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母と私の『王妃様』  作者: 綿雪
番外編
7/8

手紙の行方(前編)*義弟視点

義弟視点ですが、語りは三人称です。



 彼が手紙(それ)を見つけたのは、初めは偶然だった。


「姉上、入ってもよろしいですか? ……入りますよ」


 ノックをするが返事はない。

 義理の姉である彼女の母親が亡くなったのはつい最近。

 義姉はそのことがきっかけで部屋から出なくなってしまった。

 レオンは静かにドアを開けて、義姉の部屋に入る。女性の部屋に勝手に入ることにためらいはあるものの、それよりもそのまま放っておく方が心配だった。

 暗い部屋の中。

 義姉はベッドの上で小さく縮こまっていた。こちらには背を向けている。眠っているのか、目を覚ましているのかも分からない。

 彼女は部屋の中に誰かが入るのを拒まないが、それは気づいていないだけかもしれない。彼女を包む布団が外敵から身を守る固い殻のように見えてくる。

 今はまだ、そっとしておいた方がいいのだろう。すぐに整理がつくものではないだろうから。

 それでもこの部屋の状態は身体に悪い。暗いままでは気分は落ち込んでいく一方だ。あるいは、暗く沈んだままでいたいのかもしれないが。


「カーテンを開けますね、姉上」


 返事はない。

 彼はそれを諾と取って、遠慮なくけれどあまり音を立てないようにして、日の光を部屋に入れた。

 外は快晴だ。

 眩しいくらいの日差しは、一気に部屋を明るくしてくれた。


「いい天気ですよ、姉上」


 小さくなった義姉はピクリとも動かない。まだ眠っているのかもしれない。――眠っていたいのかもしれない。悲しい現実から目を逸らすために。


「姉上……」


 その呼び名はまだあまり口に馴染まない。

 彼が義姉と出会ったのは、つい最近――のことではない。


 まだ、レオンがとある子爵家の子供であった頃。

 彼は一度義姉――ミシェルと出会っていた。


 **


 王宮では年に数回お茶会が開かれる。

 レオンはそのとき、春のお茶会に出席していた。春の花が咲き誇る庭園で行われる催し。

 王妃に目をかけられているミシェルもまた出席していた。

 まだ幼いというのに、次の王妃になることがほとんど決まっていた彼女は、誰よりも目を引いた。

 所作は同年代の中でも群を抜いていたし、可愛らしく微笑み、庭園の木花に感動し、会話を上手に繋げていた。子供たちが多くいたお茶会だったので、軽いハプニングもあったが、穏やかな笑顔のまま彼女は冷静に対処していた。

