9. 白の姫と光
「はじめまして、かな? エルメルアちゃん」
目の前に現れた黒髪の女性は、エルメルアを一瞥して光の残滓を弄び始める。こちらをゆっくりと待つように手のひらで光を転がし、その後ふぅーっと息で散らす。
散らしても、すぐに集まってくる光を気にすることなく、女性は改めてエルメルアを見る。
「んー、びっくりしすぎて固まっちゃった? あ、それともあたしが美人すぎて惚れちゃった?」
確かに目の前で起きた事には驚いているが、別に不思議な事ではない。見た目を錯覚させる魔術があることは知っているし、女王になれば名前も知らずのうちに広まる。……流石に即位式から日が経っていないので早すぎるとは思うが。
「……あなたは、何者ですか」
「おー、やっと話してくれたー!」
再び光を弄んでいた女性は、エルメルアの声を聞いて顔を輝かせる。
質問の内容は全く聞いていないのか、一人でうんうんと納得するように頷いている。
「早かったねー、大体みんな初めてあたしと会うともう少し時間いるんだけど」
「はぁ……それで、あなたはなに……」
「そう! それでね、今日は君に話があったんだよ」
「…………」
質問に答えない……というより、聞く気がないのだろう。エルメルアはため息をつきそうになるが、ぐっとこらえる。こういう相手の場合、満足するまでは必要最低限の反応でいい、自分の聞きたいことはその後からでも遅くはない。
「話っていうのは……まぁ予想してるだろうけど、君の恩恵のことだよ」
「…………!」
恩恵という単語にエルメルアの身体がぴくっと跳ねる。そんな様子を楽しむように、女性はエルメルアをじっと見る。
その紫と黄のオッドアイが「あたしは毒、危険だよ?」とエルメルアに訴えているような、そんな感覚に陥る。
そもそもエルメルアに恩恵が宿っていることを知っているのはブランの中でも片手で数えられる人数だけだ。それを今日初めて会った女性が知っている、それだけで警戒を強めるには充分な理由だ。
「まぁ端的に言えば君の恩恵はまだ未熟、というか開花すらしていない」
未熟なのは自分でも理解しているが、開花していないという言葉に動揺する。あの時の予感、そして今までの目の痛みは何だったのか。
「あー。君が開花していると思ってるそれは単なる欠伸みたいなものだよ」
「…………! あなた、どこまで知って……っ!」
こちらの頭の中を覗いているような、そんな返答に思わず声が漏れ、それを遮るように口を噤むがもう遅い。
明らかなエルメルアの動揺に、いたずらっぽく女性は笑みを浮かべる。
「どこまで知ってるか……ねー。気になる?」
そういってじりじりと距離を縮める女性に、エルメルアは更に魔力を手に込める。今手に込められている魔力は相手にバレない最大の量だ。不意打ちならば少なくとも隙を作れる。その間にこの部屋から逃げることはできるだろう。
「教えてもいいけど、まずは少しリラックスしよっか」
それがいい、と目を瞑ってうんうんと頷く女性をエルメルアは軽く睨む。
この手には乗らない。エルメルアからすれば、より警戒したくなる提案であるし、ここで気を抜けば何をされるかわからない。悪い事はしないというのも嘘かもしれないのだ。
「それにエルメルアちゃんも聞きたいことあるんでしょ?」
そう言って女性はぽんっと手を叩いて、ゆっくりと目を開いてエルメルアと目を合わせる。その片目……紫色の目が彼女が弄んでいた光のように淡く輝く。
「…………?」
その片目を見ると一瞬眩暈がした。突然の眩暈に疑問を抱きながら、警戒を解かないように女性を見る。
警告するような不気味な色でありながら、どこか幻想的で吸い込まれそうな輝きを放つその目を、エルメルアはぼーっと眺める。まるで、心が奪われたように。
「なんでもいいよ、聞きたいこと言いな?」
女性はにこっと笑う。聞きたいことなど、決まっている。
「あっ、あなたは何者なんですか! ……えっ?」
決まっているというのに、自身の口からはそれとは違うものが出てくる。そもそも、聞きたいことは何だったのか、それすら今はあやふやになってしまっている。
「あたしはただのお姉さんだよ?」
「そんなことは見れば……」
「……そうでしょ?」
「え……は、はい」
無理やり遮られた事よりも、自分の中の異変にエルメルアは戸惑う。ありえない、納得できない、そう思っているはずなのに、彼女の言葉を聞けばそういうものだと納得してしまうのだ。
「エルメルアちゃんってさあ、すっごい可愛いよねー」
その言葉に、その言い方に、エルメルアはぞっとする。
ニヤリと笑っている彼女に底知れない恐怖を感じる。今すぐ逃げたい、そうしなければどうなるか分からない。
「あ、そうだ。逃げちゃダメ……だよ?」
「…………!?」
少しずつ足を後ろに下げ、もうすぐドアに辿り着く……そんな時だった。思い出したように呟いた一言によって、エルメルアの足がまるで石のように動かなくなる。
