情から、お姉さんは察したのか、うんうんと頷く。
そして、パチンッと軽快な音が室内に響き、それを合図に紙の姿をしていた光が弾けるように散り散りになって消えていく。
「今の混乱している状況を元凶は必ず利用するはず。だからそれを逆にこっちが利用するのよ。混乱や争いをしているように見せかけて、秘密裏に協力関係を作っていく」
そう言うとお姉さんはそっとエルメルアに近づく。
「そのためにも、まずはエルメルアちゃんが恩恵を制御できるようにならないとね」
そう言ってお姉さんは髪を耳にかける。
夕焼けが少し強くなり、お姉さんを照らす。橙の光で輝く黒髪とお姉さんの仕草が妙に艶っぽくてエルメルアは見惚れる。そんなエルメルアの様子を見て、お姉さんは微笑。
その表情にエルメルアはドキッと胸が高鳴る反面、寒気がした。何かされる、そんな気がして1歩下がる。
「…………そんな怖がらなくても、何もしないよ?」
じりじりと距離を縮める姿は、やはりどこか信じ難い。
しかし、何をされてしまうのか少しだけ期待している自分がいて、複雑な気持ちになるエルメルアだった。
「じゃあ、次はこれの未来を少しだけ見て」
「……はい」
言われた通りに視る。そして視た未来をそのまま伝える。
恩恵の特訓を開始してから、ずっとこれだ。お姉さんがどこからか持ってきた動物の未来をただひたすら視る。なんだか思っていたのと違うことに驚いている自分がいる……別に今のやり方に不満はないが。
「あの、特訓ならもっとペース早めた方がいいかと……」
不思議なのが、未来を視た後は必ず休憩をいれる。それも長めに。エルメルアが疲れたと言っている訳でもない。
「恩恵……特にエルメルアちゃんの予知は運命への干渉力が強いの」
しっかりとエルメルアの目を見て、お姉さんは真剣に話す。
「……本来なら運命っていうのは誰も変えることはできない。それが世界にとっての最善で、決められた運命には従うしかない」
運命。人は皆、決められた運命の上を歩いて生きているとそういう風に書かれた本があった。変えることはできず、ただただ受け入れるしかない。そんな不条理なものだと。
「そんな運命を変えることができるのが、恩恵。運命に逆らえるからこそ、その力を得るために代償が必要。そして運命に逆らうということは、ある程度身体に負荷がかかるってこと」
川の流れに任せて歩くのは楽でも、逆らって歩くのは難しいでしょ? と。最後に付け加えるお姉さんに、なるほどとエルメルアは思う。
「だから、適度に休む……エルメルアちゃんの予知なら、未来を視る長さと同じくらいの時間は休んだ方がいいわ。身体がどうなってもいいって言うなら、無理に使用する事はできるけど」
そういってお姉さんは動物達を消して、ちらりと外を眺め、考える素振りを始める。外は既に周りの景色が見えなくなるほど闇に染まっている。そしてお姉さんは、その中で唯一歩いていた男性を指さす。
「じゃあ次は、あの人の未来を視て」
そう言われて少しだけ、エルメルアは固まる。今までは部屋の中というある程度限られた中での未来視だったため、ここに留まるとかここに行く、椅子に登るなどの簡単な未来だった。しかし外に出ている人となれば、この間のような残酷な未来を視る可能性もある。
逃げたい、見たくない……そんな思考が、恐怖が徐々にエルメルアを蝕んでいく。
「…………予知」
でもここで逃げてしまえば、きっと後悔する。意を決して、恩恵を発動させる。あの時は何が何だかわかっていなかった。でも、今は違う。目を瞑り、深呼吸。そして頭の中でどれだけの未来を視るのかを思い浮かべる。
――あの人の未来を、私に教えて。
ゆっくりと目を開けて、そう唱えれば見えない右目は視えるように。
空に浮かぶ感覚、景色は左目で捉える闇夜そのもの。
エルメルアが左目で見ている世界の、ちょっと先の世界を右目で視る。
