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シビルは何を見たのか その2

 彼らはプールに再度侵入して、ちょうど休憩中であった野山を呼び出した。

「はいよー」と言ってやってきて、野山は山田の頭をごしごし撫でる。飼い犬に対する主人の態度だ。

「そこにいる男が聞きたいことあるんだって」と山田は黒瀬を指差して言う。

「なになに? というか、きみさっきもいたよね。だれなの? わたしのやまだちゃんの恋人?」と言いつつ野山は山田の耳たぶを掴む。黒瀬はそんな野山の鼻を強いて見るようにして、

「ミス研の一年で、黒瀬と言います。それでですね、昨日のことなんですけど、シーラカンスはどう飛んでました? つまり、プールのレーンに平行だったのか、垂直だったのか、ということです」と言った。

「そうだなあ。どちらかと言えば垂直だったよ。つまり、教室棟から出てきたような感じだったかな。何でそんなこと聞くの?」

「はあ、それはですね、スカイフィッシュの放流もとを探り当てようとしてるんです」

「そうなの! それなら協力を惜しまないよ。どんどん頼ってよ!」と言って、野山は山田の耳たぶから手を離し、黒瀬の手を握って、笑顔でぶんぶんする。

「ええ、まあ……」黒瀬はあやふやになりながらつぶやく。水着少女との接触は初めてなのだろう。そんな黒瀬を見かねてか、遠くにいる小林が野山を呼ぶ。野山はじゃあね、と言い、風を残してその場から立ち去った。山田は己の耳たぶをさすりながら、プール上空に目を向けた。

「ということは、あっちからあっちに、さかなちゃんは泳いでいったってわけか」と山田は、教室棟から、技術家庭科棟のあいだに指をさまよわせる。その二つの棟の狭間にプールが存在する。黒瀬は、にまにましながら、

「予想通りです」と事後報告する。

「じゃあ、あやしいのはあそことあそこか」山田は技術家庭科棟三階と教室棟三階の端を指差して言った。黒瀬は肯き、

「どっちからいきますか?」と尋ねる。

「う~ん。けどさ、どっちみち無理じゃない?」山田は小さな頭を抱えて唸る。

「どういうことですか?」

「だって、最終下校時刻後になったらどっちも施錠されるんだよ。侵入できないじゃん」

「まあ、それは置いときましょう。なにか仕掛けがあるかもしれないし」

「そうねえ、仕掛けか。トリックを見破るためにも現場に赴かないとね」

「そうですよ。さあ、さっさと済ませましょう。そろそろ中田が寂しがる頃だ」黒瀬はそう言いつつ、近くにある技術家庭科棟へと向かう。

「う~ん」と言いながら山田は黒瀬の後をとことこ付いていった。

 技術家庭科棟は三階建てで、一階に工作室、二階に調理実習室、三階に被服室を擁している。それぞれには、工作部、料理研究部、手芸部が巣食っていた。彼らは手芸部の根城へと向かうことになる。山田を先頭にして、トンカチ、電動ノコギリのシンフォニーを身に受けながら、階段を制覇していき、彼らは三階へと至った。その扉には手芸部と可愛らしく書かれたダンボール製の看板が掛かっている。ガラス張りの戸から見えるのは談笑する女子生徒たちやら、ミシンの使用してなにやら作業をしている男子生徒やらである。なかなか生産的な時間を過ごしているようでもある。山田はそんな光景には興味が無いらしく、ドアの鍵の部位を観察していた。

「これは、まだピッキング出来ないなあ」

「まだ、じゃなくて、一生しなくていいっすよ」

「でも、ここの鍵が使えないとなると、ピッキングするしかないじゃん」

「前提を疑いましょう。つまり、鍵は使えたというわけです」と言いながら黒瀬はドアを開ける。涼やかな風が二人を撫でた。それから、被服室独特のほこりっぽさも彼らの鼻腔を刺激した。おかげで、山田はくしゃみをすることになる。それで彼らは談笑していた人々の注目を買うこととなるのだ。

