未来の王と三通の手紙*殿下視点
※殿下視点です。
――おかしい。
もう五日だ。私が手紙を出してもう五日が経った。だというのに、彼女からの返事が来ない。
「ジュスト、本当にきちんと届けたんだな?」
「うわ、機嫌悪いですね、殿下。何度も言った通り、手紙ならきちんと届けましたよ」
ジュストに当たり散らしても仕方がない。そんなことは分かっている。だが、苛立ちをぶつける先が他にない。
「ミシェル様は寝込んでいらっしゃるんでしょう? 手紙を書くのも辛い状態なのでは?」
母親が亡くなったショックで彼女が寝込んでいると聞いたのは五日前のことだ。彼女の母親と仲が良かった私の母親が教えてくれた。
それを聞いた私はすぐに手紙を書いた。婚約者として、弱っている彼女を労るのは当然のことだと思ったから。
形だけの儀礼的な手紙だったが、それはいつものこと。きっとすぐに彼女も同じように儀礼的な手紙を返すだろうと思っていた。だが、もう五日も返事がない。
「彼女は律儀な性格だ。もしそんな状態だとしても、代筆させるなりして私にそのことを伝えるはずだ」
ジュストの言葉を否定する。
彼女との付き合いは短くない。彼女がどのような女性なのか知っているつもりだ。
律儀で少し臆病なところのある彼女が、仮にも王子である私の手紙に何の反応も寄越さないのは不自然だと言っていい。
「じゃあ、愛想を尽かされたのかもしれませんね」
「なんでそうなる。愛想を尽かすも何も元からないだろう、彼女は」
私たちの婚約は親が決めたこと。彼女はそれに従って私の傍にいるだけだ。私と居る彼女はいつも綺麗に笑ってはいるが、それは作り物の笑顔だ。彼女が本当に楽しそうにしているところなど見たことがない。
「殿下の態度が悪いせいですね」
「……分かってる」
彼女が心を開かないのは、私の態度が良くないせいでもあるのだろう。分かってはいるが、彼女を前にするとどうにも感情の制御が難しい。
彼女の上辺だけの笑みに何故ああも苛立つのか、幾度考えても答えは得られない。
自分はもう少し器用な人間だと思っていたのだが。
「殿下も、馬鹿ですね。仕事ばかりできても楽しくありませんよ」
「口が減らないな。あいにく名前だけの王になるつもりはないからな」
民の上に立ち、国を治める王になる自分の人生に楽しさを求める気はない。他にもっと求めなければならないことがたくさんあるのだから。
まだまだ私は力不足だ。
――彼女のことも。
早く元気になって、作り笑顔でも何でも顔を見せに来てくれれば、それで良いのだが。彼女に会えないのは……うまい言葉が見つからないが、物足りない気がする。
「ジュスト」
「はいはい」
封蝋をした手紙をジュストに手渡す。
「今度こそ確実に届けてきてくれ」
「かしこまりました。って、だから前回もきちんと届けましたって」
私は彼女に、二通目の手紙を送った。
***
「ジュスト」
「……確実に、きちんと届けましたって」
まだ名前を呼んだだけなのに、ジュストはうんざりした顔でそう返した。ここ数日何度も私が同じ問いを繰り返しているせいだ。
彼女に二通目の手紙を出して、四日が経った。返事はない。
「ならば、何故返事が来ないと思う?」
「いよいよ本当に嫌われたんじゃないですか? 手紙に何書いたんです?」
「気分を害するようなことは書いていないと思うが。無理をせず養生して、回復したら顔を見せに来て欲しい、と。そのくらいのことだ」
当たり障りのない、と言えばそうだが、紛れもない本心を綴ったつもりだ。少なくとも一通目の味気ない手紙よりはマシだろう。が、ジュストは呆れた視線を寄越した。
「うわ、普通ですね。手紙ぐらいもう少し素直になったらいかがです?」
「何の話だ? 充分思いのままに書いたつもりだが」
ジュストは残念なものを見る目をして、ため息を吐いた。仮にも主人にする態度ではないが今更だ。
「殿下って本当…………嗚呼、ミシェル様が可哀想です」
「言いたいことがあるなら、はっきり言って欲しいところだが、碌なことではなさそうだな?」
「殿下は馬鹿ですねーって話です。ミシェル様が傍にいなくなってから気付くのでは遅いですからね? 早く自覚してくださいよ」
