生者(なまもの)
頭に純と付けていいのか迷いますが、純文学です。
人の関係性というのは、どこで差が出るのだろう。病室にいる時、僕は常にそう思わされてきた。普通、学生が病気になった時のお見舞いは悪友たちでがやがやしているものだと思ってきた。でもそれはごく限られた範囲内の病気であって、ずっと体の良くなかった僕にとって悪友なんてものを作る機会すら与えられなかった。だから、友と呼べる存在はいないし、暇な時の話相手は同じ病室の人か本だった。
それでもずっと病気なら、そういう人生だったんだなと踏ん切りがつくものを。病というのはそう上手くできているわけではないようで、適度に良くなり悪くなりを堂々巡りに続けている。だからこの歳の僕は学生であるが故、その適度なルーティンに合わせて同級生のアーク灯のような顔に照らされなくてはならない時期がある。中学校の卒業アルバムなど、見ているとすごく惨めな気分になる。アーク灯たちが集合している写真の上枠で、フィラメントが切れかけた豆電球のような顔をしているのが僕だった。かと言って豆電球のような淡く優しい想いをしたことがあるわけでもなく、色恋沙汰に関しては蛍光灯のような無機質感と、無駄な安定感があった。
こうして今、靴下を履いて学校に行こうとしているのも、淡い世界に別れを告げるためで、眩しい顔たちに照らされながらもそこに混じろうとする気にはなれなかった。
「コウタ、しっかりするのよ」
玄関で母親が決まって吐く台詞だった。これが嫌いだから、外に出るのが嫌になるのだ。病気の波があると言っても、体の動きに関して不自由があるわけでもないし、突発的な発作が起きる病気じゃない。ただ波があって、検査に引っかかったら危ない時期だよと、医師にそう告げられるだけのものだ。
「しっかりするのよ」
母親は、僕がドアを閉める前にもう一度繰り返した。この通り体は不健康だが、別に生活する上で「しっかり」していないことはないと思う。だからいつも母親の言葉は、体について「しっかり」ではなくて人間関係の「しっかり」に聞こえて、虚しくなる。きっと母親もそのつもりで言っているのだろう。人間関係を心配しているのは分かるが、僕にはもう諦めがついていた。
「おはようございます」
学校に着いてまず、僕がしなくてはならないのが書類の提出だった。病気の間は休学届を出しているから、それを終了して復学するためにも書類が必要だからだ。
「高村くん。退院おめでとう。何度目かもう分からないけどね」
「ありがとうございます。今年は何組になったんですか」
「そうだね、君のクラスはD組って事になってるけど。学習の遅れがあるから、まずペースを合わせるために、復学担当の先生に見てもらうことになるね」
毎度の恒例行事だ。いや、僕の人生の中では年中行事と化している。病室の中でそれなりに勉強してきたつもりではあるが、やはり独学には限界もあるし、両親には四六時中病室にいて勉強を教えてくれとも言えない。同室の人たちは学のある人もいたけれど、どちらかと言うとその人の歴史の勉強の方が多かった気がする。
「あとは、新しいクラスに馴染めるように簡単なカウンセリングをやるからね。今年からカウンセラーの先生が変わったけど、大丈夫かな」
「問題ないです。特にカウンセリングに思い出があるわけでもないですし、僕は他人と会うときはいつだって初対面ですから」
校長室を出て、指示された部屋に向かうことにした。それなりに広い高校であるためか、これまで学校にいた時間が短かったためかは分からないが、いつも案内板を見ないと教室にたどり着けない。病院の方がはるかに広いのに、学校の間取りはいつも頭から抜け落ちていた。
また、人と違う。自分が普通の生活をしていないのは分かる。人と同じになりたいという事でもないが、それでも楽しそうな同級生を見て羨ましいだとか、悲しいだとか思うことはよくあった。だから学校に来るたび、周りと自分を比較して、自分自身の脱落した青春について諦めをつけようとしてきた。でも人間の精神はそう簡単ではなくて、覚えたはずの英単語はぼろぼろと崩れていくくせに、一度望んだものはどんなに他のことで上書きしても、水中の風船のようなものすごい力で浮き上がって来るのだった。
「失礼します」
カウンセリングの部屋は和室だった。かつてあったらしい茶道部が使っていたとか。学校の部屋なのに妙な生活感があって、だが狭いが故に独房のような気分にもなる。
「どうも。担当の矢島です」
カウンセラーの先生は座って待っていた。年齢はどの程度だろうか、非常に若く見える女性だった。着ている服がスーツではなくセーラー服であったなら、同級生と言われても信じそうだった。
「若くて驚いた? 大学卒業したてでね」
「いえ、初めまして」
他人は常に初対面である僕にとって、この挨拶はもう幾度となく繰り返される「さだめ」だった。
