第2話:お弁当
深夜、泣きはらした顔で帰ってきた雄太郎を見て、両親は何も言わなかった。
それは幼馴染を亡くした息子を気遣ったのか、それともただ単に声をかけるのがはばかられるほど、悲しい表情をしていたからなのか。
誰にも分かるところではない。
希衣と雄太郎は二人、布団に入り眠る。
手をつなぎ眠る二人は、寒い冬の夜でもあたたかかった。
翌朝、雄太郎が目を覚ますと、希衣は既に髪を梳かしているところだった。
「ゆーたろ、おはよ!」
そして、出会った時と同じような笑顔を向けてくる。
「あぁ、おはよう」
そう返した雄太郎に対し、「もう…なんか冷たい!」そう言って頬を膨らませる希衣に昨日の面影は全くと言っていいほどに感じられなかった。
「なぁ希衣……」
「昨日のことは、もういいの。決めたんだ、ゆーたろの前ではもう泣かないって」
まるで雄太郎の言葉がわかっていたのかのように希衣は口を開いた。後ろを向きながら話す希衣から聴こえてくる声には、迷いはなかった。
「せっかくゆーたろと一緒にいられるんだもん。楽しく笑ってるほうがいいに決まってるもん!それに、ゆーたろが守ってくれるんでしょ?」
振り向いた希衣は笑っていた。
「うん。じゃあ俺も、もう泣かない。男だからな!」
雄太郎も笑った。
「ねぇゆーたろ、デート行こ!デート!」
起きて早々、髪を梳かし終えた希衣は突然そんなことを言った。
「ん?でーと?」
「そう!私のこと世界中の分好きなんでしょ?きいたもーん」
「ま、言ったけどさ……」
「じゃあデート!!どこ行こうかなぁ」
準備をする希衣はまるで少女のようにはしゃいでいた。
雄太郎はそんな希衣を見て微笑む。しかしはしゃいでいた希衣は突然手を止め、振り返ると困った顔を雄太郎へ向ける
「やばいゆーたろ!着ていく服がないよ!!」
確かに、希衣は何故かパジャマを着た姿で現れ、それ以外に服は持っていないようだった。
来ているのは厚手のシャツにスウェットのズボン。普通に外に出るには少し抵抗があるかもしれない。
「でもほかの人には見えないんだから……」
「やだやだやだー!!デートだもんおしゃれしなきゃダメ!」
雄太郎は希衣がいればいいのに、と思ったが、あえてそれは口にせず希衣にある提案をする。
「じゃぁとりあえず俺の服でいいか?」
「ゆーたろの服!?わーい!いいよー!着る!!」
希衣は嬉々として雄太郎のクローゼットを漁る。
そしてしばらくして希衣が選んだのは、黒いジーンズに赤いパーカー。幼い頃には見なかった私服姿、雄太郎は思わず自分の服を着た希衣に見とれていた。
「えへへ、ゆーたろの匂いするね」
そういって照れる希衣はドアを開け、洗面所へ向かう。
「ハミガキしてくる!」
希衣がドアを閉めた瞬間。雄太郎の脳裏にあることが浮かんだ。
いままで希衣の姿を含め、服も見えなかったのは、希衣が彼女自身の服を着ていたからであって、彼女が元々着ていた服以外のものを着た場合、下手をしたら服だけが浮いて見える透明人間状態になるのではないか。
「希衣!ちょっと待て!」
あわてて部屋から出ると、すでに希衣は洗面所に消えており、さらに間が悪いことに母親がそこに入っていくところだった。
雄太郎もそこへ駆け込む。
「はぇ?どうしたのゆーたろ?」
「雄太郎?おはよう。昨日は良く眠れたの?」
そこには別々に驚く顔が二つあった。
そして母はまったく希衣に気づいていない。
「よかった……」
どうやら希衣が身につけたものは誰のものであろうと見えなくなるようだ。
雄太郎はさも当たり前のように雄太郎の歯ブラシで歯を磨く希衣を見てため息をつく。
「あ!違うのゆーたろ!これはっ……私自分の歯ブラシなくてっ!でも歯磨きしないと虫歯になっちゃうし…考えたんだよ?でも叔父さんとか叔母さんのは使っちゃダメかなって……」
