一話 魔王、入院する
弐章二十六話と終幕の間辺りの話。
さっくり終わる予定です。
「アンタ、本当にバッカじゃないのっ!」
温かなクリーム色の壁紙の室内一杯に声が広がった。
「病院ではお静かに、ね」
ヒルデさんが困り顔で諭す。
分かる。
分かっている。
でも、ムカつくもんはムカつく。
「ごめんなさい」
謝るけどムカつくのよ。
「素直でよろしい」
ヒルデさんは優しく笑う。
美人なこの方、ヒルデヴォルフ・T・ナハツェールは、なんでも眼鏡もといグィルセンヴォルフの姉に当たる人だと言う。
魔王専属の女医さんで、魔王が元気なときはこの病院で働いているらしい。
確かに、すらっとした背丈や銀髪、金の目は奴と同じだ。
でも、優しげに垂れた瞳とか、静かな物腰は奴と血縁関係にあるとは思えない。
爽やかで涼やかな美女って感じ。
私もこんな女性になりたいものだ。
「でも、本当に魚に当たって入院だなんて人騒がせにも程があるじゃない。大体、私が馬鹿って言わないで誰が言うの? 誰も言わないし、言えないじゃない」
そう、ここは帝国にある病院。
で、その病院の清潔そうなベッドで青ざめた顔をして寝ているのが我らが魔王陛下。
実は、魔王陛下はルドベキアから帰ってきて、すぐに入院ときている。
おそらく、ルドベキアで食べた魚の干したものが原因だという。
私も変態眼鏡も食べた覚えがないものだから、おそらく、こいつ、どっかで隠れて食べていたんだろう。
阿呆か。
全く阿呆らしくて涙が出る。
こいつに私は傷1つつけることができなかったのに、魚はこいつを入院させることが出来るのだ。
己の弱さに腹が立つ。
「まぁ、スクルドさんのおっしゃることももっともです。陛下には少しどころじゃないお灸をすえて貰わなければ分からないのかもしれません」
ヒルデさんは思い切り頷いた。
「魚に罪はない。罪を憎んで魚を憎まずだろう?」
魔王はぬけぬけと給う。
「アンタねぇ、魚に罪がなくともアンタにはあるわ! 私がどんだけ心配したと思っているのよ!」
「それは、噂によると、半狂乱して泣き縋り、ずっと病院まで片時も離れず、病院に着いたら着いたで食事もせずにずっと沈んだ顔でいたと聞く……」
何故、それを知っているんだ、魔王め。
性格が悪い。
少し誇張が入っているけど大筋は当たっている。
さてはあの変態腹黒眼鏡がばらしたのだろう。
後でシバく。
ヒルデさんのいないところで〆鯖の如くしめてやるんだから。
嗚呼、大体恥ずかしいではないか。
このスクルド様がこんなおバカの為に泣いて泣いて泣きまくって目が腫れただなんて。
魔王は敵!
魔王は敵!
やっぱり敵よ!
「煩い! 全く何でアンタみたいなおバカを心配しなきゃならないのよ!」
本当に、阿呆らしい。
「それはあ……」
「愛とか言うつもりじゃないでしょうね」
じろりと睨むと魔王は項垂れる。
やっぱり愛だとかなんだとかぬかすつもりだったのだろう。
本当にムカつく。
完全に私の人格を無視しているわ。
私は魔王に死なれたら困るだけなの!
まだ、両親を殺した犯人を聞いてないんだから。
それまで死ぬなっつーの。
全く、この阿呆の鼻にピスタチオ詰めてやろうか。
ピーナッツなんて生易しすぎる。
こうなったら大蒜でもいいわよ。
どんどん詰め込んでこの無駄に美形な男をとんでもなく不細工にしてやるんだから!