「カウンセリングとは言っても、高村くんは人とのコミュニケーションに困るタイプじゃなさそうだし、少し安心かな」
「そう見えますか」
人と話すのは別段苦手なわけではない。僕に友人がいないのはただ、他人と知り合っても会う機会がほとんど無いからだ。僕ほど長く入院していると、病室の人は次々に入れ替わっていくし、看護師の人も研修生だとかで知らない顔に会うことばかりだ。知らない人間と話すのは慣れている。ただ、そこから発展しないだけで。
「今日一日は精神ケアのために時間を使ってくれって、校長先生から頼まれてるんだけど。どうしたらいいか分からなくなっちゃった。カウンセリングって、その人の悩みをこっちが聞くことがメインだからさ、高村くんは慣れっこでしょ? 悩みがあれば聞くけど、きっと答えはもう出てそうだし」
「先生がそんなので良いんですか……。でも、確かに相談したいほどの悩みはありません。悩みを作るほど日々に変化があったわけでもないですし」
「とりあえず、コーヒー淹れるね。飲める?」
「はい、ありがとうございます」
話し振りからして、軽そうな先生だ。少し適当なところも感じる。私生活もそうなのだろうか。
だが同時に、少し嬉しくもあった。今までカウンセリングをすると言えば、友人の作り方がどうだの、部活動を始めた方がいいだの、どこか「特別」であるような、キズモノに触れるような目で話されてきた。普通でないという自覚はあるが、だからと言ってまるで障害者を介護するような話し方をされるのにも腹が立つ。だからそんな話をすっ飛ばして、世間話でも始めそうなこの先生に対して、第一印象は良だった。
「砂糖とミルクはご自由に。私はどっさり入れちゃうもんねー」
「ああ、僕は結構です」
「へえ、ブラック飲めるんだ。なんだか高村くん大人だなあ。私なんかまだ大学生のノリ捨てきれなくて、仕事の上司によく叱られるよ」
大学生のノリ。そんなものを僕が体験する機会なんてあるのだろうか。この人もまたアーク灯の一つだと思うと、惨めな気分になった。
「でも、高村くんのこれまでを考えると、大人になるのも分かるな。人ってさ、もちろん最初は子どもじゃない? だけど、人と触れ合わない事で大人になっていく人と、人と付き合う事で子どものままでいる人の二分されるんじゃないかな。偏見かな」
「いえ、僕もそう感じていました」
「きっとこの『大人』である部分が人間の本来の姿なんじゃないかなぁ……。一人になればなるほど、私は聡明になれるような気がするんだ」
一人でいるから大人。自律だとかいうものだろうか。自分で自分のことを大人であると思った事もなかった。そもそも大人だとか子どもだとかいう考えはどうでもよかったからだ。
ただ、他人といるときは他人の事を考えて行動しなくてはならない。その分自分自身を考える時間が減って、子どもっぽくなるのは違いないとも思う。他人からの影響で子どものようになるのであれば、本来の姿が一人である大人だという理論も説得力を感じられる。
「なんか重たい話しちゃった。でも、みんなでワイワイ他愛もないこと話すのって高村くん慣れてないでしょ? 実はさ、私もあんまり得意じゃなくて。さっきの大学生のノリと矛盾するけど、やっぱり「ノリ」なんだ。その場に合わせて話してるだけで、本来自分のしたい話じゃないというか」
「分かりますよ、他人に合わせるのが辛いって。こう病気が長いと、仲の深い人がいないから。気を使わずに話せる相手って家族ぐらいしかいないし、家族だって仕事とかあるわけですから」
「なんか仲間がいたようで安心した。カウンセラーが担当の生徒に安心させられるって、そりゃおかしい話だけどさ」
なんとなく、この人になら何でも話せるような気がした。そもそも話すネタ自体僕には少ないのだが、不思議な親近感のようなものは感じ取れる。
こうして、僕はこの先生と出会うことになった。人の出会いというものは運命で決まってるとかよく言われるが、僕にとってはどうでもいいことだ。しかし後に思い返せば、この先生が僕の世界で「生きる」ことになったのに対して、運命というものの存在を強く感じざるを得ない。僕は神様仏様を信じているわけじゃないし、たとえいたとしても僕に対してあまりに無情だから信用できないと思う。だけど運命みたいなものやその時々の運勢みたいなものは、この内容のない人生の中でも感じるものだった。
「今日は高村くんのために来たけど、本当は毎週木曜に常駐カウンセラーとしてこの学校に派遣されてるの。だから、高村くんがこれから子どもに戻るにあたって悩みができたら、いつでも職員室に相談に来てね」
返事はしておいたが、多分相談することは無いだろう。この人もきっと、今まで知り合ってそれきりの有象無象の他人の一部だ。
先生の名前、なんだっけ。覚える必要も無い気がする。