本当に、ここまで太々しく私に物を言えるのはジュストぐらいだろう。
呆れ顔ながらも心配そうな視線を向けられるが、私にはジュストが何を言いたいのかよく分からなかった。
彼女との結婚は既に決まっていることだ。私の傍からいなくなることなどあり得ない。万が一あるとすれば、彼女が私の傍どころか、この世からいなくなったとき――。
その可能性に気付いた私は、すぅっと体温が下がるのを感じた。
「ジュスト!」
「うわ、びっくりした。突然大声出さないでくださいよ」
私の声にジュストは大げさなくらい仰け反った。そんなおふざけに付き合っている場合ではない。私はすぐさま便せんに筆を走らせ、封筒にしまった。
「今すぐ、ミシェルの具合を確認してきてくれ」
「いいですけど……何かが間違って伝わってしまった気がしてなりません」
急いで書いた三通目の手紙は、走り書きの上、挨拶などもすっ飛ばした簡潔なものになってしまった。
すぐに彼女の容態を知りたかったからとはいえ、あまりにも簡素な手紙を書いてしまったと、ジュストが去った後で後悔した。
「戻ったか、ジュスト。どうだった?」
執務室に入ってきたジュストに詰め寄る。
「直接会うことはできませんでしたけど、最近は元気みたいですよ。義弟さんと一緒に食事を摂ったり、お茶をしたり、楽しそうにしていることが増えたそうです」
「そうか……」
ほっと安堵の息を吐き、近くにあったソファに深く沈み込む。
元気にしているのなら、良かった。
多少回復したというのなら、そのうち王宮に来てくれるだろうか。
早く彼女に会いたい。
「殿下、安心している場合ではありませんよ。これではっきりしてしまいました」
「何がだ?」
ジュストは眉間にしわを刻んだ険しい顔で言う。
「ミシェル様が、殿下の手紙に返事をする気がないことが、です」
「あ……」
そうか。屋敷内とはいえ動けるほど元気になったにもかかわらず、彼女は未だ手紙を返さないのだ。何を思ってそんなことをするのかは分からないが、これはもはや意図的にやっていると見ていいだろう。
「それから、殿下が二通目の手紙を出した後ぐらいから、ミシェル様は他のご友人などには手紙を返しているそうです」
「……そうか」
低く沈んだ声がもれる。
他の者には返事をしたのに、何故私には一通も返事を寄越さない?
彼女はそんな不義理な人ではなかったはずだ。礼儀を欠くような女性では。
それとも、私は彼女のことを見誤っていたのか?
彼女のことを知っているつもりで、何も分かってはいなかったのだろうか。
否定はできない。
私は彼女と向き合うことを避けていたから。
感情が制御できないことを言い訳にして。彼女と長く一緒にいても、きっと私の態度が彼女を不快にさせるだけだからと、逃げていた。
「ジュスト」
「はい、殿下」
「……仕事するぞ」
「……はい、殿下」
今更気付いたところで、何ができるというのだろう。
彼女はもう、私に会いに来てはくれないかもしれないのに。
私は嫌なことを忘れるために、書類仕事に打ち込んだ。ジュストは、黙って付き合ってくれた。
***
それから三日経って、彼女が会いに来た。
久し振りに彼女の姿を見て、初めは嬉しかったのだが、私に硬い笑顔で挨拶する彼女に、いつもの苛立ちが湧いてきた。
「手紙を、書いた……貴女に。だが貴女は返事を寄越さなかった。基本的に礼儀正しい貴女なら、きっと返事を貰えると思っていたが、どうやら過大評価だったようだ」
何故、返事をくれなかったのか聞きたかっただけなのに、つい責めるような物言いになってしまった。
返事を貰えると思っていた、ではなく勝手に思い込んでいただけのくせに。
過大評価だなどと、どの口が言う。彼女と向き合うことを避けていた人間が、彼女を評価するなどおこがましい。
だが、彼女は戸惑うばかりで、本当に心当たりが無さそうに困った顔をしていた。彼女のその様子に、彼女が手紙の存在すら知らないという可能性に気付いた。私の願望混じりの可能性かもしれないが。
しかし嬉しいことに、彼女は本当に見ていないと言う。ではどこで手違いがあったのか。確認していけば、犯人に心当たりがあるらしい彼女は、表情を曇らせて話を打ち切った。