「山田じゃん。どうしたん?」とその中の一人が立ち上がって、山田のもとへと歩いてくる。

「いやあ、りさちん、ちわっす」山田は鼻を擦りつつ応対する。

「うん、ちわっす。今日はソファで読書してないの?」

「うん。ナゾがわたしを呼んでてね」

「またまた、ヘンなこといいやがって」と桑野りさは笑う。

「今日の金魚だれがやったか、気にならない?」

「そんなの気にしなくていいじゃん。期末のほうが気になるよ。で、何しに来たの? 金魚のこと知ってる人はここにはいないけど」

「じゃあ、シーラカンスは?」

「あぁ、昨日飛んでた奴でしょ。少し噂になってたよ。でもうそ臭いよね。だれがなんのためやったのか、意味わかんないし」

「うんうん、そのとおり。で、それが金魚だったんじゃないかと思うわけですな」

「はあ? またわけのわからないことを。山田はそろそろ、本ばっか読まずに現実に立ち向かった方がイイよ。このままじゃ、アッチ系の人になっちゃうよ」

「ならないよ! とにかく、魚がここに来たらしいから、すこし調査させて」

「意味わかんないけど、静かにやってね。今会議中だから」と言って、桑野は山田の頭を撫でたのちに、自席へと戻る。黒瀬は早速、中庭側の窓際に向かった。山田もその後ろについていき、調査を開始する。といっても、指紋等を採取するわけでもない。ただ、窓の桟に積もった埃を指でなぞったりするだけである。黒瀬は教室棟側を眺めながら、窓に沿って歩む。山田は教室の真ん中辺りに突っ立って中庭を眺める。木々がふさふさと揺れるのを見て、今日は風があるなと山田は思う。そんな山田に黒瀬は小声で言う。

「ここがいいですね」

「はあ?」不審者を見る眼差しで黒瀬を射抜いて、山田は低い声を出す。

「ここから向うに橋渡しすれば、ちょうど男子更衣室側とは逆サイドにシーラカンスがうかぶことになる」山田の様子に頓着しない黒瀬は平然と説明した。

「なになに、どういうこと? 橋渡しってなにさ」

「つまりですね、ここから何らかの方法で、ピアノ線か何かを向うの教室棟まで持っていって、橋にしたんです。魚が泳げるように」

「……、あぁ、なるほど。魚を吊るすために、ひもを渡したわけね」山田は軽く呆然としながら呟くように言った。黒瀬はじっと対岸の教室棟を見る。被服室から向かい側の教室までの直線距離は、40メートルほどだろう。黒瀬にとっての問題は、どのようにして糸はプールを越えたのかだった。この峡谷渡るためにはどのような工夫を施せばいいのか。黒瀬はそれを考え始めた。そんな黒瀬に見習ってか山田は小ぶりの頭蓋骨を抱えながら、う~んと考え始め、それから一つの反論をする。

「とはいえさ、放課後ここは鍵閉められるわけでしょ。侵入不可能じゃん。どうするの?」

「鍵をかけ忘れたとか、そんなんじゃないっすか」黒瀬は投げやりに答えた。

「そうかなあ。ちょっと聞いてみるか」と言って、山田は桑野のところへと向かう。桑野は会議中なんだけど、とか言いつつも山田の質問に答える。曰く、昨日は早めに吉野がやってきて、しっかりと戸締りをしていた。他の手芸部員もその言葉にうんうん頷き、賛同を示した。それから、彼女らは何をしているのかと山田に問うた。山田は野山の見たシーラカンスについて話した。こうして噂は広がっていくのだ。手芸部員たちは不思議だと異口同音で語り合い、結局は、胡散臭いよねで終わる。それで、桑野はいま、文化祭の話してんだ、と山田に話を振った。山田がメイド喫茶でもやればいいと投げやりに言うと、手芸部員たちはそれに食いついた。みんなで作った衣装を着て、喫茶店やればいいじゃん、みたいな話になり、より細部の計画を立てるべく彼女らは会議に入った。おかげで山田は話の輪から外れることになった。こういうとき人はなんとなく僅かな疎外を感じるものだ。そして、この類いの疎外感はたいてい見当違いなものでもある。それでも山田は寂しさが疼くのを気にしながら、頼りない仲間の下へと帰った。黒瀬は、対岸の教室を観察しながら、

