第1話:肉まん - 2
日が落ちた頃になって、雄太郎は帰ってきた。
心配する両親には目もくれず部屋へ戻る。
ドアを開けると、希衣はベットで布団にくるまっていた。
入ってきた雄太郎に反応し振り返る。
「あ!ゆーたろ!!やっと帰ってきた!あのね、洗面所に行ったらね………」
「今、いろんな人に話を聞いてきた」
希衣の言葉を遮り、雄太郎はそう言った。
そして体を起こした希衣のとなりへ腰を下ろす。
「お前、死んだんだってさ」
その言葉を言う特、顔を伏せていた雄太郎の表情を伺うことはできなかったが、まるでその声は自分の内臓を握りつぶされているような、苦しく、掠れた声だった。
「え?どゆこと??私が、死んだ?だって私はここにいるよ?」
希衣は後ろを向いたまま動かない雄太郎の肩をつかむ。
雄太郎はその手を払い、立ち上がると、希衣の目をしっかりと無据えながら、もう一度同じ言葉を繰り返した。
「希衣。お前は、死んだんだよ」
「待って、ゆーたろ。何言ってるの?全然意味が……」
「俺だってわかんねぇよ!でも、希衣は死んだ。昨日の夕方六時二十八分、朝言ってたペットショップの先の交差点で交通事故にあったんだ」
雄太郎は顔を伏せ、声を詰まらせる。
「トラックに巻き込まれて即死だってさ。
俺を悲しませたくないからって遺体は見せてもらえなかった」
「だから、わかんないって……トラック?即死?」
「そうだ」
「そんな訳無いじゃん!普通にゆーたろと話してるし、お腹だってすいた!」
希衣は頭を振り、半ば叫ぶようにして否定する。
「信じられないよ!私が死んだんならここにいる私は誰なのさ!!」
「それでも、希衣は死んだんだ。これはどうしたって変えられないこと」
雄太郎の声は沈んでいたが、さっきと違い、少しだけ熱を帯びていた。
「今からすべてハッキリさせる。ついてきてくれ」
雄太郎は希衣の手を掴み、歩き出した。
再び家を出ていく息子に、両親は何も声をかけることができなかった。
「ここ、覚えてるか?」
訪れたのは近所にある公園。大きなタコの形の遊具があり、近所の子供からはタコ公園と呼ばれ親しまれている。幼い頃の雄太郎と希衣も学校の帰りには頻繁に訪れていた。
「覚えてるよ、タコ公園。小さい頃ゆーたろとよく遊んだ。かくれんぼすると、ゆーたろ、いつもタコの口に隠れるんだよね。それで、そこまで登れない私を助けようとして出てきて、みつかっちゃうの」
「そうだな」
「あの砂場でも遊んだね。泥団子作った。私どんくさかったけど、泥団子だけはゆーたろよりも上手に作れたから、よく自慢したよね」
「うん、もうわかったよありがとう」
「それにジャングルジムだって……」
「もういい…もういいから…」
「ううん。言う、言わせてよ。あそこでは鬼ごっこしたよね。二人でやるとずっと私が鬼のまま終わらないの、ゆーたろ手加減してくれないんだもん。あぁ、滑り台だって……」
「もういいから……もう、わかったから…」
希衣が指さそうと持ち上げた手を、雄太郎が止める。
雄太郎は、泣いていた。目に溜まった雫は、頬を伝い、地面に落ちる。
「あ、ゆーたろ泣いてる。男の子は泣いちゃダメなんだよ……」
希衣もまた、泣いていた。
大粒の涙は地面に小さなシミを作り、やがて吸い込まれて消えていく。
「あれ、なんで泣いてるんだろ、わたし」
「……行こう」
雄太郎は再び希衣の手を引いて歩き出す。
向かったのはコンビニエンスストア。入店した雄太郎は真っ直ぐにレジへ行き、希衣を呼ぶ。
何もいない空間に声をかける少年を不思議そうに見る店員に対し
「ここにいる女性、見えますか?」
雄太郎はそう聞いた。
店員は首をかしげ、指さす先を見ながら答える。少年の指さす先、店員の目にはガムやミントタブレットの棚しか見えていない。
