洗礼
アメクジラの起こした洪水は、そのまま川の流れのように絶えず森を走っている。天候を左右どころか、自ら天災を生み出すのが、神獣領域のエリアⅠにいる生き物たちだ。
敵意を持って襲い掛かってくることがあれば、今の俺に為す術はない。
「そろそろエリアⅡに入る。ここからは上空で目立てばすぐに襲われるから、地上から進む」
「トパーズちゃんが相手でも襲うんですか?」
「ここにいるのはほとんどが神獣だからな。トパーズみたいな一人でふらふらした幼獣がいたら、それはもう格好の餌食だな」
トパーズが強がって抗議してくるが、実際そうだ。それはハクがいてもかわらない。
翼竜にいたっては入り口の時点でもう餌だ。森に入る前に手紙を預けて引き返してもらっている。
「ここからがエリアⅡ。アメクジラを見て何となくわかったと思うけど、あそこまでは力があっても敵意はない」
「なるほど」
ここからが本番。さすがに1匹で森に川をつくるような化け物こそでてこないものの、おおよそハクと同等かそれ以上の強さの相手が襲ってくるのがエリアⅡだ。
「あいつはどこにいるかな……」
ここに来た目的は1つ。森を鎮められるだけの力を持つパートナーに、協力を求めるため。
普段から一緒にいるハクはともかく、トパーズをはじめ神獣たちとの契約は大きな制約がつくことがほとんどだ。
中でもいまから会う相手は、なぜ俺と契約してくれたのかも不思議なほどの力を持っている。
「こんな広いのに、見つかるんですか?」
「いくつか拠点があるんだよ。一発目でいてくれればいいけどな …… 」
そいつは明らかに場違いな力を持ちながら、何故かエリアⅡにいくつかの拠点を置いている。
「ちなみにどんな子なんですか?」
「あぁ、見た目は普通のヘビだよ」
「ヘビですか …… 」
イメージされる姿が頼りなかったのか、少し拍子抜けした表情を浮かべるほのか。
とはいえ、数百メートルは裕に越える白ヘビだ。空を飛ぶことも考えれば、あれはもう龍と言っていいだろう。
龍種とは異なるが、日本人のイメージする龍の一つの形ではある。
「まぁ、見たらわかる」
首をかしげるほのかを横目に、下の様子を確認する。
「急だけど、降りるぞ」
降りるにしてもタイミングを逃せばそれだけで窮地に陥る。逆に絶好のタイミングが訪れれば、その機を逃すわけにはいかない。そして今がまさに、その絶好のタイミングだった。
「はい!え!?飛び降りるんですか?!」
高度を落としたトパーズから身を投げ出すと、ほのかも慌ただしく続いた。
なんだかんだいってもついてくるんだな …… 。
「わっ!これって、着地は!?」
飛んでからそのことを考えるあたり、さすがの行動力である。それでもさすがに焦っているのか、空中でわたわたしているほのかに手をかざす。
「サモン」
ほのかの少し下、ちょうど跨るように調整して、ハクが現れた。
同時に上空で姿を整えたトパーズを呼び出し、その勢いのまま森へ着地する。いや、正確には着地ではない。落ちてきた勢いそのままに、地面をすれすれで滑るように飛んで、森の木々の間を走り抜ける。
「バタバタして悪いけど、降りてから状況が変わった。急ぐ」
ハクにしがみつくほのかから返事はない。必死すぎて言葉が出ない様子だ。
「何があったんですか?!」
「囲まれてる!悪いけどしばらくハクにしっかりつかまっててくれ」
「私は大丈夫ですけど……!」
エリアⅡの中では破格の力を持つ白蛇に対して、ここらの気性の荒い神獣たちも手を出さず、その住処にも近寄らないのがこれまでのパターンだったし、今回もそうだと考えていた。
タイミングとしても周りに大きな存在の気配はなく、今しかないと踏んだが……それが罠だった。
