表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
2/2

わたしだけの城

バスを降りて奈々子は目黒川沿いに出た。

一本先は山手通りで人通りも車も通りも多いが、桜の名所としても有名な目黒川沿い。この季節は寒々しい木が立ち並んでいるだけだけど、奈々子は目黒川沿いの緑が気に入って三年前この街に住み始めた。ここでの暮らしは早足で歩いていないと置いていかれそうになる。オーガニック素材を使っている美味しいクッキーを売っていたお店も随分前になくなったし、奈々子がこの街に引っ越してきて初めてランチをした目黒川がみえる二階席がある小さなお店ももうなくなってしまった。山手通り沿いに去年出来たピザのお店もまだ行ったことがない。目黒川沿いはなんだかのんびりしていて好きだけど、都会での暮らしは、常に前に進んで去るものは追わない、そんなスタンスでいないと追いつけない気がしていた。


女子大を卒業して一流ではない商社に入社した奈々子は就職をきっかけに下町にある実家を出て一人暮らしを始めた。五歳で父親を亡くした奈々子は、母親と母方の祖母に育てられた。大手メーカーで経理の仕事をする母と、母と同じく若くして夫に先立たれた祖母と三人での暮らしを奈々子は案外気に入っていた。母は仕事が忙しかったけれど、できるだけ奈々子といる時間を作ってくれているようにみえたし、祖母はとても優しくて祖母が作ってくれる甘い卵焼きが奈々子は大好きだった。祖父が残してくれた下町の大きな一軒家での三人での暮らしが終わりを告げたのは奈々子が中学三年に進級した時だった。母が再婚し、奈々子の新しい父親となった山下修一と山下の連れ子である智史が奈々子たちの家に引っ越してきたのである。智史はまだ三つだった。智史の母親は、生後六ヶ月の智史を置いて不倫相手と駆け落ちした。山下は優しく良い父親で智史も可愛かった。でも、奈々子はどこかでその新しい家族を受け入れられずにいたのかもしれない。小さい智史はあっという間に家の中心人物になった。高校受験のこと、志望校のこと、祖母や母に相談したいことはたくさんあったけれど、母は再婚した後も仕事を続けていたし、祖母も幼い智史の面倒をみることで忙しそうだった。出張の多い山下は家に帰る度に奈々子にお土産を買ってきてくれた。ご当地もののお菓子だったり、時には外国のチョコレートやかわいらしい雑貨だった。そんな山下の気遣いを奈々子はわかっていたけれど、どう接していいかもわからなかった。奈々子は高校二年の一年間、交換留学制度がある女子大付属の高校へ進学した。五歳から暮らしていたこの家は奈々子にとって息が詰まるものになっていた。電車で一時間かからないところにある実家にはお正月くらいにしか帰らなくなっていた。


奈々子のダウンのポケットで三ヶ月前にみんなが持っているリンゴから変えたピンクのスマートフォンが小刻みに震えた。


《予約が入りました》というタイトルのメールに目を通す。

[本日21時~、山科綾子]

名前をみただけではどんな人か思い出せなかった。

「ご予約のお客様からのメッセージ」というボタンをクリックして、それに目を通した途端、奈々子の眉間にシワが寄る。


「先生、旦那がまた家を出て行ってしまいました。わたしはどうしたら良いのでしょうか?本日21時からまたお願いします。」


こいつか・・・


どうしたら良いのか?って知るかよ、そんなこと。


心の中で悪態を尽きながら、奈々子は「自分の城」のドアを開けた。


以前は世田谷の小さなアパートに住んでいたが、三年前転職したタイミングで家賃12万のこのマンションに引っ越した。提示された年俸は日本の会社だったらあと数年は貰えなかったであろう額だった。自分の今までの努力が実を結んだ気がして奮発して契約した部屋だ。インテリアもこの部屋に合わせて新しく買い揃えた。転職してから仕事はハードになったが、自分へのご褒美と言い訳しながら奈々子の暮らしはどんどん派手になっていった。長期の休みの度に海外へ行き、ブランドバッグや靴を大量に買った。昔は一万円くらいのパンプスを履いていたのに、五万円以上する海外ブランドのパンプスしか履かなくなった。


部屋着に着替えてPCを立ち上げた時、またテーブルの上で携帯が震えた。

奈々子はインターネット通話のアプリを立ち上げて、イヤフォンマイクをつけた。


ネット電話のむこうで女のすすり泣く声が聞こえる。



「皐月さん??どうしました??」



皐月は地方都市に住む40の女で、この仕事を始めてまだ一ヶ月半の奈々子の上客で三日に一回は予約をしてきた。


夫と子供がいる皐月は、十歳年下の職場の後輩と不倫関係にあるらしい。嫁姑の折り合いが悪く同居暮らしのストレスから一年前から後輩と不倫するようになった。


少し皐月の気分を落ち着けてから話を聞くと、どうやら妊娠したらしいのだ。旦那とはもう五年近くセックスをしていないからごまかせないと皐月は泣いていた。


避妊しろや。



心の声が喉元まで出かけたが、それを飲み込むように「では、ちょっと鑑定してみますね。」といって奈々子は素麺を長くしたような長い棒の束を何回かこすり合わせ、サイコロをふった。

評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