新装開店
「あ……」
「どうかしたんですか?」
欠点らしい欠点がないといったエリスだが、唯一にして最大の問題がある。
「ほのかって、虫駄目だったよな」
「えっと……はい、まだ駄目だと思います」
「あら、そうなの」
エリスの二つ名は“奇蟲使い”だ。
それをまだ、ほのかに伝えていない。
「いや、改めて考えるとエリスに預けるのは大丈夫かと思ってな …… 。そいつ、あー……変態だから」
食事処だから気を使って表現をマイルドにしようとしたが、うまくいかなかった。
「ひどいわね。貴方のせいでこうなったというのに」
悪乗りなのか本気なのかわかりにくいエリスのせいでさらに泥沼化する。
「変態 …… 二人はそんなことが分かるほどの仲なんですね …… 」
結果、心配していた方向とは違う方向でへそを曲げられてしまった。「なんて話するんですか!」とか「セクハラです!」とか言われるかと思ったが。
思えばこっちに来てからずっと二人だったし、最初も心細いとか言ってたからな。ちょっと疎外感を感じさせたかもしれない。
「いや、まあほのかもうちの店でやっていくならその変態から学ぶことも多いだろうし、ちょうどいいか」
「え?!私どんなことされるんですか!?あのお店ってそんないかがわしいことを」
「大丈夫、慣れれば楽しいわ」
「待ってください!私まだそういう経験は」
ここまで来ると完全にエリスもわかってやってるだろう。
慌てるほのかは癒されるのでしばらく真相を隠して遊び続けた。
―――
「エリスはな、奇蟲好きなんだよ」
「奇蟲?」
ひとしきりほのかの反応を楽しんだところでネタばらしをする。
「変わった虫のこと」
「ああ、変態ってそういう……」
タランチュラをはじめとしたクモや、鮮やかな体色と迫力に溢れたムカデ、フォルムの美しいサソリ。その他ダンゴムシ、ワラジムシ、ヤスデ、果てはゴキブリまで。
奇蟲と呼ばれるペット昆虫たちは、元の世界では意外と一定の人気があるジャンルだった。
場所をとらず、繁殖スパンが短いことから、素人でも手を出しやすい。
爬虫類を飼育していれば餌の虫は元々いるので、肉食の奇蟲は飼育のハードルが下がる。
一部は爬虫類のための餌としてもペットとしても飼育できるような種もいて、飼育者としても混沌とした世界と言わざるを得ないジャンルとなっていた。もう餌を飼っているのかペットを飼っているのかの境界がかなり曖昧になる世界だ。
「燃えるような赤い脚を持つムカデ、全身が美しい青い毛で覆われたクモ、虹色に光るヤスデ、カラフルなゴキブリたち …… アツシの世界の蟲たちは魅力に溢れていて、誰もを魅了すると思っていたのだけど」
「そんなことありません!だいたい黒光りしてたり薄汚い感じの虫で、普通に生活していればなるべくお目にかかりたくない相手でした …… 」
「俺はハエトリグモとかは可愛いから放し飼いみたいにしてたけどな」
コミカルな動きは可愛いし、コバエの処理もしてくれる貴重なパートナーだった。
「クモってだけでダメなんです!だめ!」
「調教のしがいがありそうね …… 」
「無理はさせないでくれよ」
「わかってるわ。でも、この子は何となく、素質があると思うのよね」
「それはまあ、否定しない」
ほのかの適応能力の高さなら、タランチュラやサソリなんかは毒がないと分かればいけるのではないだろうか……。元の世界にもいたが、光に当たると虹色に反射するようなものは単純に綺麗だから抵抗も少ないだろう。こういった物なら食いついてくる気はする。
「メインは魔法のレクチャーだからな」
「もちろん。こんなに素質のある子なんだから、しっかり教えるわ」
「よろしく」
「じゃあ、明日から朝、お店までいくわ」
「わざわざ来てもらってわるいな」
「いいわ。どうせ報酬をもらうのもお店に行く必要はあるし、ついでだから餌も仕入れておいてね」
「わかった」
食事を終えたエリスは、ギルドに用事があるといってすぐに消えた。
ほのかがあまりに美味しそうに食べてくれるのでデザートも頼んでしばらくのんびりした後、店に向かった。
―――
帰り道。ハクの背に跨ったほのかに誘われ、二人でハクに乗ることになった。
なるべく密着しないように気を利かせたが、限界がある。ほのかは気にしていないようだし、俺があまり気にしても不自然か……。
「バアルはしっかり留守番してるかな?」
せめて話をして気を紛らわせる。
「大丈夫ですよ。もしかしたらお店のこともばっちりやってくれてるかもしれませんよ?」
特にやることがあるわけでもないが、あのひょうきんなガイコツが大人しくしているイメージはない。
ギンあたりのおもちゃになっているくらいで済んでいればいいが……。
「店のための動きとかを取られていた方が不安なんだけど、まあいいか……」
店の不利益になる行動はとれない。何かあるとすれば事故だが、すでに自分の骨を喜んで地面に突き立てるという前科のあるバアルに関して言えば、十分な懸念材料になる。
とはいえ、事故があって全部ひっくり返したとしても、周りには頼れる魔獣たちがいる。生体は生存本能に従えば店から出ようとは思わないだろう。
不安なやつらはテイム済みだし、まぁ何とかなるか。
……そこはかとない不安を感じながら帰ってきた店は、変わり果てた姿になっていた。
「なんだこれ……?」
「すごい!見違えるようですよ!」
なんということでしょう。
店の周りには牧場のような低い柵が設置され、ものが乱立していた入り口はすっきり整理整頓、店内は明るい雰囲気で足を運びやすい空間になっていた。
