三話 魔王、告白する
2つの足音に混じって水音が聞こえる。
地下水の滴る音だろうか。
はたまた下水の水漏れだろうか。
出来れば前者の方がよいと思った。
次第に辺りは色濃い闇帯び、白かった廊下は一転して岩でできたものへと変わる。
随分と歩いた気がする。
「ここは……?」
どこに通じているのかと聞こうと魔王の外套を引いた。
すると、魔王はいきなり立ち止まる。
頭を上げ、くるりと私の方を向く。
「あれは帝国の者ではない」
呟きのように漏れた言葉。
やっぱり、魔王は両親の死についてなにか知っているのだと直感した。
私は次の言葉を待った。
魔王の口が徐に動く。
「陛下、馬車は手配できました」
魔王の声を掻き消すように澄んだ声が響いた。
タイミング良すぎる。
何で邪魔が入るのよ!
私は声のする方を睨んだ。
そこにはランプを持った男が1人。
優男風の顔に、硬そうな銀髪、金の瞳をオーバル型の眼鏡で隠した青年だった。
いや、身なりは良いものを着ていることや装飾品の古びた様子から、若く見えるが意外と歳はいっているのかもしれない。
「グィール、彼女を馬車まで運んでやれ」
「え、陛下? この方は今朝捕まったばかりの暗殺者じゃないですか。どういうことです? まさか、逃がすわけでは……」
グィールと呼ばれた青年は眼鏡を上げながら、驚いたように魔王を見た。
逃がす。
逃がすって誰を?
辺りを見回すが、該当しそうな人はいない。
ってことは私のこと?
「そ、そうよ! やっぱりこう言うことはきちんとしたところで話し合って罰だとか決めるべきだわ。勝手に逃がしちゃだめよ!」
動揺して、自分のことなのに他人事みたい言ってるのは分かっていた。
でも、間違ってはいないはず。
誰が何時、何処で悪いことをしたって悪いものは悪いんだから。
「いいや、こちらにも落ち度があったんだ。それに、この馬車に私も乗っていく」
魔王の発言に場の空気が凍る。
「陛下が何をおっしゃっているのか、私にはさっぱり分からないのですが……」
真っ先に口を開いたのはグィールだった。
どうやら、初耳に初耳を上塗りしたような出来事だったらしい。
よく見れば、彼は額から大量の冷や汗をかいている。
余程焦っているか、重臣たちが怖いのだろう。
可哀相なくらい顔は青い。
「そうよ! 寝首かかれてもしらないわよ! この女は手段を選ばないんだから」
私は急いでグィールに同意した。
暗殺者に説得される魔王が未だかつていたであろうか。
魔王は私をじっと見てから口を開いた。
「惚れたんだ」
相変わらず、魔王の表情は硬く無表情なままだった。
「はぁ!?」
意味が分からない。
ぐらり。地面が揺れた。
私は頭を抱えながら、倒れないように踏ん張る。
頭が重い。
「だから、惚れたんだ」
聴き取りやすいように魔王はゆっくりと同じ言葉を繰り返した。
「はぁ?」
この野郎は誰が誰を好きだと言ってるんだ。
「だから、私が、この娘に、惚れたと言っているんだ」
魔王は私の肩に手を置く。
この娘ってのが私で、魔王陛下が惚れた。
つまり、魔王陛下は暗殺者に惚れた。
惚れるというのは、「堪らなくそのものが好きになって他の存在を忘れてしまう」ということである。
「則ち、陛下はこのお嬢さんが好きなんですね。結婚してくれってことですね」
グィールは魔王に詰め寄る。
「極論だがそうなる」
魔王は無表情ではあるが心なし少しだけ嬉しそうに頷く。
何よ。なんなのよ!
そんなに嬉しそうに肯定しないでよ。
魔王陛下ってのは冷徹な独裁者だと思っていたけど、これじゃただの天然じゃない!