「……どうだった?」
「あの人、家の前の段差で転びます」
それを聞いて、お姉さんは笑う。
そしてエルメルアの両目を見て、ほっとした表情をする。
「もう、大丈夫みたいだね」
その言葉にエルメルアは首を傾げれば、お姉さんは笑いながら鏡を指さす。それに従うように鏡を見る。
左目はいつもと同じタンザナイトが、そして右目にはエメラルドが輝いていた。
「目の色が……変わってる…………」
目をこすっても、瞬きを何度しても、そのエメラルドの輝きは衰えない。むしろ、輝きは強くなる一方だ。
「恩恵は完全に開花すると、その力に深く関わる部位に紋章が現れる。目の色が翠なのは、その紋章が輝いているから。能力を解除すれば目の色は元に戻るわ」
そう言われて、エルメルアは右目に集中するのをやめる。
そして力を抜いて鏡を再び見る。そこには見慣れた自分の姿があった。右目の輝きは無くなり、その瞳にエルメルアの姿は映らない。まるでそれは先の見えない深海を覗いているようだった。
そうやって自分の目を確認していると不意に激しい脱力感と目眩が遅れてやってくる。ふらっとした所をお姉さんが抱きとめてくれたので、倒れることはなかったが。
「んー、少し初めてにしては使いすぎたかな。ごめんね」
感謝も伝えられず、ただお姉さんに体重を預ける。僅かに動かせた顔でふと時刻を見れば、特訓を開始してからかなりの時間が経過している。未来を視ていたせいか、自分の体感とかなり時間がズレている。
「片目ずつで別々の時間軸を見ているから、そこでの時差も生じる。だから今みたいに長時間発動しても身体には相当な負担になってるの」
よしよしと頭を撫でるお姉さんの手つきは優しくて、抱きとめてくれる身体はひんやりとしていて心地がいい。
「これが、恩恵を使うということ。まぁ連続した発動と長時間の発動に気をつけて、ちゃんと休憩すれば疲労は少ないと思うけど」
お姉さんの話を聞いていると、外で男性の驚いたような声が響いた。エルメルアが予知した男性が、その予知通りに家の前で転んだのだ。
それを見ていたお姉さんは、だいせいかーい、とエルメルアの耳元で囁く。それがくすぐったくて肩を竦めるとお姉さんは、ふふっと笑う。
「こういう風に予知することができれば、そしてそれに対してエルメルアちゃんが何か行動を起こせば、その未来を……結果を変えられる可能性がある。絶対とは言わない、変えた先の未来によっては同じ結果になるかもしれないからね」
お姉さんはエルメルアに優しく教えるように話す。
そんな2人を見守るように、闇夜に隠れていた月が輝きだす。部屋の灯りをつけていなかったため、その輝きはいつもよりも綺麗に見えた。
「ふぅ……じゃあ今日は帰ろうかな。エルメルアちゃんの好きな人も待ってる事だし」
「え……? あの、だから違います……!」
咄嗟に振り向いて反論しようとすれば、お姉さんは「がんばれー」と言いながら手を振る。そして徐々に月の光に同化するように消えていく。
先程まで抱きとめていた感覚がなくなり、がくっと落ちるような浮遊感。
振り向けたとはいえ、やはり支えられていたからできたのだろうか。エルメルアは自分の体重を支えることができず、その場にへたりと座る。
そしてパサっと頭の上に小さな紙が乗る。
その紙を手に取れば、そこには「明日も特訓、やるからね」と書かれていた。エルメルアが確認し終わる頃に紙は消えていく。ふと窓を見れば、月の光でよく見えないが蝶のような何かが飛んでいる……きっとあれはお姉さんだろう。
「姫ー? 入りますよ?」
「あ、はい!! どうぞ」
じっと蝶を見ていると、リグレットの声がしたので慌てて返事をする。しかし立とうとしても力が入らず、その状態でリグレットと目が合ってしまった。
状況を理解したのか、リグレットは無言でエルメルアに近づいて何を思ったのか、両手をエルメルアの両脇の下から背中へと回す。
