九話 脱出作戦
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「こっそり降りろよ」
下でヴィニウスが声を殺すようにして言った。
「分かってるわよ」
私はヴィニウスを見下ろしてそう言った。
私たちは甲板から海面に伸びる縄梯子をゆっくりと降りていた。
ドレスがひらひらとして降りるのが容易ではない。
私は裾を踏まないよう、注意する。
着替えることも考えたけど、ヴィニウスの服は勿論、船の中にあった服はどれもぶかぶかで着替えることも出来なかった。
仕方ない。私はドレスのまま、動く羽目になった。
嗚呼、こんなことになるなら動きやすい服装で街に出ればよかったわ。
そんな格好をしたら、「品格を〜」とか言われて、確実にアスティアナさんとケイト女史に止められるけど。
「そうだ。上を向かないでよ」
私は慌てて小さく叫ぶ。
この体勢だとヴィニウスからはスカートの中が丸見えに違いない。
「こんなに暗くて見えるか、馬鹿。そもそも、お前みたいなちんちくりんのスカートの中なんて興味ない」
ヴィニウスは切り捨てるように言う。
ちんちくりんと言われて頭に来たが、そこ以外のヴィニウスの言葉に納得してしまった。
確かに、見つかりにくいように夜を待って動き出したものだから辺りはすっかり真っ暗だ。
よく見えないので慎重に、1歩ずつしっかりと確認するようにまた1歩、私は足を下ろした。
足を次の場所に下ろすたび、ギシッといやな振動が伝わる。
下を見ると海面はまだまだ遠いようだ。
この船を抜け出して小舟で陸に戻って帰ろうという作戦は始まったばかり。
まだ船を抜け出す段階だ。
それにしても、沖まででてしまったので、小舟を漕ぐのは大変そうね。
陸地は遠く、淡い光で何となく場所が分かるくらい。
飛べない私が帰る方法はこれしかないのだから仕方ないのだけど。
「全く、有翼人のくせに飛べないなんて面倒臭い」
ボソッとヴィニウスが呟く。
「仕方ないでしょ。翼がないんだから。飛べるわけないじゃない!」
「あ、無神経だったな。すまん」
ヴィニウスは慌てたように急にすまなそうな声を出す。
ヴィニウスも私の翼がなくなってしまったことは分かっていたらしい。
まあ、ドレス着てるのに翼が出てない時点でおかしいなって思うわよね。
「そう思うなら、アンタが私を運んでくれたらいいのよ!」
「はぁ? お前みたいに重い奴運べるわけないだろ」
ヴィニウスはため息を吐いた。
小柄な私が重いですって?
その無駄に鍛えた筋肉使いなさいよ。
何の為に鍛えてるのよ。
そう怒りが込み上げてくる。
いや、でも確かに最近体が丸み帯びてきたのよね。
特にお尻やふとももにお肉がついてきたなと思っていたところなのよ。
やっぱり、魔王の城に来てから動かなくなったのが原因なのだろうか。
もう少し運動する必要がありそうだ。
私は自分の体を見つめてため息を吐いた。
「そうね。ダイエット……考えてみるわ」
「無い胸をさらに減らさないように気を付けないとな」
ヴィニウスは軽口を叩く。
私はカッとなった。
ならないわけないでしょ。
人のコンプレックスを突くようなことを!
「年下のくせに本当に可愛くない! そもそもアンタがここに連れてきたんでしょ!?」
「馬鹿! 大声出すなって!」
ヴィニウスが小さく叫んだとき。
「いたぞ!」
上から声がした。
やばい。
私は慌てて足を動かす。
早く降りて逃げなきゃ!
と思ったところで足がつるっと滑った。
勢い余って私は両足を空中に投げ出して、両手の力でぶら下がっている状態になる。
「おいおい、落ちるなよ!」
ヴィニウスが慌てて叫ぶ。
「分かってるわよ!」
私は足で引っ掛けられそうなところを探すがなかなか見つからない。
手の力だけで降りるなんて私にはできない。
とにかく足を乗せないと手が痺れて限界がくるわ。
そのときだった。
私のぶら下がっている縄梯子がぐらっと上に動いた。
もしかして、誰か引っ張ってる?
その拍子に私は梯子を握っていた手が滑る。
「「あーーーっ!」」
ヴィニウスの声と私の声が重なり合う。
私の体は宙に投げ出される。
こんなとき飛べたら、とくだらないことが脳裏をよぎる。
でも、いきなりそんなことができるようになるなんて無理だ。
記憶が走馬灯のように駆け巡る。
父様と母様の笑った顔。
屋敷のメイドや使用人が挨拶をしている姿。
泣いたヴィニウスの顔。
白い羽の舞う部屋。
興行が上手くいき、打ち上げをしていたときの一座の皆の笑顔。
縋るような酷く悲しそうな魔王の顔。
あれ? 私、こんな魔王の顔見たことあるかしら?
違和感の直後、私の体は強い衝撃を受けた。