「見えません…けど。そこに誰かいるんですか?……ってうわぁ!」
若い店員は目を戻した先、少年が涙を流しているのを見て驚いた。
「すみません。ありがとうございました」
涙を流した少年は、そう言いながら店を出ていった。
その右手は、まるで見えない何かを握っているようだった。
その後雄太郎と希衣は三件のコンビニを回ったが、結果はすべて同じ。
二人は手をつないだまま歩き、ある場所へ到着した。
「ここで、希衣は死んだんだ」
雄太郎はそう言った。
そして、その言葉をこぼしたきり、何も言わず、動こうともしない。
「そっか……私、死んじゃったんだ」
希衣は雄太郎の手を離し、少し先、車道と歩道の境目あたりで、ぼぅっと上を見上げる。
「誰にも見えてないんだね、私。死んじゃったのか。
まだまだこれからなのにな、就職して一人暮らしもしてみたかったし、もっともっと美味しいものも食べたいし、空も飛んでみたい。あ!スキューバダイビングもしてみたいなぁ。それに……」
希衣は泣いていた。
ボロボロと涙をこぼしながら言葉を紡ぐ。
「それに……恋もしたかったな。私、エッチもした事なかったのに。あ~もったいない!……ほんと……ほんとにもったい…ない。まだ二十歳なのにね……」
最後の方はもう、言葉になっていなかった。
希衣はパジャマの袖で涙を拭うと、空に向かい、叫ぶように声を荒げる。
「結婚もしたかったし、子供だってうみたかった!親孝行だってまだしてないし……あーもったいない!!」
しゃがみこみ嗚咽を漏らす希衣に、雄太郎は声をかけられなかった。
「ねぇ、ゆーたろ、私何か悪いことしたから死んじゃったのかな?」
「違う。希衣は何もしてない」
雄太郎はそう答えた。そうとしか答えられなかった。
「じゃあなんで、なんで私は死んじゃったの?教えて、教えてよゆーたろ」
「………………」
「ねぇ!なんで!ゆーたろ!教えてよ!なんで私が、私が、死ななきゃならないの!教えてよッ!!!」
立ち上がった希衣は雄太郎の胸ぐらを掴み、詰め寄った。
掴んだまま雄太郎に向かって叫ぶ。やり場のない感情をぶつけるかのようにただ大声を上げる。
「なんでッ!!ねぇ!!なんでよ!!………答えてよ……ゆーたろ……」
雄太郎に持たれるようにして希衣は泣いた。
それほどの時間そうしていただろうか。もしその場を誰かが見たらただ少年が一人立ちすくんでいるように見えるだろう。
「俺が、代わりになるから」
「………え?」
泣いていた希衣が、顔を上げた。
雄太郎はゆっくりと希衣を抱きしめる。
「俺が、世界の代わりになるから。
希衣の姿が、俺にしか見えないなら、俺がいくらでも見てやるから。声が俺にしか聞こえないなら、俺が聞いてやるから。守れるのが俺だけなら、俺が絶対に守ってやるから」
「うん……うん……」
雄太郎の腕の中で希衣は首を振りながら嗚咽を漏らす。
「何があっても俺は希衣を忘れないから。大丈夫、こうして会えてるし、話せてるんだ。
きっと恋だって結婚だってできる。まぁ、相手は俺しかいないだろうけどな」
そう言って雄太郎は笑った。
その目からは涙が流れていた。
「きいが誰からも愛されないなら、俺が世界中の分希衣を好きでいるから。だから、俺と一緒にいてくれ」
「………うん」
短い返事が、夜の闇の中へ吸い込まれていった。
―――――きゅるるるるるる…
その時、泣いているふたりの間で間抜けな音が響く。
「お腹なっちゃった…」
てへへ……と希衣が笑う。
「はい。もう冷めちゃったけどな」
雄太郎は最後に寄ったコンビニで買った肉まんを取り出すと、希衣へそれを渡す。
「うわぁ!肉まんだ!」
幸せそうに肉まんを食べる希衣を見て、雄太郎ももう一つ肉まんを取り出し、口に運ぶ。
冷めてしまった肉まんは、いつもより少しだけしょっぱかった。