初めて見る表情に少し驚く。いつも内心を見せないようにしていると思ったのだが。
「……案外、分かりやすいところもあるのだな」
誰かを庇っているのだろう。私用とはいえ、王子である私の手紙を不当に扱ったのだ。私はその人物に処罰を加えることができてしまう。もちろん、そんなことはしないが。
私はそんな彼女の態度に安心する。彼女のことを大きく見誤っていた訳ではないのだと。ただ、知らないだけなのだ。彼女のほんの一部しか、私は知らないのだ。今、新しい一面を見て驚いたのが良い証拠だ。
安堵と共に手紙の話を終わらせた後、彼女との会話は思わぬ方へ進んでいく。
私たちの婚約についての話を持ち出す彼女に、今更何を話すことがあるのだろうかと訝しみつつ、話を聞いていくと。
「……義弟は今、私たちの婚約を解消しようと奮闘しているところです」
「……なんだって?」
思わず低い声が漏れた。向かい合う彼女の肩がびくりと揺れた。
声に込められたのは焦りか、怒りか。それとも不安か。
何にせよ良い感情ではない。私は今、抑えきれない不機嫌さを抱いているのを自覚する。だが、この感情を彼女にぶつけてもどうにもならない。何故そんなことになっているのか話を聞かなくては。
彼女とその義弟の身勝手な話に苛立ちを覚えるが、ここで彼女に向き合わなかったら以前と何も変わらない。
彼女の話を聞いていくと、私の思っていた以上に、彼女は仮面を被るのが上手かったようだ。彼女が、私との結婚と、ゆくゆくは王妃になることへの不安を抱えていることが分かった。そんなこと彼女は今までおくびにも出さなかった。不満も不安も全て笑顔で隠して私の傍に居てくれたのだ。
――……ジュストの言う通り、私は馬鹿だな。
自分ばかり楽な方へ逃げて、彼女を苦しめていたのだから。
自分の妻になる女性一人をこんなに追い詰めて、どうして良き王になどなれる?
私はもっと彼女と向き合わなければいけない。彼女のことを知って、私のことを知ってもらわなければ。これまで苦しめてしまった分、彼女には幸せになって欲しい。……いや、私が、幸せにしたい。
窺うように顔を上げれば。
――彼女と瞳がかち合った。
ここで視線を逸らしてしまえば、もう二度と交わることはないのかもしれないと漠然と思い、逸らせない。彼女も逸らすことなく、じっと見つめてくる。それが、嬉しかった。彼女も逃げる気はないのだと分かって。
だがいつまでも見つめ合っていても、言葉にしなければ何も伝わらないし、分からない。
互いの溝を埋めるために、提案する。
「この際、互いに全て話してしまった方がいいみたいだな。恐らく私たちは互いのことを知らなすぎる」
彼女の了承を得て、私は彼女についてどう思っているのかを話した。
その際に言うつもりのなかった言葉も零れてしまったが。言葉にしてしまった恥ずかしさから、顔を背ける。
彼女の話も聞かなくては、と視線を彼女に戻す。彼女は珍しいものを見たようにきょとんとしていた。私が彼女のことを知らないように、彼女も私のことを知らないのだ。……できれば、あまり情けないところは知られたくないが。
「私は、ずっと殿下が私のことを不満に感じているのだと思っていました」
話を促すと彼女はそう切り出した。
私は彼女が私のことをどう思っているのか聞くつもりで、たとえ彼女がどんな不快なことを言ったとしても受け止める覚悟をしていた。だが、彼女の口から滑り出る言葉は、私に対するものではなかった。
苦しそうな表情で言う彼女には悪いが、少し拍子抜けしてしまった。
彼女に対する私の態度も、彼女の苦しみに気付けなかった不甲斐なさも、反省しなくてはいけないが、今は彼女の気持ちを聞きたい。彼女が私のことをどう思っているのか。嫌っては、いないのか。こんなにも気になるのはきっと、散々ジュストに言われたせいだ。
思い切って聞いてみれば、彼女はあっさりと嫌っていないと言った。
その一言で、安堵が胸に広がる。
「そもそも私は人であれ、物であれあまり好悪を抱かない人間なのです。自分でも冷たいとは思いますが」
この言葉は否定しておかないといけないが。