「ハクとトパーズなら突破はできるが、集団の相手はきつい!」
「アツシさん!空に逃げないんですか!?」
「囲んでいるのはざっくり言えばオオカミの群れだ!こいつらは元の世界でもカラスと協力して狩りをすることが知られててな」
「えっと……」
「上も押さえられてる」
確認するまでもなく、上空が黒い影に覆われる。
細心の注意を払って、一瞬の隙も逃さずに行動したつもりだったが、焦りがあったことが悔やまれる。改めてこの領域の脅威と、自分の不甲斐なさを思い知らされる。
だが今、嘆いてる暇はない。
「周りに何もいないタイミングで飛び出したつもりが逆に誘いこまれた……」
「それであんな突然飛び出したんですか?」
「そう。説明する間もないほど絶好のタイミングだったんだ。だからあいつがいると思ってな」
よくよく考えれば完全にこいつらにはめられた形だ。
一匹ずつの気配が薄い分、こちらも察知し切れなかった。
「重ね重ね申し訳ない……」
「大丈夫です!今回ももう次の手は打ってるんですよね?」
「あぁ」
「なら、大丈夫です!私はアツシさんを信じてますから!」
ハクのスピードに慣れたほのかから励ますように明るい声が届く。
情けない……。だが、その信用には、応えないといけない。
「トパーズ!」
移動だけの契約だが、移動に関わるトラブル中であれば戦闘にも応じてくれる。もともと戦闘に関する契約を結んでいないのは、そもそもトパーズ自身が戦闘に向いていないという事情があるためだ。
戦闘に向いていないということはすなわち、戦闘以外の面で、この環境で生きていくための術をもっているということになる。
「何があってもそのまま進め、ハク」
走りながらこちらに目配せして同意を示す。
「ほのか、怖かったら目をつむっていていい。トパーズの能力は変化と、幻術だ」
「変化と幻術……」
「これから見る景色は偽物。と言ってもすぐには慣れないだろうから、まぁハクを信じてしがみついていれば問題ない」
「わかりました!」
空を覆う黒い塊が消える。当然、その存在が消えたわけではない。こいつらの能力もトパーズと同じだ。
「格の違いを見せてやれ」
呼びかけに応じたトパーズが能力を発動する。
周囲の景色が歪む。上下も左右もわからない、混沌とした景色の中を走り抜ける。
「これ、どういう力なんですか?」
「まだ準備中だ。本番はこれから」
すでに景色のゆがみで混乱したものが、群れから離脱を始めている。景色に溶け込んでいたカラスのような鳥たちがいくつかパタパタ落ち始める。
「しばらく目を閉じてた方がいい」
「えっ?!はい!」
歪んだ景色が光に包まれる。
「まぶし……」
「光が落ち着いたら目を開けて良い」
「わかりました」
光が収まると、周囲は再び何の変哲もない森の姿を取り戻していた。
「あれ……もしかして、失敗ですか?」
「大丈夫。成功してる」
あまりに代わり映えしない姿に、ほのかは不安が隠せない様子だ。
「変化の時も、実体があっただろ?」
「実体?」
「雲の姿を取る場合、ただの変化なら、あの雲に乗ることはできない」
「トパーズの変化は特別っていうことですか?」
「そう。“実体を伴う幻術”が、トパーズの能力だ」
次の瞬間、森の木々が、意思を持って襲撃者を迎え撃った。
幻覚、光に混乱したところに追撃が加わる形だ。木々がちょうどバットを振り回すように、横凪に追いかけてくる襲撃者を吹き飛ばしていく。
「わぁ!」
形勢逆転。
後はもう、ハクがひと暴れでもすれば終わるだろう。
「ほのか、こっちに」
「えっ、わっ!」
走るハクの横にトパーズを付け、ほのかをこちらに引き寄せる。
これでハクは自由の身、存分に力を発揮してもらおう。