コンコンとノックの音が響く。
邪魔が入った。
舌打ちをして扉を思い切り睨んでやる。
「あらあら」
ヒステリを起こしそうな私の代わりにヒルデさんが慌てた様子で扉を開いた。
「魔王陛下大丈夫ですか!」
大きな声に私たちは扉の方を見た。
「病院ではお静かに!」
ヒルデさんが渋い顔をする。
「嗚呼、済みません」
へこへことお辞儀をする誰か。
金髪に翠の瞳、天使然とした美形。
微笑みの貴公子、天使様改めリュウ猊下だった。
「天使様!?」
「いやですねぇ、天使様だなんて誉め過ぎですよ」
天使様は相変わらず鼠色のローブを纏っていた。
首までしっかりと被われているから暑そう。
しかも手袋まできっちりとしているものだから余計に暑苦しい。
流石は中二病。キャラクターが徹底されているわね。
「お見舞いですか?」
「いいえ、本日は本業の方で魔王陛下にお目に掛かりに参りました」
その言葉にヒルデさんは手を叩く。
「そう言えばアスティーが教皇庁からの和平使節が来るとか言ってました」
魔王の眉がぴくりと動いた。
「聞いていないが……」
「あら、それは私が言い忘れていたからですわ」
ヒルデさんは言ってのける。
魔王陛下相手にそんな事を言うなんて大物だ。
「じゃ、天使様はお仕事なわけだ。私は帰るね」
「待て、帰るな」
魔王は駄々をこね始める。
ガキじゃあるまいし、いい加減にして欲しい。
大体、キャラが違うわよ。
「天使様はお仕事、アンタは病人でしょ。なら、邪魔にならないように元気な人、則ち私が移動するべきだわ」
私は間違ったことは言っていないし、誰が何と言おうとしてなかった。
「スクルド……」
何ですか、魔王様、その手は。
私のお洋服を掴んでいるように見えるのは気の所為ですか?
心なし目が潤んでいるのは気の所為ですよね。
嫌だな、徹夜の所為で幻覚見てるんだわ。
「スクルド……」
夢じゃなかった。
「何ですか、陛下? もしや、私が帰るのを引き留めるおつもりですか?」
馬鹿丁寧に微笑んでやる。
ここは冷静に大人になるのよ、スクルド。
怒っちゃダメ。
ここ数日、まともな寝床で寝てないからといって、あったかい布団が恋しくて、眠くてキレやすくなってるからといって怒っちゃダメ。
でも、病人だろうがブチ切れたら最後。
ぶん殴っちゃうかもしれない。
大体、昨日もそうやってアンタが引き留めたせいで布団で寝れなかったのよ。
ベッドの横のソファーで寝たのよ。
それなのに今日も帰るな、ソファーで寝ろと言うのか。
「帰らないで欲しいらしいですよー」
後ろで眼鏡の声が聞こえる。
また要らんことを言う。
シめる。
後でと言わず、今シメる。
「兎に角、離して頂戴?」
「帰るのか?」
今、ここで瞳を潤ませるな。
小動物のような顔で私を見るな。
こんなおっさんのうるうる攻撃ごときで折れそうな自分が怖い。
「お風呂、お布団、安眠が大事なのよ」
魔王は敵!
魔王は敵!
特に美容の敵よ!
「私よりも大事なのか?」
「大事にしてやってんじゃないの!」
前と今の扱いを考えてから言いやがれって。
「兎に角、帰るったら帰るわよ!」
ずかずかと扉まで歩く。
後頭部あたりに視線が嫌に突き刺さるのが分かった。
そんなの無視。
まったく気にしない。
そうは言うものの視線が痛かった。
気にしないって決めたのに優柔不断な私。
じゅくじゅくと湿った傷口のように痛みが振り返す。
怖かったのは本当だ。
目の前でまた人が死ぬかと思ったら怖かった。
ただ恐くてたまらなかった。
別に魔王だからというわけではない。
「アンタが元気になったら、一緒に帰ってあげるから我慢しなさいよ!」
堪え切れず叫んだ。
顔が熱かった。
多分、私の顔は真っ赤だ。
どうしてくれるのだ。
「また来るから、それまでにしっかり治しておくのよ」
私はそう呟くと逃げ出していた。
明日も私はまた病室に行くだろう。
そうしたら、林檎でも剥いてあげようか。
想像したらちょっと照れくさかった。