彼女が本当に冷たい人間ならば、母親が亡くなっても変わらず私のもとへ来ていただろうし、手紙の件の犯人……話を聞いている内に気付いたが、おそらく彼女の義弟を庇うことなんてしない。
彼女はきちんと大切なものを大切にできる温かい人間だ。誰が何を言おうとも私はそう思う。
言葉にして伝えると、彼女は少し固まった後、可笑しそうに小さく笑った。花が開いたような可憐な笑みだった。やっぱり私は彼女のことを全然知らないなと思う。こんな風に笑うなんて知らなかった。
「私も全然殿下のことを知りません。仕事熱心で生真面目で私にイライラしているってこと以外は」
耳が痛いな。
だがすっきりした顔で笑みを深める彼女に苛立ちは湧いてこない。湧いてくるのは、そういった不快な感情ではなくて――。
「――……ああ、そうか。分かった」
ようやく腑に落ちた。
私が何故、ミシェルに苛立ちを覚えていたのか。
なんて愚かな理由だろう。
私はただ、彼女の笑顔が気に入らなかっただけなのだ。私と距離を置くような、隔たりを感じさせる、表面だけの笑顔が。
ミシェルが今見せている心からの笑みは、苛立ちよりもむしろ幸福感をもたらす。喜び、歓喜、愉悦。そう表される感情だ。
自然と口角が上がっていく。
私は……俺は、ずっとミシェルに見当違いの態度を取っていたのか。
だが、気付いたのなら修正すればいい。今なら、間に合うはずだ。俺は、ずっと――。
「貴女に、ミシェルにそうやって笑って欲しかっただけみたいだ」
ジュストが馬鹿と言うはずだ。
俺がしたことは、本当にしたかったことと、真逆だったのだから。
***
あれ以来、ミシェルは楽しそうな表情をよく見せるようになった。まあ、そうなるように仕向けているのだが。
ミシェルは基本的に、頭を使うことが好きみたいだ。
戦略を練って遊ぶボードゲームはもちろん、何よりも私が関わっている政治関連の話が楽しいようで、活き活きとした表情を見せてくれる。ミシェルの前ではただの一人の男でありたい俺にとって、一番喜ぶのが王子としての私が関わる話というのは、なんとも微妙な気分にさせられる。
それでも、ミシェルの心からの笑みには代えられない。ミシェルが笑ってくれるのなら、俺はそれでいいのだ。
彼女を笑顔にすることに全力を傾けられるのはきっと今だけだろう。王になってしまったら、私は国のことを一番に考えなくてはならない。
もちろん、だからといってミシェルのことを蔑ろにする気はない。
ミシェルが笑顔でいることが私の目指す王の大前提になるのだから。
それにしても、今日は嬉しいことを聞けた。
――私だけではなく、国民も笑顔にするような王になって下さい。私は、そんな王と一緒に前を向ける王妃になりたいですから。
以前は王妃になること、つまり私との結婚に消極的だったミシェルが、そう言ってくれたのだ。私の隣に立つ妃になりたいと、言ってくれたのだ。
まだ俺と結婚したいと言ってくれたわけではないが、今はそれで充分だ。
「しまりのない阿呆面ですね、殿下。頬がゆるみきってますよ」
考えていたことが表情に出ていたのだろう。ジュストに指摘された。
だが今は気分が良い。表情を改めることもなく、ジュストの言葉を受け流す。
「いつになく辛辣だな。嬉しいことがあったんだ、仕方ないだろう?」
ジュストはわざとらしく頭を抱えた。
「うわ、どうしましょう。殿下が色ぼけた!」
「今は殿下ではないから、問題ない」
ただの男が一人の女性に夢中になるのは、よくあることだろう?
しれっと返す俺に、ジュストは顔を上げて苦笑した。
「自覚した途端その調子では、ミシェル様は大変ですね」
「ああ、よく戸惑っているな。その様子も可愛らしいが」
思い出して、笑みがこぼれる。
「うわぁ、殿下に惚気られる日が来るとは」
「今は殿下ではない」
「はいはい、そうでした」
ジュストが適当に流すと、話はそこで途切れた。
――そろそろ仕事をすることにしよう。王子としての役目も蔑ろにはできない。
それに、また二日後にはミシェルが来るはずだ。そのときにたっぷりと時間を取れるように、面倒事は片付けておくに限る。ミシェルの笑顔が、少しでもたくさん見られるように。
本編では、たくさんの評価とブックマークをありがとうございました!
義弟視点も書けたらいいなと思います。