10. 白の国の眠り姫
「んっ……んん……」
窓から差し込む光が、エルメルアの顔を照らす。
まだ起きたくない、と言っているような声を漏らし顔を背けるが、生憎逃げ場はなく、どこを向いても陽が当たる。
「ん……ぅ…………」
諦めて顔の位置を最初の位置に戻して、緩やかに腕で顔を隠す。……すぐに重力によって横にずり落ちてしまったが。
そうして数分後、エルメルアの目がようやくぼんやりと開き始める。そのとろんとした碧眼は、いつもよりもあどけなさが強調されていて、意識せずとも見蕩れてしまうだろう。
「ふぁ…………ぁふ」
むくりと身体を起こすと小さな口が欠伸を始めたので、それを手で隠す。欠伸によって目尻に溜まった涙をゆっくりと手の甲で拭って、大きく伸びをする。
身体を起こしたのはいいが、未だに意識は曖昧であるし、まだ寝たいと訴えかけるように瞼が下がってくる。
エルメルアもこんなにも気持ちよく眠れたのは初めてであるし、正直に言えば二度寝したい。
そんな眠気に従って、もう一度横になろうとした時、視界の端できらきらと輝いている光を捉えた。
(……あれは昨日の?)
あの輝き方は昨日見たという印象が強く残っているし、それにあの光が言葉を発したことを忘れる訳がない。
書庫であの光がエルメルアに話しかけて、自分の部屋に行って、それから…………それから? それから自分は何をしていた? 書庫で恩恵の事を調べ、そして光に導かれて……それから先のことがわからない
何度思い出そうとしても、すっぽりと記憶が抜け落ちていて思い出せない。光に導かれて……そのまま寝てしまったとは考えられない。
ベッドから立ち上がって、その光へと近づく。光は小さなテーブルの上でエルメルアを待っているように漂っている。
「あの……今なら誰もいないですよ」
光に向かって声を掛ける。昨日のように、また話すだろうと思っての行動だが返事はないし、反応も特にしない。
「……あれ? …………えいっ」
周りから見てみるが何も起こらなかったため、思い切って手で触れようとしてみる。光の輝きが手によって遮られるだけで、特に変化はない。光が話した、というのは夢だったのかもしれない。
「……?」
手を離そうとした時、光がエルメルアの手に集まっている事に気がついた。まるで手に乗ろうとするかのようにエルメルアの手の甲をぽんぽんと跳ねている。
(手のお皿を作ってほしいのかな)
なんとなくそう感じて、両手で手のお皿を作ってやる。
すると、集まっていた光が満足したように手のひらで転がる。しばらくそうやっていると、光が輝きだし1枚の白紙に姿を変える。
それを手に取ると、さらさらと字が書かれていく。
『これを見ているということは、もう目が覚めたかな? 昨日は紅茶をありがとう、とても美味しかったよ』
手紙を読み始めてすぐに、この文章が目に止まった。
昨日の事は曖昧な部分が多く、こう書かれていればそうだったのかとなるが、エルメルアが紅茶を人に淹れるなど1度も無いはずなのだ。それも見ず知らずの人に。
それにお世辞にも美味しいと言えないあの味を、とても美味しかった、など言えるはずが無い。そう考えると段々と違和感を覚える。
まるで誰かから無理やり記憶を造られている。そんな違和感を感じながら、手紙を読み進める。
『昨日はエルメルアちゃんが急に気持ちよさそうに寝始めて伝えられなかったから、また今度伝えるね』
昨日何かを伝えようとしたということと、先程の違和感が重なり、エルメルアは断片的に昨日の出来事を思い出す。
「おねえ……さんに、何かされて……うぅ」
思い出すなと言わんばかりに、頭を締め付けるような感覚がエルメルアを襲う。そんな痛みを耐えながら、少し間隔が空けられて書かれている手紙の最後の部分を見る。
『最後に、次に会う時まで恩恵は使おうとしない事。それと…………七天の創始者についても、知っておいて。それじゃあ、また会う日まで』