柵を挟んだ店先にはギルドの食事スペースのような丸いテーブルと椅子が何セットか置かれ、オープンテラスのようになっている。
「これ、全部バアルがやったのか?」
カタカタカタ。
首が縦に振られる。
「すごい!さすがバアル!」
ほのかがハイタッチしている。いつの間にそんな仲良く……。いや、魔法を教えてもらうような関係だったのだから仲良くなっても不思議ではないか。
「ほんとに私が言ってた通りだね」
「ほのかが頼んでたのか」
「はい。こんな風にすればお店ももっと盛り上がるだろうなぁって感じでしたけど……まさかここまでやってくれるなんて」
興奮気味に語るほのか。
事態についていけない俺は終始困惑気味だった。
「あ……すみません、勝手に……。やっぱり、迷惑でしたか?」
カタ。
不安そうに二人に見つめられる。
戸惑ったのは事実だが、不満はない。もともとこういう形で変えていこうという話はしていたんだ。勝手に進めたというわけでもない。
「驚いただけだ。ありがとう。ただ、差がありすぎてな……」
俺は良いにしても常連が戸惑わないかだけが心配だが、まあそれも客が来ればわかるか……。
「とにかく入ってみましょう!」
「ああ」
中の様子がほとんど変わっていないことに安堵する。
雑多に積み上げられていた空きケージや木箱が整理され、全体の見栄えが良くなっただけだ。
「ここはいじらないでいてくれたんだな」
カタカタカタ。
頷くバアル。
基本的にこの地域の生体なので、元の世界ほど気を使うことはないが、生き物は温度に敏感だ。
元の世界で爬虫類を飼育するなら、どうにか冬場にも彼らの空間だけは30度に保つ必要があり、この点が最も試行錯誤と苦労を重ねるポイントとなっていた。
夏は夏で、暑すぎても危険なのでクーラーをつけっぱなしの生活をしたりと、餌や世話よりも、ある種最も気を使う要素が温度だ。
魔法石をはめ込んで応用した魔道具は、元の世界で言う電化製品のように使える。
店全体の空調を調整する魔道具に加え、各スペースごとに適切な温度帯になるよう、細かく設定して魔道具を配置してあった。これをいじられると大量死の原因にもなる
「そこまでの配慮と、この実行力か……」
カタ。
動きが止まる。
ただのボーンソルジャーとしては、かなりオーバースペックと言える。
「どうしましたか?」
「いや、バアルはすごいなって話だ」
考えられる可能性はいくつか思い当たらないではない。だがまあ、ボーンソルジャーと本人が言うのなら、それでいいだろう。
どことなく安心したように、楽しげにカタカタ震えていた。
―――
「このあとは一人、客が来る予定だ」
「初めてのお客さんですね」
改装後初という意味か、それともほのかにとって初めての客と言う意味か……。どちらもあてはまるな。
この改装で客が増え、ペット文化や生き物への理解が少しでも深まることを願おう。
「なんだこれ?!」
「噂をすれば、だな」
外から聞こえてきた大声の主を迎えにいく。
店の前には、二メートルを超える大男が立っていた。
「何だ、これいったいどういうこった?」
「アランさんにはお気に召さなかったかな?」
「いやぁ、まるで別の店だ。間違えたかと思ったぞ」
アラン=リベック。毛むくじゃらのいかにも豪快そうな見た目通り、大斧で魔物をぶん殴るパワータイプの冒険者。反面、ベテランらしい知恵と経験に基づいた勘の鋭さも光る、Aランクの冒険者だ。
「まあ、こうして座って話ができるというのもいいんじゃないか?」
「そうだな。ここに来てもゆっくり見て回ろうなんざ思わなかったが、これなら話は変わるな」
「それは良かった。ゆっくりしていってくれ」
店を始める前からの付き合いがあるアレンさんが好意的に受け止めてくれるというなら、この改装は成功だろう。懸念材料が一つ減った。
「だがまぁ、せっかくだ、店長お勧めが入ったって言うんならまずそいつからだが、どうだ?」
「また増やすのか?そんなスペース良く……いやまぁあいつらはいくら増えても何とかなるか」
顔に似合わず、というと失礼だが、アランさんの好みは完全な愛玩動物だった。
大型のトカゲか、小型の竜あたりとパートナーになればかなり相性が良さそうだが、そっち方面には今のところ興味がないらしい。
フェリスなどのネズミやハムスターサイズの動物より一回り大きな、モルモット、チンチラ、ウサギ当たりに似た生体がアランさんのメインだ。基本は放し飼いで対応ができる上、増えれば増えるほど動物同士で遊べるためにストレスが減る。群れで生活していたタイプの動物たちは特にそうで、アランさんにはそう言った形で飼育できるものを勧めていた。
すでに十数匹の小動物に囲まれて生活しており、冒険者の仕事も半分くらい彼らのための狩りになるときがあるほどだ。
「あぁ、娘がえらく気に入ってなぁ。最近じゃあお父さんがいるとこっちに来ないからって追い出されちまう始末だ」
「それは、確かに一度懐いた相手にはずっとくっつこうとするからなぁ」
寄って行けば構ってもらえることや、餌をもらえることを一度覚えれば、彼らは本当に人懐っこく可愛い。
「そうなんだよなぁ。それが可愛くて可愛くて仕方ねえんだ……。というわけだから、娘のためというか、俺のためというか、少し増やしてやりたくてな」
「了解。いくつか紹介しようか」
アランさんに紹介する生体をいくつか頭の中でピックアップしながら、店内へ入った。