戦争の足音
メイリア帝国とルベリオン皇国が敵対関係にあるのは周知の事実だが、戦争となると話は変わる。
とはいえ、この話は別に初耳というわけではない。
「戦争と来たか……」
考えていたパターンの中でいえば、まだましかもしれない。
「睨みあいの続いているルベリオン皇国との関係が悪化しているの」
「それは何となく聞いてる」
「その割に、随分のんびりしているのね」
「そりゃぁ、ここに直接影響が出ることはないだろう?」
ギルド内でもそう言った噂話は良く聞く。帝国内に裏切り者が出ただとか、ルベリオンの皇族が良からぬ研究に手を出しただとか……。
とはいえ、ルベリオンとメイリアの位置関係を考えれば、被害を気にするような空気になる必要はなかった。
両国は南北で陸続きになっている。それぞれの国の東側に位置するギルド自治区が巻き込まれるとは考えておらず、むしろ冒険者たちの間では如何にしてこの戦争に一枚噛んで利益を上げるかが話の種になっていた。
「なるほど……」
呆れたような表情を見せるミーナ。
ほのかは考え込む仕草を見せているが、話に入ってくる様子はなかった。
「これは私の予想なのだけれど、直接国同士が揉める前に、北部と南部に分かれたギルド自治区が戦場になると思うの」
「どういうことだ?」
「水面下の戦いは、すでに始まっているわ。こうして要注意の冒険者に声をかけに来たりといったリ、ね
」
「ああ……それにしてもミーナが直接来るとは……」
いやそれが狙いか。
普通はそれぞれの国から使者が来たり、密会によって特殊な任務を請け負うなどの協力関係を構築していくのだろう。
だが、俺に関しては話が変わってくる。直接皇族が来てしまっているわけだ。
つまりもう、話を聞いてしまった時点で色々と引き返せないところまで来てしまっているということだった。
「貴方は前回のことがあるからね」
「そうだな……」
「直接関わってたんだし、まぁ諦めたほうがいいわね」
「いや、あれはお前が巻き込んだんだろう?!」
「あら、そうだったかしら?」
「はぁ……もういいけどな」
ルベリオンとメイリアの関係は常に悪いが、俺が来てから本格的に戦争と呼べる状態になったのは3年前の1回だけだった。
あの時の出来事のせいで、関係が悪化するたびに何かとこの皇女に振り回されることになっている。今回もそうだと考えれば、まぁよくあることではあった。
ミーナとの思い出を振り返ろうとしたところで、殺気を感じ取る。
「とにかく、アツシは少しのんびりし過ぎね」
ミーナの動きが緩やかに見える。
見えているのに、身体は言うことを聞かない。目の前で行われる凶行を、黙って見届けるしかない。
「あの時のアツシの選択が引き寄せる結果くらい、考慮しておくべきだったわね」
「アツシさんっ?!」
ほのかの悲鳴のような呼びかけでようやく身体が動く。
すでにミーナの手からは、短剣のような光の塊が飛び出していた。
空中に放たれた剣のような光は、そのまま俺の隣にいたシイル皇子の胸元に突き刺さる。
「何を!?」
「油断しないで!」
刺されていた光をそのまま奪い取るような動きを見せ、店の外へと飛び出すシイル皇子。病的なまでに白い肌のせいで誤解していたが、戦闘能力があったようだ。
「どういうことだ!」
「話は後!ルベリオン側の人間を、ここで取り逃がすわけにはいかない!」
「これは……えっと、どうしたら!?」
突然のことに戸惑うほのかを見て、少し冷静さを取り戻す。
どういうことか分からない以上、取れる選択肢は二つ。ミーナを止めるか、ミーナに付くか。
さっき知り合ったばかりの少年かミーナか。答えはもう出ているだろう。
「わかった」
本人との関わり方のせいで忘れがちだが、今ここにいるのはメイリア帝国のトップの一人。皇族だ。
敵国に情報が与えられれば、それが直接の火種になりかねない。
「サモン!」
「きゃっ」
小さな悲鳴が聞こえる。ほのかだろうか?