 レオンの目には、彼女がたった一つ年が違うだけの少女に見えなかった。もっと年上の女性の振る舞いに映った。もはや完璧な令嬢レディの振る舞いに。

 ただ一つ気になったのは、彼女の婚約相手であるはずの第一王子フィリベールが一度も姿を見せなかったこと。

 同じ王宮内に婚約者がいるというのに、姿すら見せないというのは不自然だった。それでは互いに上手くいっていないと示すことになりかねない。


「ミシェル様、本日はフィリベール殿下はどうされたのですか」


 誰かが彼女に尋ねた。口調や声からして大人の男性だった。

 彼女は笑う。


「お勉強で忙しくて、顔を出せないみたいです。勉強熱心な方ですから」


 貴族の男は嫌な笑みを浮かべる。


「そうでしたか。我が国は安泰ですね。ですが、婚約者より学びを優先されてミシェル様は寂しくありませんか」


 それは気遣うようでいて、悪意の感じられる言葉だった。

 彼女は笑う。


「いえ、良き王となるために必要なことですから。私も応援していることです」


 さらりと、悪意を躱す。


「それはそれは。殿下は理解のある婚約者を持てて幸せですね」


 その言葉に、彼女の表情はほんの一瞬曇る。けれどすぐに可愛らしく笑う。


「そう言っていただけて、嬉しいですわ」


 完璧に思えた彼女の、綻びに見えた。

 男は満足げに去って行く。誰かが薄情と呟いた。

 変わらず笑顔を絶やさない彼女に、レオンは咄嗟に声をかけた。


「――あの、ミシェルさま」


「はい。あら、花びらがついているわ。どこでひっつけたの?」


 彼女はくすり、と小さく笑って、いつの間にか髪に引っかかっていた花びらを取り除く。

 風が少しあるので、舞ってひっついたのかもしれない。

 レオンは恥ずかしさに赤くなる。


「あ、ありがとうございます」

「いいえ。居心地がよかったのかもしれないわね。貴方の髪って、ふわふわだから」


 彼女の手から離れた花弁が、春の風にさらわれていく。ひらひらと舞ってどこかへいってしまった。


「ミシェルさまも――」

「え?」

「ミシェルさまも、そんな風に笑うんですね」


 レオンが見たのは、今までよりもずっと年相応な笑み。無邪気と言っていい子供の笑みだった。レオンは初めて彼女のことが同年代の女の子なのだと思えた。


「……私、笑ってなかった?」


 自分の他愛ない一言に、どんな状況も冷静に対処していた彼女は意外にも動揺を見せた。口元を抑えて真顔になっている。彼女の焦った様子に、レオンもつられて焦ってしまう。


「い、いえ、ミシェルさまの笑顔の中でも特にすてきなものだったという意味で、その、そういう意味では……」


 彼女はレオンの慌てて紡ぐ言葉にほっと息を吐く。


「ありがとう。――貴方から見て、私は王妃にふさわしい、素敵な人間に映っていたかしら……?」


 直感で、彼女の綻びは、不安はそこにあるのだとレオンは見抜く。だから、大きく頷く。


「はい。ミシェルさま以上にふさわしい人はいません」

「言い過ぎね。でも、ありがとう。貴方もきっと素敵な貴族になるわね」


 彼女は喜ぶよりも、安堵しているように見えた。


 **


 それから数年が過ぎ、さまざまな縁や思惑があって、レオンは侯爵家の養子となることが内々に決まった。

 たった一度きり会ってほんの少し話をしただけだが、ミシェルが義姉となることにレオンは喜びを覚えた。

 しかしすぐに彼女に会うことは叶わなかった。

 侯爵は養子を取ることに慎重で、さまざまな課題をレオンに出したのだ。侯爵家を継ぐということは、それ相応の重圧も責任も背負うということ。侯爵はレオンに教師をつけて学ばせ、時には領地の問題など課題を与え、慎重に彼の素質を見極めていた。

 爵位を継げない三男の気楽な生活は一変し、レオンは必死に食らいつくしかなかった。

 その間に彼女とその婚約者の話も風の噂で聞いたが、気を回せるような余裕はなかった。

 ただ、たまに勉強の合間に、侯爵が彼女のことを話してくれることがあった。

 侯爵も忙しい身であったのだから、レオンと自身の息抜きを兼ねていたのだろう。いや、息抜きというよりも愚痴に近かったのかもしれない。


「……ミシェルには、いろいろと背負わすことになってしまった」


「王妃になど本当はさせたくないのだよ、私は……だが、妻も王妃様も望んでいる。あの子は、妻によく懐いているから、嫌とも言わない」


「せめてあの子が嫌と言えば私も、もう少し考えたのだがね……」


 侯爵は彼女の現状を憂いていた。

 噂、というのは悪いものの方が速く遠くへ広まる。

 レオンが耳にした彼女の噂もその類のものだった。

 彼女と殿下の関係は上手くいっていないらしい。それどころか、彼女のわがままで婚約が決まったなんて噂もあった。

 噂の芽は、あのお茶会の頃からずっとあった。

 殿下と彼女の関係は年々冷えきっていくと聞く。

 彼女自身は変わらず、気丈に振る舞っているらしい。そのことにまた侯爵は胸を痛めていた。

 いくら娘を大切に思っていても、侯爵の権限で一度決まってしまった婚約を取り消すことは難しい。王族相手の婚約が解消となれば、損害を多く被るのはこちら側だ。やましいことがなくともそのように見られてしまう。特に、彼女が。

 手詰まりな状況に、せめて彼女の本心が分かれば、と侯爵は嘆くのだ。


 そんな厳しい状況に追い打ちをかけるかのように、侯爵夫人は亡くなった。

 レオンも葬儀の場に顔を出した。

 顔すら見たこともない女性の死に心が動くことはなかったが、悲しむ人々を見て慕われていたことを感じ取る。

 涙を流す人々の中で、やはり目を引いたのは、彼女だった。

 彼女は涙を流してはいなかった。だが、誰よりも棺の中の女性の死を悲しんでいるように見えた。抜け殻のような彼女の瞳はうつろで、何の表情も貼り付いていない。無はきっと限界を超えた表情だ。

 呆然と佇む彼女の魂を、棺で眠る女性がその死と共にさらっていってしまうのでは、とレオンは恐怖したのだった。


 葬儀が終わり、すぐにレオンは侯爵家の養子として迎えられた。ついに彼女の義弟となったのだ。

 ふさぎ込んでいる彼女の側にいられるようになったのは、ありがたい話だった。侯爵は恐らく元気のない彼女のためにも自分を養子にしたのだろう。彼女の気が少しでも紛れるように。

 彼女は頑なに部屋から出ない。ベッドからでさえ、ほとんど身を起こさない。

 レオンの言葉に返事をしたこともまだない。本当に、聞こえていないのかもしれない。


 ふと机の上に積まれている手紙に目が止まる。

 義姉を心配する友人からの手紙。もちろん中には義理のものもあるだろう。

 彼女は一通も目を通していない様子だった。今の状態では無理もない。

 レオンの目に止まったのは、その中の一通だった。

 王家の紋章の封蝋が為された一際目立つ封筒だ。

 手に取り、差出人を見れば、彼女の婚約者の名前。

 レオンは怒りを感じた。

 侯爵夫人の葬儀に、この手紙の差出人は出席していなかった。

 悲しみに沈み、魂さえ抜け出そうな彼女の姿を見てもいない。そんな者が彼女に宛てて何を書くのか、と。


「――姉上、食事はきちんと摂ってくださいね。それでは、また来ます」


 入ってきたときと同じように、静かにドアを閉める。

 レオンはすぐさま自室に戻り、手紙を開けた。


「……本当に、腹の立つ男だな」


 手紙の内容は、夫人の死を悼み、彼女を心配する至って普通の当たり障りのないもの。

 だが、それは表面的で薄っぺらいもので、いかに手紙を書いた人物が彼女のことを何とも思っていないのかが伝わってくる。

 便せんを、くしゃりと握りつぶす。

 政略が大いに絡んだ婚約だ。彼女のことを何とも思っていないのは仕方がないのかもしれない。

 それでも、レオンは怒りを抑えられなかった。

 レオンにとってミシェルはもはや大切な姉だった。ずっとそう願って勉学に励んできたのだし、今は義父である侯爵から長年話を聞いてきたので、他人だなどととても思えなかった。


 ――この手紙は、義姉あねうえには見せない。


 レオンはそう決め、厨房の火にくべるのだった。


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