歯ブラシを口に入れたまま顔を真っ赤にして慌てる希衣に雄太郎は”大丈夫、ただし後で話がある”というジェスチャーと示す。
「雄太郎…?」
心配する母にも「大丈夫、少し疲れただけ」
そう返すと雄太郎は部屋へ戻っていった。
■ ■ ■
「ふんふんふ~ん。デートっでぇとっ!」
希衣は雄太郎の腕を引き、ずんずんと歩いていく。
「ちょっ……早いって!」
雄太郎はなるべく不自然にならないよう、小声で話しながらそれについていく。
「まずはご飯ね!お腹すいた!」
「ちょっとストップ!!」
近くのファミレスまで来たとき、ようやく雄太郎は希衣を止めることに成功する。
「流石に希衣が物を食べてるところを見られるのはまずいだろ!服の時みたくうまくいくかわからないし。
どこかで弁当買わないか?」
昨夜は気にする余裕がなかったが、希衣が食事をするとき、雄太郎以外にはそれこそ食べ物が何もない空間に消えていくように見えるだろう。
もし服のように食べ物自体が消えるとしても、消失と出現を繰り返す食器という不思議な現象や二人分注文する大食漢の少年の存在、それ以外にも様々な問題が考えられる。
「えー!ドリア食べたかった……」
希衣は若干憮然としながらも雄太郎についていく。
お弁当を二つ買い、それを公園の隅、大きな木の陰で食べる。
「おいしかったね~。おべんとやさんのお弁当、いい仕事!」
「おっさんみたいだな」
「そう?ふつーだよ、きっと!あ、ゆーたろご飯粒ついてる……」
空は綺麗に澄み渡り、風は小さく芝を揺らして吹き抜ける。冬の空気は澄み、肺に入ってくる空気は冷たかったが、どこか清々しかった。
二人は空容器をゴミ箱に捨てると、バスに乗り、希衣の希望で動物園へ向かった。
「お一人様ですね。六百円になります」
雄太郎は一人分の料金を払い、中へ入る。
「私幽霊で得した!いいこともあるもんだね!」
希衣はそんなことを言い、また笑った。
動物園を出たあとは、本日二度目、お弁当で夕食をとった。帰宅する頃には陽は沈み、頭上には月が浮かんでいる。
「楽しかったね!また行こっ!」
「あぁ、また行こうな」
「今度はお花見もしたいね!」
部屋へ戻った雄太郎はコートを脱ぎ、いつもの出窓へと腰掛ける。
「今日も月がきれいだな」
「わーほんと!きれいだねー!」
希衣も、雄太郎の反対側、小さな出窓で向かい合うように座り、空を見上げる。
「でも、あの月も……ん?」
シャツの袖を引かれ、雄太郎が空から希衣へ目を戻すと、希衣は真っ直ぐに雄太郎を見つめていた。
「ゆーたろ。キスして」
「は……?」
雄太郎は固まったまま動かない。
「早くっ……はい、んっ!」
希衣は目をつぶったまま唇をつきだす。
「そんな急に、それにムードもなにも……」
「いーの!私がしたいからするの!」
雄太郎はしばし考え、希衣の頭を優しく抱く。
「わかった」
それは唇と唇が触れ合うだけの一瞬のキス。
希衣の唇は震えていた。
「えへ…ありがと、ゆーたろ。」
希衣は出窓から立ち上がり、雄太郎に背を向ける。
背中を向ける瞬間、目を開けた希衣は泣いていた。少なくとも雄太郎にはそう見えた
「もうねよっか!私疲れちゃったみたい!」
「その前に風呂入れよ。洗面所で見張っててやるから」
「わーい!入る!あ、ゆーたろ見たらダメだよ??」
照れを隠すように雄太郎が言った言葉に振り向いた希衣は、笑っていた。
「わかってるよ。早く済ませようぜ」
あの涙は気のせいかも知れない。雄太郎はそう思うことにした。
交互に入浴を済ませ、髪を乾かすと二人一緒に一つのベットで眠る。
雄太郎は疲れていたのか、布団に入るとすぐに寝息をたて始めた。
「おやすみ、ゆーたろ」
希衣はそんな雄太郎の頭を軽く撫で、自身も布団へ潜り込む。
「……もう少しだけ、一緒にいさせてね。ゆーたろ」
空に浮かぶ月だけが二人を優しく照らしていた。