「えっと、リグレット? あの、その。急にどうしたんですか?」
理解できない所ではない、唐突なスキンシップ? に戸惑っているし、何より近い。しかもこの状況をお姉さんは見ているのではないかと思うと余計に恥ずかしい。
「え? ああ……姫、すみません。私の背中に手を回してもらってもいいですか? 姫の様子からして立てないんじゃないかと」
そんな事は露知らず、リグレットは真面目に答える。
確かに立てない、立てないのだが。これでは余計に恥ずかしさで力が入らない。しかしこれ以上リグレットとの距離が近いのもどうにかなりそうなので、言われた通りに背中に手を回す。
「よし……じゃあ姫、合図したら少しだけ立とうとしてくださいね」
肩と肩がくっつくくらいに近づいて、耳元でそう言われる。エルメルアからすれば、もう限界だ。距離が近すぎて耳元に息のかかり、体験したことないほどのこそばゆさが全身にやってくる。その感覚に慣れようとすれば「姫?」と追い打ちが飛んでくる。
なんとかそれを耐えると、リグレットから「行きますよ」と伝えられ小声で大丈夫な事を示す。心は大丈夫ではないが。
「せーのっ!」
それを合図に、エルメルアも立とうと力をいれると、なんという事か。いとも簡単に立ち上がれるではないか。
「ええっと、ありがとうございます。リグレッ……ト」
素直に感謝を述べようとしてリグレットを見上げる。
そして、気づいてしまった。立ち上がったにしてはリグレットの顔の距離が近い。見上げる角度がほぼ真上、それがどういうことかと言えば……
そう、ほぼ密着しているのである。リグレットは立てないと思っているので、しっかりと抱いてくれているし、エルメルアもリグレットに身を預けている状態だ。
エルメルアは、むぎゅっ! といった擬音が鳴りそうな程自分の身体を押しつけているし、リグレットはリグレットでぎゅっと抱いている。
このまま何も言わなければ、ずっとこのままなのか。
それはそれで幸せではあるが、エルメルアの心臓はもう限界だ。自分でも聞こえるほど鼓動は高鳴り、思考も上手く纏まらない。腰の力が抜けてしまってリグレットにしがみつけば、それに答えるようにリグレットの抱く力も強くなる。
もうどうにでもなれ、そう思った時。エルメルアは見てしまった。月が雲に隠れ、丁度見えてしまった。
まるで、きゃーきゃー騒いでいるように羽根を忙しなく動かしている蝶を。そしてその蝶がニンマリと笑ったお姉さんに変わった瞬間、ぼっ! っと火がついたように顔が赤くなるのを自覚した。
「姫、どうかしました?」
恥ずかしさで震えるエルメルアをリグレットは心配そうにする。この事に気づいているのか、気づかないフリをしているのかは謎だが彼の場合は気づいていないだろう。
「あの、その。リグレット。私達、今、抱き合ってます」
小声で、ぽつりぽつりと。恥ずかしさの限界だったのか、エルメルアはぎゅうっとリグレットの服を握る。
しばらくして、その手を離してリグレットの反応を伺う。
その仕草でようやく気づいたのか、リグレットは抱いていた手をばっと離して距離を空ける。そしてやってしまったと言わんばかりに手で顔を隠す。
「すみません、姫……。なんというかその…………あ」
こうなってしまった経緯を話そうとして、リグレットは過ちに気づく。
とすっ……っと何かが落ちる音。
今のエルメルアは1人では立てない。落ちた音、つまりそれは…………。
恐る恐る下を見れば、俯いて頬を真っ赤に染めたエルメルアがへたりと座っている。
じとっ……とエルメルアに上目遣いで見られる。もじもじとしながら、両手を広げて待っている。
先程の動作を再びやるということは……改めてリグレットは己の無意識を恨んだ。
2回目だから早くできたとはならず、1回目よりも長く時間がかかった2人なのだった。