「なん……でっ! はやく、にげなきゃ……!」
じたばたと動かそうとするが、足が動く気配は疎か、腰から下が動かない。
「無駄だよ? ……ついでに黙ろっか」
「っ!?」
じたばたと動かしているのを眺めて、楽しそうに笑う。
そして更に追い打ちをかけるように言葉を封じる。
――詰み、だ。行動を制限され、さらに言葉を封じられれば奥の手であった魔術すら唱えられない。
何もかも全て叩き折られ、今はただ1歩ずつ、1歩ずつ近づいてくる彼女を眺める事しかできない。
焦らすようなゆっくりとした足取りが、今まで以上に楽しそうに笑うその顔が、エルメルアの心を壊していく。
彼女の行動全てが、エルメルアを嫌悪と恐怖の渦に呑み込んでいく。どれだけ叫ぼうとも、意味は伝わらず、ただただか弱い少女の呻き声として眼前の女性を喜ばせるだけだ。
「大人しくなってえらいねー。ほんっとエルメルアちゃんって可愛いなぁ」
にこにこと笑って、女性はエルメルアの頭を、頬を撫でる。感覚も狂っているのか、優しくされているのか乱暴にされているのかさえもわからない。
「じゃあ、次は力を抜こうか」
そういって、エルメルアのおでこをぽんっと指で押す。
まるで動かなかった身体が、崩れるように倒れ始め、視界が急激に変化する。
勢いよく尻餅をつき、ドアを背もたれに女性を見上げるような形になるエルメルア。手には力が入らず、足も軽く自然に曲がった状態から動かす事ができない。
僅かに首を縦や横に触れる程度しか動けないし、声も出せないようだ。
そしてやはり、女性は再度近づきエルメルアと目線を合わせるように姿勢を低くする。
おもむろに伸ばされる手に、今度こそもうおしまいだと感じる。先程ので満足して用済みになったのだろう。
弱々しく首を横に振るが、その手は止めることなく近づいてくる。手がすぐ目の前まで来て、ぎゅっと目を瞑る。
そうして感じたのは、さらさらと優しく頭を撫でる感触。
恐る恐る目を開けると、今までの笑顔は嘘のように優しい笑顔だった。エルメルアにはわからない。何故撫でられているのかも、何故自分が生きているかも理解できない。
恐怖と安堵がぐちゃぐちゃになってどうしていいか分からず、ただただ好きなように撫でくりまわされ好きなようにされている。
「ごめんねー、可愛い子ってつい虐めたくなって…」
申し訳無さそうに言う女性にエルメルアは呆れる。結局この人に振り回されたのだ。しかもかなりトラウマになりそうなレベルで。
「本当に……君は、恩恵について知りたい?」
確かめるような、そんな問いかけにエルメルアはゆっくりと頷く。
その動作を見て、女性は少し悲しそうに、そっか、と呟く。
少し躊躇うように、エルメルアの頭を撫でる女性は決意を固めたように頷くと、撫でていない手をエルメルアの右目に触れるように近づける。
「大丈夫。怖くないよ。お姉さんが一緒だから」
安心させるように、頭を撫で、言葉を紡ぐ。
するとしばらくして、右目に近づけている手が輝き、その光が流れ込んでくる。あったかい、声が出せていたなら、そう思わず呟いてしまいそうな、そんな柔らかくて暖かい光。
「ん、もういいよ。えらいえらい」
そういって女性は再びエルメルアを優しく撫でる。
撫でられるのが次第に慣れてきて、女性に身を任せる。
「……あたしの事は、忘れてね?」
そう、ぽつりと呟いて、ぽんっと手を叩く。
それを合図に、エルメルアに急激な睡魔が訪れる。
安堵からなのか、それとも誰かに頭を撫でられているのが気持ちよかったからなのか……よくわからないが、ほとんど全身の力が抜けているせいで睡魔に抗う事もできずにうとうとする。狭くなっていく視界で最後に捉えたのは、見守るように微笑んでいるお姉さんの顔だった。
「……寝ちゃった」
すーすーと可愛らしい寝息をたてて眠っているエルメルアを眺めて、女性……レグレアは再度微笑む。
「本当はもう少し虐めたいけど……やり過ぎるとロリ婆が怒るからなぁ」
あの人めんどくさいし、と付け加えてもう一度エルメルアを眺める。
「あのロリ婆とは似ても似つかないほど、ほんっと可愛い」
ふにふにと頬をつついてやれば、んん…………と可愛らしく唸る。何度もつついていたい反応と頬であるがもうそろそろ時間だ。
「この子になら、七天の創始者のこと……教えてもいいよね」
そう呟いて、起きた後のエルメルアへのメッセージを書いていくレグレア。その顔は、少し悲しげな表情だ。
「この子達まで、巻き込む必要なんてないじゃない……!」
そう、ぽつりと呟いて、エルメルアを見る。
先程と同じようにすーすーと寝息をたてて気持ちよさそうに眠っている。そんなエルメルアを抱えて、ベッドの上に寝かせる。
「本当に……ごめんね」
何も知らずに、んぅ……と唸って寝返りをしているエルメルアに聞こえない程度に謝って、レグレアは闇へと消えていった。