最後の部分を読み終えると、紙は光へと姿を戻して、ふっと消えていく。
恩恵を使うな、というのは昨日お姉さんに何かされたことに関係があるのかもしれない。何をされたのかまではわかっていないが、そんな気がする。
「……七天の創始者」
何よりも気になるのは、初めて聞くこの言葉だ。
書庫には、この事について書かれた本は見たことがないし、話を聞いたこともない。
知っている可能性があるとすれば……色褪せた国だろうか。
色褪せた国、というのはブランという国が出来るよりも前から存在した国で、パレンティア大陸で起こったことをほとんど知っていると言っても過言ではない。
幸いブランの近くには色褪せた国の一つである翠の国のフェアリーランド、通称フェーランがある。
色褪せた国は大抵人ではない生物が暮らしており、フェーランはその名前の通り妖精が住んでいる国だ。
七天の創始者が恩恵に関係するというのであれば、聞きに行くのも一つの手だ。
それにあそこの近くにはブランの聖域と呼ばれる場所がある。そこに母の墓があるし、自分が女王になったということも報告しに行きたいとも思っていたので、ちょうどいい機会だ。
「あとはリグレットの予定……ですね」
女王の護衛としてもリグレットは適役なのだ。従者であるからエルメルアも気軽に頼めるし、護衛としての実力も充分にある。一緒にいたいと思っていなくてもきっと頼むだろう。
「多分今頃は会議中……かな」
今日はノワールの襲撃の対策を騎士団で話し合うはずだ。終わるのは昼を過ぎた辺りだろう。エルメルアはそれまでしばらく暇になる。女王という立場なので、会議に参加することも考えたが、結局最後はリグレットが内容を纏めて教えてくれるので大丈夫だろうし、途中から入るというのも気が引ける。
とはいっても、エルメルアの自室で暇を潰せるようなことはほとんどないのだが。何しようかと改めて考えながら、リグレットをどうやって誘おうか悩む。
基本的にすんなり着いてきてくれそうだが……というかリグレットと2人きりでどこか行くというのは実質デートなのでは?
突然そんなことを閃いてしまって、エルメルアの表情が固まる。で、で……デート!? 口をぱくぱくとさせながら、なんとなく頬が緩んでいるのを自覚する。
たしかにこれまでリグレットとは、一緒にいることは多かったが、だからといって2人で国を出てどこか行くということは無かった。付き添いではなく、デート。言葉が変わるだけでここまで自分が戸惑うとは……一旦エルメルアは深呼吸をして心を落ち着かせる。
そしてゆっくりとした足取りでベッドに向かい、そのまま座って、ぺち……と両頬を軽く叩く。なんというかとても熱い、気がする。
そう思うとなんだかリグレットを誘うのが恥ずかしくなってきて、ぽふっ……と俯きでベッドに倒れ込んで、足をぱたぱたさせる。しばらくそうした後に、寝返りながら丸いクッションを手に取って、それをぎゅーっと抱きしめる。
どうせこんなにも悩んでるのは自分だけで、リグレットからすれば姫の付き添いでしかないのだろうな、と思うとなんだか切なくなる。こっちの気も知らないで……思わずそう言いたくなるが、そこがまた良いというのも事実だ。
「……りぐれっとのばか…………ばかばか、ばーか」
恥ずかしさを隠すように、抱きしめているクッションに顔を埋めて普段なら言わないようなことを呟く。
ぎゅーっとクッションを抱きしめながら目を瞑る。まだ時間はたっぷりあるし、少しくらい寝ても起きれる……はずだ。それに今のままだと、恥ずかしさでどうにかなりそうだ。考えないようにしていても頭にデートという単語が過ぎるし、その度に頬が緩んでしまう。
こういう時は睡眠をするのが1番だ。1回眠れば、この恥ずかしさも忘れられる。たぶんきっと。
そう自分に言い聞かせて、エルメルアは再び目を瞑る。