「ま、待ってよ。私は暗殺者。貴方を殺す気で此処に来て、捕まった。間違いないわね」
魔王の外套の裾をおもいきり握った。
掌が汗をかいているのが分かった。
私は助けを求めるようにグィールの方を見る。
グィールは混乱した様子で頭を抱えていた。
だめだ。
コイツじゃどうにもならない。
私がこの場をどうにか収めなければいけない。
そう確信した。
「嗚呼」
魔王は現状を理解しているというように力強く答える。
「貴方のさっきの話を聞いたところで私が貴方を殺さないとは限らないわよね。なんでそうなるの?」
冗談にしたって、悪質過ぎる冗談だ。
「惚れたから。暗殺者かどうかなどそんなの瑣末なことだ」
魔王は真面目な顔をして答える。
どうやら冗談ではないらしい。
余計、性質が悪い。
「だからね、なんでそんな好意のこの字もない人間に惚れるの。脳みその回路ブッ壊れてんじゃないの……」
天然だ。
魔王って実は天然なんだ。
天然に付ける薬はない。
私は呆れて、それ以上何も言えなかった。
「ま、まぁ、陛下は多少マゾな気がおありなのかもしれませんよ。それにお嬢さんは若いし、人間でも美人さんですし」
グィールは必死でフォローしているつもりのようだ。
でも、全くフォローになっていないのよ。
しかし、魔王がマゾってのは当たっているのかもしれない。
魔王って部下に命令できずに清掃活動してきたくらいヘタレな訳でしょ。
もしかしたら、ヘタレじゃなくてそういう人が嫌がることを進んでしたり、自分を虐めるのが好きな性格なのかも。
そこまで考えてから、違和感に気づく。
あれ? 今、人間って言ったわよね。
この眼鏡、私のこと人間って言った!
「私は人間じゃないわ!」
「それは失礼しました」
眼鏡改めグィールは慌てふためきながら前言撤回する。
自分の種族に誇りを持つ魔族にとって、人間と間違われるのは不名誉なことだ。
ドラゴンに蜥蜴と言ったり、人魚に魚というようなもの。
それそのものを指すのは差別ではないが、魔族間では差別に当たる。
「人間なんかと一緒にしないで。奴らは戦場で首を幾つ刈ることが出来るかで競いあったりするのよ。競い合うだけじゃないわ。誰が幾つ刈るか賭けて遊ぶの。おぞましいことこの上ないじゃない。死者を侮辱してるわ!」
確かに人間だっていい人は居る。
それは知ってる。
でも、それ以上におぞましい人間もいるわけで、それと一緒にされるなんて心外だ。
「すみません」
眼鏡は素直に頭を下げる。
しかし、一度火の点いた導火線はなかなか消えることがなかった。
ぬるりとした空気は生暖かい。
熱を更に上げる元ともなっていたのかもしれない。
此処で退いてよいものだろうか。
いや、よくはない。
私は使命感めいたものを感じていた。
絶対に認識を改めさせねばならない。
「だいたいね、人間サマとやらは魔力の無駄使いしすぎなのよ。大賢者だか大魔術師だか知らないけど明らかに法則無視な魔術やら法術を使いまくりじゃない。いつかじゃなくてすぐに世界は滅びちゃうわ。そんなアホアホ種族と一緒にされたら一族の恥よ、恥。どう責任取ってくれるのよ」
言っていて、腹立たしくなってくる。
ムカつきが止まらない。
そういえば、昔、旅の一座にいたとき、皆とご飯を買いに市場へ行ったら、魔族の子どもというだけで石を投げられた。
公演のときも生卵ぶつけられたり、大道具に落書きされたこともあったわ。
段々と人間にされた嫌な過去の記憶も蘇ってきたことも手伝って、苛々は最高潮に達する勢いだった。
「あの、お嬢さん?」
「何よ! 私が魔族じゃ不満なの!?」
私は眼鏡に向けて鋭くパンチを繰り出す。
が、いとも容易く避けられてしまう。
むかつく!!
「ふふっ」
魔王は微笑ましそうに唇を歪ませていた。
私は耳が熱くなるのが分かった。
「う、うるさいわね!」
私が暴れようとすると、魔王はひょいと軽々、私の体を持ち上げる。
「馬車はあっちか」
「ここを抜けて、森に」
眼鏡は素早く魔王を誘導した。
「ちょっと! 聞いてるの」
私は踠くように魔王の胸を叩いた。
すると、おでこに弾かれたような軽い痛みを感じる。
頭を上げると、眼鏡と目が合った。
もしかして、デコピンされた?
「お嬢さん? 調子に乗らないでくださいね」
グィールの、眼鏡の奥にある金の瞳がすっと細まる。
にっこりと微笑んでいるが、瞳は笑っていなかった。
これはもしや腹黒と言うものではないか。
否、もしかしなくても絶対に腹黒だ。
魔王の前だからって猫被っているのね。
私、天然と腹黒の扱いなんて知らないわよ。
だんだんと胃が押し縮められ、胸が痛くなる。
いやいや、扱いの問題以前に私と魔王は命を狙う者と狙われる者同士だったんだ。
一体、どうしたらいいのだろう。
この先の事を考えると、頭痛までしてくるのだった。