一話 序章の序章
帝国歴4003年。
一度絶滅しかけた人類は現在、大きく分けて3つに分かれていた。
1つは、魔王陛下を筆頭に、魔法に長けた種族である魔族たちが住む国、新人類帝国。
そして、宗教上の元首であり、国家元首でもある教皇が束ねる人間中心の国、聖教国。
最後に、そのどちらにも属さない小さな国々をまとめて、小世界と呼んだ。
これは、そんな世界で生きる、少女と魔王のお話である。
***
「魔王! 覚悟!」
私は叫んだ。
相対するのはとても美しく、憎らしい男の姿だった。
男の黒く昏い色をした髪は微動だにせず、紫の澄んだ瞳はこちらを向いていた。
整いきって澄ましたツラを無表情に向けている。
私は、跳んだ。
真っ直ぐ、力強く。
漸く、積年の恨みが晴らされる。
私は歓喜に震える胸を抑えながら、ナイフを振りかざした。
長い長い跳躍だった。
地面が、魔王が、遠い。
やっと、やっと果たされる!
父様、母様、見ていてください!
不意に男と目が合う。
そして、男はこちらに向かって悠々と微笑んだ。
それはあまりにも美しく、完璧なものだった。
***
その日はとても気持ちの良い天気だった。
何故、あそこに行こうとしたのかは思い出せない。
覚えているのは、あのとき、何故だか無性に母様に会いたいと思ったことだけだ。
私は母様の部屋のドアノブに手をかけた。
パチンと弾ける音とともに静電気が走る。
私は驚いて手を離す。
ぞわり。
鳥肌が立った。
「母様」
胸騒ぎがして、私は愛する人を呼んだ。
返事がない。
ざわざわと騒めく胸を押し殺し、恐る恐る扉を開く。
扉の開く音ともに目の前が真っ白になった。
無数の羽根が空中に舞い、赤い染みが絨毯やベッド、天井にいくつもあった。
そこは見慣れたはずの部屋ではなかった。
「母様?」
掠れた声が漏れる。
その部屋からは死の匂いがした。
「父様?」
もう一度、声が漏れた。
誰の声も返ってこない。
白金と鮮やかな空色、羽根の白、赤の染み。そして、黒。
色だけはやけにはっきりしていた。
ごろり。
黒いそれが何かを落とした。
転がった何かと目が合う。
私は息を飲んで目を見開いた。
唇が震える。
「母様?」
震えた声に対する返事はやはりない。
黒いものがくるりとこっちを向く。
それがなんなのか、12歳の私でも、十分すぎるほど分かっていた。
驚きよりも恐怖が身体を縛る。
怖い。
怖い。
怖い。
こわい。
目の縁からじんわりと視界が滲む。
じわじわと半透明の膜で覆われる視界。
「何故……何故なの」
唇から漏れたのは陳腐な言葉だった。
黒いものは、完璧に整った顔を歪めて微笑んだ。
心臓が凍るほど美しい顔だった。
「陛下……!」
私の声はあの人に届いたのか分からない。
私は震える唇でそう叫んだ。