空中に魔法陣を展開し、周囲を黒いゴムのようなもので覆い隠す。いくつもの黒い直線が、空中へ描かれた。
「グールドスパイダーを召喚した。逃げられないように辺りに糸を展開したはずだけど」
「ナイス!」
「くっ……」
うまくいったようだ。
「このまま絡め取る」
細かい指示が出せない蜘蛛はこれ以上頼りにならない。
「サモン!」
「次は何が出てくるのかしら?」
この状況で楽しそうなミーナ。本人ももちろん臨戦態勢は解いていないが、攻撃は俺に委ねたらしい。
戦闘能力のないと判断したほのかを守るような立ち位置に入ってくれている。
「スライムだよ」
「え、スライム……」
始まりの村のすぐそばから登場するような初歩の魔物ではない。ダンジョンにのみ生息するモンスターであり、それはつまり、ある程度対策を取ってなお、敵として存在感を示す相手ということになる。
スライムはその点、立派な魔物だった。
「よりにもよって……」
「男相手だし、別にいいだろ?」
この世界のスライムに対して多くの人が抱いているイメージを、元の世界の言葉を借りて率直に言うなら、“触手”だ。俺のような人間でなくても、捕らえて利用することのある数少ない魔物の一つだった。その用途は主に、捕らえた女性への尋問用の道具だ。
もちろんそういった調教を行い、訓練されたスライムでなければその用途では使えない。今回呼んだのもそういったいかがわしいものではなかった。男相手だしな……。
スライムは相手を自分の体内へ捕らえ、じわじわ吸収していく。この点で、スライムが出現するダンジョンに一人で行くことは危険だった。体内に捕らわれてしまえば、外から仲間に助けてもらうか、自動的に発動する魔法や魔道具に頼るしかなくなる。
とはいえ外から少しでも衝撃を与えれば簡単に退くうえ、溶かす対象は一つずつしか選べない。丁寧に衣服を順番に吸収してから捕食を始めるので、直接スライムのせいで怪我を負うようなことはほとんどなかった。助けられた者の多くは、衣服を多少剥がされるだけの被害で済むことが多かった。
「こんな平地でスライム対策なんかしてないだろ?」
「それはそうだけど……」
相手の身動きを完全に封じたうえで、意識を奪い、ついでに衣服を剥がすスライム。今回の目的にはぴったりだろう。服に関しては余計だが。
そこでようやく、異変に気付いた。
「ん?女!?」
「気付いてなかったのね……」
「だって、あいつ自分で皇子って」
「ここまで来たんだから気付きなさいよ……それも含めて、嘘だったんでしょう」
良く観察するとその顔は先ほどまでの白い肌を残したままではあるものの、顔つきが幼い少年のものからかなり成長していた。もちろんそれに伴って身体も
「見ちゃだめです!」
後ろにいたほのかに目をふさがれる。視覚を奪われると同時に、背中に柔らかな感触がもたらされた。
こうなるとかえって、直前の光景が鮮明にまぶたに浮かび上がる。ちらっと見えた白い肌には、程よいふくらみと神秘的なほど美しい――ぐふっ……。
「想像も許したつもりはないのだけど?」
腹部に強い衝撃を受ける。思わず後ろにのけぞり、ほのかの微かなふくらみに支えられる。
ほのかの反応はわからないでもないけど、なんでミーナまで……。
「そろそろ解放してあげたらどうかしら?」
ミーナが言っているのはもちろん、俺のことではない。
「そのためにはまず俺に視界を」
「見えなくてもあの子を動かすことくらいはできるでしょう?」
「……はい」
本当なら見ずに魔物に指示を出すのは避けたいところだったが、今回は何とかしよう……。
「サモン」
スライムの引き剥がし方はいくつかあるが、本体に傷をつけないようにするには、今いる獲物より良い餌を用意するのが最も手っ取り早い。
スライムが野生下で好んで食べる虫を召喚すれば、自然とこちらに意識が向く。そのままで勝手に行動するほど本能のままに生きているわけではないが、こうしてから指示を出せば簡単に動かすことができた。
「ほのかはそのままでお願いね」
「わかりました」
見ることができないので何が起きているかはわからないが、おそらくミーナが何らかの形で拘束してくれているんだろう。
「ほのか、もう良いんじゃ……」
「しまった!アツシ!」
ミーナの叫び声が上がる。ほのかの腕を振り払って声のした方向へ一歩踏み出す。
「形勢逆転だな」
先ほどまではいなかった大男が、シイル皇子を名乗った女を腕に抱き、ミーナへ掌を突き付けていた。




