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虚言の庭師  作者:
第1章
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第1章


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 父親の鼾が聞こえなくなった我が家は静寂に包まれていた。彼が顔も知らぬ女とどこかに消えたあの日は、私にとっての記念日になるだろう。それくらい開放的な夜だった。

 しかし次の瞬間には父が消えたことなど忘れ、畳に直に寝ると全身に跡がつくことを気にしていた。

 もう春も終わるがまだ寒い。厚着すれば解決することだと自分を宥めまた、父のことを考えた。

 私が物心付いた頃から母と喧嘩ばかりしていた父。酒を飲むと直ぐに怒鳴り、ひと段落するとその場で大鼾をかき眠りこける父。

 彼から思い出す過去は忌々しいことばかりだ。だから私は常に彼との関係を薄く引き伸ばすことにしていた。糸を紡ぐように、細く長く──。

 家族という名ばかりの糸を、辛うじて繋げていたのはそう、金だ。彼が消えればこの家は瞬く間に廃れる。従って私は障子を隔てて彼と生活した。彼の逆鱗に触れる行為を一切せず、ただ自室に篭り彼の鼾を待った。鼾は、彼の就寝を告げる素晴らしいものだった。

 彼は何を望むでもなく、会社から戻ったら食べて眠るといった生活サイクルの中で生きていた。今思えば、彼は私にとって敵ではなかったかもしれない。だがその頃の自分には、自分の平安を脅かす者全てが敵に思えたのだ。

 彼の怒りを買うことさえしなければ私は家で幸せに暮らせたかと云うと、そうではない。

 母は父の金目当てに妊娠し、所謂「できちゃった婚」で私を産んだ。母は当時十九で、容姿は華奢で美しかったのだと聞く。

 つい最近皆が写る家族写真を見たが、確かに彼女は肌は陶器のように白く、細かった。

 長く傷んだ髪を金に染め、額の中央で分けていた。露出の多い服装の腹部には私が抱かれている。

 四歳年上の兄は母の隣で無邪気にピースをしている。その写真はまだ、彼女は水商売をしていた頃だ。

 今では金の髪を黒に戻している。ぼさぼさになった髪を気にすることなくスーパーのパートに出掛ける彼女を見ていると、少し可哀想になってくることもあったのだが──。

 如何わしい店で働いていた母は、その頃に育んだ性格が直せないのか、非常に短気だった。

 自分の思うようにいかないと怒り、それを物にぶつける。だから家の壁には穴が所々に空いている。その拳が自分の元に来なかったことに感謝した。

 小学六年になった私は既に、この世界の「現実」を直視することに長けていた。

 自分が他人から気味悪がられていることを薄々感じてはいた。それでも私は構わなかった。自分が何か一つを学ぶ度に、他人が遠ざかる。

 周りが知らないことを知っている優越感。それは甘美な悦楽となり私の小さな頭を支配していた。

 その頃の私は、学校や家などありとあらゆるものが嫌いだった。話の合わない同級生、短気な両親。私の心が休まるのは自分の部屋だけだった。

 しかし中学にもなると自分の部屋さえも嫌いになり、居場所を無くした。

 男好きの母が度々男を連れてくることは知っていた。だがその魔の手が自分の兄に向かうとは思ってもいなかった。

 私は小学生の低学年頃から異性同士のそういった快楽を伴う遊びを知っていたから、母の部屋に連れ込まれた男性とのその後はある程度把握できたし、大人にとってそれは当然のことだと子供ながらに考えていた。

 だがある日の夜に、その思考は打ち砕かれることになった。未だに性行為を好きになれないのは、母と兄の情事が薄い壁の向こうから聞こえてきたからだった。

 それは深夜二時頃のことだったと記憶している。母は兄の部屋に忍び込み、そういった行為へと誘導したのだと思う。

 それからというもの、男の出入りは減り、兄との密事は増えた。母の嬌声と兄の息遣いが、私の耳元で鳴っているようで不快だった。

 母は私が純粋な中学生だと思い込んでいるから、朝は平気な顔で私と接する。兄も何事もなかったかのように無言で朝食をとり、一足先に高校へと出掛けてゆく。

 そんな不思議な家庭で育っている私は、自然と内気になり外部との関わりを自ら遮断した。

 自分が汚れているからではない。家庭が汚れているから他人にはその私生活を少しでも覗かれたくないのだ。

 いつの間にか私は学校でも家でも孤立状態となった。それで私は満足した。一人の世界を楽しむ愉悦に浸れたからだ。

 嘘を吐くことが増えた。些細なものから周りを驚かす重大な嘘まで吐く。周りから浮くことで、己の心を強くした。


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