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短いです。
「ようやく来たか」
「お、久し振りです、殿下」
聞き慣れない文句に少しどもってしまった。いつもは「また来たのか」って言っていた気がする。
ドレスをつまみ、軽く頭を下げた私を、殿下はじっと鋭い視線で見ていた。いたたまれない。
「貴女は礼儀だけはしっかりしていると思っていたが、勘違いだったようだな」
顔を上げた私を殿下は鋭く睨むように目を細めた。けれど心当たりのない言葉に私はついきょとんとしてしまう。殿下の前で何か失礼なことをしてしまっただろうか。仕事の邪魔はしたことはあるが、それも恐らく殿下の許容範囲内だろうところに留めていたつもりだ。
「何の話でしょうか?」
適当に謝っておけば、きっと収まる場なのだろうが、何に対して謝ればいいのかが分からない内から謝るのは癪だし、それこそ相手に失礼だ。何のことだか聞きたかっただけなのだが、これではしらを切っているように見えるのでは、と言った後に気付いた。
案の定、殿下の眉は不機嫌そうにピクと上がった。
「……手紙を」
「手紙?」
怒りによる震えを抑えたような声だった。殿下は冷静になろうとしているのか、拳を握りしめて俯いた。
相当怒っているように見えるのだが、私には何のことだか分からない。ここ最近、殿下に手紙を書いた記憶はないが。
「手紙を、書いた……貴女に。だが貴女は返事を寄越さなかった。基本的に礼儀正しい貴女なら、きっと返事を貰えると思っていたが、どうやら過大評価だったようだ」
キッと何故だか悔しげに睨まれた。返事がなかったというだけで、私はこんなにも怒られているというのか。それとも殿下が私にした評価が間違っていたことに腹を立てているのか。もし後者だとしたら八つ当たりだ。返事を書かなかったのは確かに礼儀がなってない――ん?
「ここ最近殿下に手紙を頂いた覚えがないのですが……いつのお話でしょうか?」
母親の葬儀からしばらく引き籠っていた期間は確かに手紙を読む気も書く気もなかった。しかし義弟と話をしてスッキリしてからは、無気力期間の分の手紙もきちんと読み、返事をしっかり書いたはずだ。そこに殿下からの手紙はなかった。パーティーでよく話をする令嬢たちからの手紙ばかりだった。
「貴女が、寝込んでいると聞いてすぐ。と、それから一週間程前と、三日前だ」
さ、三通も!?
思わず心で叫んでしまった。口には出てないはず大丈夫。ちょっと顔には出てしまったかもしれない。
三通送って全部無視されたら、そりゃあ無礼だし腹も立つだろう。これは謝るべきなのか? 届いていないのだから仕方ないといえば仕方ないことなのだけど、いくらなんでも王族相手にこれは……。
というか、王族の手紙が届かないなんてこと、あるのか。三通も。私だけじゃなくて配達した人もやばいのでは。解雇した方が良いのでは。
「――まさか、本当に、届いていないのか?」
殿下はじっと私の様子を窺い、何かに気付いたのか大きく目を見開いた。睨むような目つき以外を初めて見た気がする。
「え、ええ。少なくとも私は見ておりません。配達の際に問題があったと考えられますが……」
「いや。それはない。信頼の置ける者に頼み、届けたという報告も受けた。仮に嘘をついていたとしても、ただの私用の手紙だ。何の意味がある?」
「では、家の者のミスでしょうか」
「……いや、その可能性も低いな。一通ならともかく、三通とも全てだ。他の者からの手紙は受け取っていたのだろう?」
「は、はい」
殿下と一度にこんなにたくさん言葉を交わしたのは初めてではないだろうか。いつもは私が適当なことを話して殿下が適当な相槌を打つくらいだから。
「なるほどな。私からの手紙だけが貴女に届かないようになっていたわけだ。誰かのミスではなく、故意に」
「そう、なりますね。そしてそれは、私の身近にいる人物なのでしょう」
「心当たりがあるんだな?」
「……いえ、この話は終わりにしましょう」
心当たりがないはずがない。使用人以外に私の部屋を訪れていたのは一人だけ。私を気にかけていたのは、一人だけ。――でも。
犯人を捜したところで、何になるというのか。手紙などもう捨てられてしまっているかもしれないし、そう、私は気まずい雰囲気になりたくはない。何故手紙を隠したのか、そんなことを追及して、彼との関係に亀裂を入れるのは嫌だ。……私は結局、卑怯者なのだ。
「……案外、分かりやすいところもあるのだな」
殿下が驚いたように私を見た。それから少しだけ口元を緩め――笑った。
今度は私が驚く番だった。
口元だけの一瞬のものだったが、だからこそ思わずこぼれ落ちてきた自然なものだ。
――――殿下が、笑った。
それはもう、衝撃的なものだった。数秒は呆けてしまうほどに。
「いや、分かった。届いていなかったのならもう良い。……貴女が私を無視したのでは無いのなら」
「え?」
呆けていたせいか、殿下が小声だったせいか、後半の言葉を聞き逃してしまった。聞き返したつもりだったけれど殿下は繰り返す気はないようだった。
「ところで、手紙を読んだのではないのなら、貴女は今日、何をしに来たんだ? 立ち直った報告か?」
そうだった。私は今日大事な話があって、ここに来たのだった。
「いえ、殿下。本日は、殿下と私の婚約についての話し合いをしようかと」
「……は?」