十三話 ルドベキアの影
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少女に促されるままに、私たちは街の、とある一角に来ていた。
目の前に広がるのは、荒れ果てた不毛の地。
確かに街並みはあのルドベキアそのものだ。
しかし、窓ガラスは割れ、人はおらず、まるでゴーストタウンのようだった。
生命活動がなされている空間とは思えないほどの静寂さ。
何かが腐ったようなひどい悪臭もする。
罠だったらどうしよう。
一瞬そんなことが頭を過ぎる。
頬を風が撫でる。
空気は熱く乾いたものだった。
黄色く色づいた風のせいか、息苦しさを感じる。
喉に砂埃でもはいったのだろう。
「これが聖都?」
乾ききった唇から呟きが漏れる。酷くざらついた発音だった。
ちくりと胸を掠める僅かな痛み。
何だか分からないが、胸騒ぎがした。
少女は、とある家の前に立った。
彼女は扉を開ける。
「これは……っ」
少女は声を詰まらせた。
この狼狽っぷりは何?
「どうしたの?」
「こんなこと……こんなことって……」
少女はそう繰り返すばかりだった。
ジェスカちゃんも慌てて中を覗く。
ジェスカちゃんの顔はみるみるうちに蒼白に染まり、歯の根の合わぬようにかたかたと震え出している。
普通じゃない怯え方だ。
「ちょっといい?」
入口を塞ぐジェスカちゃん避けながら、私は家の中に入った。
途端、散乱した調度品の姿が映る。
私は唖然とした。
机はものの見事に破壊されている。それは机としての名残があるものの殆どが砕けていた。
同様に木片ばかりの──これは椅子であったのだろうか、机よりも粉々でもはや原形すら分からない。
どんな力で破壊すればこんなことになるのだろう。
他の家具と思わしきものも無惨な姿であった。
突然、映像が目の前に浮き上がる。
よく見る映像なので、それが過去のものであることはすぐに分かった。
薄く開いた扉から見える赤と白。肉の塊、白く精気のない肌、ガラス玉のように生気のない碧の瞳、舞い散る白い羽根。
その横に、にんまりと唇を左右に引き伸ばし、嗤う男。
心臓が凍る。
白く肌理細やかな肌、静かに影を落とす長い睫毛、アメジスト色の虚ろな瞳。やっぱり魔王の顔だ。
過去だと分かっているのに、じわじわと末端が、冷えていく。
酷い吐き気がした。
二人があんな状況なのに、私が倒れるわけにはいかないのよ。
私は倒れないよう必死に堪えた。
一瞬のことのようでも、永遠のことのようでもあった。
「お姉さま?」
気付けばジェスカちゃんが私の肩を掴み、支えてくれていたようだ。
「ごめん、ちょっと、びっくりしただけ…」
何も言わず、ジェスカちゃんは私を抱き締める。
ちょっと苦しいけど、体温が心地よい。
冷えが和らぐ。
「少し外に出ますか?」
「ありがとう。落ち着いたわ」
ジェスカちゃんは不安な顔をしているが、落ち着いたのは本当だ。
私はジェスカちゃんから離れると、家の中を改めて見回した。
床に散乱したものの中にはパンや汁物が入っていたであろう鍋もあった。
夕飯の仕度中に何かがあったのだろう。
大きな足跡が沢山ついていることから、男たちが踏み込んできたというところだろうか?
冷静さを取り戻しながら観察する。
「………」
不意に亡霊のようにか細い声が聞こえた。
辺りを見回すが、そんな声を出しそうなものなんて一つもなかった。
まさか幽霊だと言うのか。
否、まだ幽霊が出るには早過ぎる時間帯だ。
多分違う。
絶対違う!
私は空耳でありますようにと祈りながら耳を澄ませた。
「たすけ……」
やっぱりそれは聞こえた。
いや、助けて?
助けてなんて幽霊が言いますでしょうか。
恐らく言いません。
大体、幽霊はか弱い女の子たちに助けを求めるもんですか。
そりゃあ、多少求める可能性はあるかもしれない。
でも、こんな時間にそれはないだろう。
嗚呼、私はボケに飢えているのだろうか。
ついつい自分でボケてつっこみを入れてしまう。
兎に角、何処から聞こえているのかが分かれば幽霊か否かは分かるはずだ。
もう一度、聴力を働かす。
蚊の鳴くような声をゆっくりと辿る。
クローゼット?
他の家具は無惨だったが、良いものなのだろう。
これは辛うじてクローゼットの体裁を保っていた。
声はこの中から聞こえてきたようだ。
「ジェスカちゃん……」
少女はまだ真っ青な顔をしてへたり込んでいた。
まだ動ける様子でない少女を置いていくのには少々気が引ける。
「ええ、ワタクシはこの子を見てます」
ジェスカちゃんは少女を扉の中に入れると、力強く頷く。
「お願いね」
私は念の為、ブーツの中からナイフを取り出す。
さて、これで準備はできた。
私はクローゼットの扉に手をかけた。
「……っ!」
驚きのあまり声が詰まった。
そこでは服に紛れて幼い少女が体を震わせて座っていた。
赤毛であることからこの家に連れてきた少女の妹であることがすぐに分かる。
「お姉ちゃん」
「ラウラ!」
三つ編みの少女がこちらに駆け寄ってくる。
「お姉ちゃん、お母さんが……」
妹がそう言いかけたときだった。
ダンダンダンダン!
扉を叩くような音がした。
振り返ると、ジェスカちゃんが玄関の扉を押さえているのが見えた。
「兵士の皆様が外に!」
ジェスカちゃんは叫ぶ。
デュグライムの直属兵のことだろうか。
「早く逃げないと!」
少女が叫ぶ。
「どうやって!?」
外へ出ることが出来る扉は玄関の扉だけのようだった。
窓から出るのも幼い少女を連れてでは、出ている間に捕まってしまう。
「ごめんなさい。荒っぽいやり方で、お家を少し壊してしまいますが、いいですか? 」
ジェスカちゃんは覚悟を決めたような顔をしていた。
「分かりました」
少女も覚悟を決めたように頷く。
「クローゼットの中に隠れてください」
私たちは幼い少女が隠れていたクローゼットの中に素早く隠れた。
そこからは早かった。
ジェスカちゃんは素早く呪文を唱えると、扉から離れ、クローゼットの中に飛び込む。
扉を閉める。
どっと兵士たちが家に入り込んできた気配がした。
「目を閉じて、耳を塞いで!」
小さい声でジェスカちゃんが指示を出す。
私たちは目を閉じて耳を塞いだ。
その瞬間、爆発音がした。
外から音がなくなったのを確認して、ジェスカちゃんは扉を開ける。
そこには兵士達が数人、倒れていた。
「急ぎますよ」
ジェスカちゃんはそう言ってからまた呪文を唱えた。
また玄関から数人、兵士が現れる。
待っていましたと言わんばかりに先ほどの呪文が発動し、兵士を風の魔法で外まで吹き飛ばした。
兵士は地面に強かに頭を打ち付ける。
それを尻目に、私は幼い少女を抱えて、ジェスカちゃんは三つ編みの少女の手を引いて走った。