セーブデータの名前
「ただいまー」
いつもなら玄関先まで出てくる妻が、今日は返事も返ってこない。
『出かけているのかな?』
だが灯りはついている。俺が居間を覗いてみると、妻はテレビに向かい熱心にゲームをしていた。
「ただいま」再び声をかける。
「あ、おかえり」画面を見つめたままの返事。
「そんなに夢中になって何をやってるの?」
見てみると懐かしいゲーム機だった。
「物置の整理をしてたら奥の方から出てきたの。それで、動くかなって思って繋いでみたわけ」
そのゲーム機は俺が高校生のときに買い、夢中で遊んでいたものだった。もちろん今プレイしているソフトもその頃に買ったものだ。
「へえ、そんな所にしまってあったのか。まだ動くんだな」
懐かしさを感じながら、背後に立ったまま妻のプレイする画面を見つめた。
少しすると妻は「よしっ」とつぶやきコントローラーを床に置いた。
「おかえりなさい。ごめんね、すぐにごはんの支度するから」
「うん。それはそうと、これずいぶん先の方まで進んでないか?」
俺はゲームの画面を指さした。おぼろげな記憶だが、このシーンはかなりの時間プレイをしないとたどり着けないはずだ。
「刺さっていたメモリカードにセーブデータが残っていたから、それ使っちゃった」
なるほど、それなら納得だ。
「ところで」妻は急に真面目な表情になった。「この『みおな』というのは誰のことかな?」
画面に表示されているキャラ名を指さす。
『しまった』俺は心の中で舌打ちした。
「別に。誰のことでもないよ。よく覚えてないけど、たぶん思い付きで付けたんだろ」
「うそ! 本当のことをいって!」
面倒くさいことになった、と俺は思う。経験で分かるが、これは、ごまかしでは逃げられないパターンだ。観念して真実を吐くことにした。
「そうだよ。おまえのことだ」
「ええ!? だって高校のとき、よしくんそんな素振り全然見せなかったじゃない。知らなかったよ?」
「うるさいなあ。いいだろ、そんな昔のこと」
「そうなんだ。あの頃にねえ、ふふふ。わたしはてっきり、成人式で再会した時にこちらから声をかけて、そのとき初めて気にしてくれたとばっかり思ってたよ」
妻はとても嬉しそうに、ひとりでニヤニヤと笑ってはうなずいている。俺はいたたまれない心地でいっぱいだ。
「もうその話はいいから、早くめしにしてくれよ」
「あ、そうね。すぐ支度する」
妻は足取りも軽くキッチンへ行った。
俺はとにかく気恥ずかしかったが、それでも彼女がご機嫌で居てくれるのなら悪くないなと考えていた。それよりも、今はやるべきことがあった。俺はこっそりとコントローラーを手に取った。気付かれないうちに、二番目のセーブデータを削除しなくては。そこには、学校中から憧れのまなざしを受けていた同級生の女の子の名前がキャラに付けられているはずだから。




