第5話:桜の舞う丘で
振り返った希衣は、泣いていた。
「えへへ………見つかっちゃった………」
「希衣っ!!」
雄太郎は希衣に駆け寄り、その肩を強く抱こうとする。
そして、抱けなかった。
「………ごめんね、ゆーたろ」
驚いて希衣の顔を見上げる雄太郎に希衣は悲しげな笑顔を向ける。
「もう、おしまいなの」
「………希衣………?」
「ほんとに、楽しかった。ほんとにほんとに………」
雄太郎の手は何度も希衣をつかもうとし、その手はただ半透明の少女の中を通り抜ける。
青い手紙はくしゃくしゃになって雄太郎の左手に握られている。
「手紙、読んでくれたんだね。ちゃんとバイバイって言ったのに」
「納得できる訳無いだろ!」
雄太郎は叫んだ。
その声は夜空に吸い込まれ消えていく。
「突然死んで、突然現れて、恋人になって、デートに連れて行けって言われて、そして、突然消えて……」
「ごめんね、ゆーたろ。でも………」
「手紙だけ渡されて、バイバイしたのにって…ふざけんなよ!」
雄太郎は、泣いていた。
「俺だって……俺だって、まだ希衣に伝えてないこといっぱいあるのに……」
希衣と重なり合うように雄太郎は抱きしめるような仕草をする。
「希衣の元気で明るいところも、食いしん坊なところも、ちょっとドジなところも、いつまでたっても俺のことを昔の呼び方で呼ぶところも……全部、全部大好きだ。
触れられなくたって、他の人に見えなくたっていい。ただ、ただ俺のそばに……」
――――いてくれよ。
声にならない言葉。
「ゆーたろ。ありがとう」
希衣はゆっくりと腕の中を抜け、笑顔を浮かべた。
「私も、ゆーたろのこと、ほんとに、ほんとーに大好きだよ」
いつもの笑顔。
「でもね、だからバイバイなの……」
「希衣………」
「私ね、ゆーたろは、ゆーたろでいてほしいの。これからもずっとずっと優しいゆーたろでいて。
ゆーたろには未来があるの。私はその邪魔をしたくない」
「邪魔になんてならない!」
「ううん。きっとなるの。でも、優しいゆーたろはそれで悩んで、悩んで、それを私に隠すの。もう分かるんだから……私はゆーたろが私のことで悩んでるのが一番辛いの。
私はゆーたろの中でずっと生きてるから。パパとママの中にも、みんなの中にいるから。
だからいつか、いつかゆーたろがおじいちゃんになって、天国に来たらまたお話しよう。そして、生まれ変わってまた恋をしよう。
今度は、私も、ゆーたろも生きてる時に」
希衣は、泣いたままの雄太郎を見て笑顔を浮かべる。
「だから、今はもうバイバイ。いつかまた会えるようにさよならするの」
雲が月を隠す。暗くなった世界でも希衣は笑っていた。
――――― バイバイ、ゆーたろ。また来世ね。
希衣は手を振りながらそう言った。
雲が過ぎ、再び月明かりが周囲を照らした時、希衣はもうそこにいなかった。
「なにがまた来世、だよ。また明日、みたいに言いやがって…」
もう雄太郎の目に涙は浮かんでいなかった。
呆れたように笑うその頬に、小さな雪が落ちる。
それは風を受け、ひらひらと地上へ舞い落ちる。
小さな白い結晶は街灯の明かりを受けて弱く光って見えた。
それは、まるで桜の花びらのように
白い花びらは地面へ落ち、消えていく。
雄太郎は白く染まっていく街を見下ろしながら頬を伝っていた最後の涙を拭った。
「バイバイ、希衣。……また来世な」
その夜、街は冬の桜に包まれた。