「どうでしたか?」と山田に聞く。

「閉めたってさ、吉野先生が」窓に寄りかかるようにして立つ山田はそう答える。

「へぇ、そうおっすか」黒瀬はこともなげに呟いた。

「アンタの推理はくさっちゃったね」山田は中庭の芝生を凝視しながら小さく言う。

「そうかなあ」と黒瀬はにまにま顎を撫でつつ、空を見上げて答える。ヘリが音をたてずに空の道を渡っていた。

「なんか、反論あるの?」山田は不思議そうに泰然とした黒瀬を見やる。

「いや、鍵って合鍵とかつくれないんですかね」

「さあ、難しいんじゃない。職員室から盗み出さないといけないし」

「生徒がやるのは無理っすね。じゃあ、吊るすのは難しいか。ほかに、推論ありますか?」

「ないよ」山田は中庭を見つめながら呟いた。

「うそでしょ」黒瀬は軽く驚いて、山田を見る。山田のおさげが寂しそうに揺れていた。貧乏ゆすりをしているようであった。黒瀬はその行動に不可解さを感じつつ、

「考えてないんすか?」と尋ねた。

「考える気分にならないの」と山田は片足をぶらぶらさせながら、しょぼくれた返事をする。

「まじっすか。もう飽きちゃったんですか?」

「ちがう。だって、そもそもシーラカンスが飛ぶわけ無いじゃん」

「そりゃ、そうですけど。目撃者が一人いるじゃないっすか」

「野山先輩、目悪いから、カラスかなんかと見間違えたんだよ、きっと」

「それだと、なんで野山先輩が閉じ込められたのか、が説明できませんねえ」

「簡単だよ。閉じ込めた人はろっくんが言ったように、金魚を放流した人。野山先輩が居たら、邪魔になるでしょ。だから、閉じ込めた。それだけ」

「めずらしく、冴えてますね」黒瀬は細い目を見開いて、山田を見た。

「しょげたときには、頭がよくなるの」山田はプールを見下ろしながら退屈そうに受け答える。

「それは、かなり苦労しそうな体質ですね。じゃあ、金魚を放流した人がなぜ鍵を持っていたのか、はどう考えますか?」

「先生だったから」

「はあ、もしかして」

「そう、吉野先生がプールに金魚を放流したの、きっと」

「へえ、そうなると動機はどうなるんですか?」

「知らない。きっとイタズラしたかったんでしょ」山田は無責任な感じで答えた。黒瀬は目を瞑って、顎を撫でる。山田はそんな黒瀬を斜め下から見上げる。この男は考えたりするとき、いつでもこうするのだ。そういった日常的なものを見て、山田は何となく安心した。黒瀬は薄目を開けて、呟くように論じる。

「筋は通ってますね。しかし、二つほど仮定を忘れています。第一に、吉野先生は野山先輩が監禁された頃、小林先生に怪談話をしていたこと。第二に、プールの鍵は二つしかないこと。つまり、体育教員室と事務室に置いてあるものだけだということ。これらの仮定が崩れないかぎり、その推論は妥当ではありませんね」

「じゃあ、吉野先生じゃなくて、合鍵をもった先生が全部やったの」

「そうでしたら、山田先輩の推論は妥当な物になりますね」黒瀬はそうあっさりと認める。

「犯人が先生の誰かだったら、許してやろうかな。先生だもの。大人だもの。イライラして人に金魚のフン食べさせたくなっても仕方が無いもん」

「いや、仕方がなくないっすよ」黒瀬は笑って言った。

「ストレス社会がいけないんだ」山田は独り言のように言って、中庭の木々を眺めることに専念する。そんな彼女の隣に居る黒瀬は底の抜けた空を見上げて、思いついたような調子で話し出した。

「もし野山先輩がスカイフィッシュを見ていた場合で、教室から教室に橋渡ししなくてもサカナを泳がす方法を思いつきましたよ」

「……どうやるの?」山田は顔を上げて話を促した。

「ラジコンヘリ使えばいいんです。中庭の隅っこか、とにかく野山先輩から見えないところから、シーラカンスをぶら下げたヘリをラジコンで操作して、ふらふらっとプールを横切るようにするんですね。これなら完璧です」黒瀬は山田に向かってそう意見した。山田は呆れたように黒瀬の顔を見つめる。その推論対する反論は思わぬところから来た。

「完璧じゃないな。無理だよ、それって」男の声がそう言った。黒瀬は驚いて、自分の後ろに居る男を見た。彼は眉をひそめつつ

「おまえ、なんでここいんだ?」とその男に尋ねる。

「ミシン使いたかったから。今、部活で椅子作ってんだ。それで、クッション作りたくなってここでミシンを借りた。おかしいか?」男は笑って言う。

「おかしくはないが。そうか、そういえば工作部だったんだな、稲沢って」

「そうだよ」稲沢は黒瀬にそう笑いかける。山田は不思議そうに二人を眺め、

「だれ?」と黒瀬に聞く。黒瀬はそんな山田を一瞥してから、稲沢に向かって、

「だれ?」と問うた。稲沢は微笑んで、山田に向かって自己紹介を始める。稲沢正樹。黒瀬と同じクラスで、水泳の時間に金魚を最初に発見した人物である。

「とにかく、お前の言うヘリで吊るすってのは無理だね」稲沢は自己紹介を終えて、話を戻した。黒瀬はにやにや笑って、目で理由を聞いた。

「ラジコンヘリってのはうるさいんだ。直ぐに上空を見られて、吊るされてるってのがわかっちまうよ」

「そうなのか。それは知らなかったなあ。ところで、お前はどこまで聞いてた?」

「だいたい。シーラカンスが飛んだかどうかだろ?」

「そうだよ。どう思う?」黒瀬のそんな問いに、稲沢は山田を見て、

「山田先輩の案が一番現実的ですね」と答える。

「そうだよね。ヘリで吊るすとかありえなさ過ぎて、その人の品性疑っちゃうよね」山田はニコニコして稲沢にそう言う。

「ほんと、そうですね」稲沢も笑って受け答える。黒瀬はそんな会話に何となくイラついたが、ぐっと堪えて、

「じゃあ、用も済んだし帰りますか」と提案した。そうね、と言って山田はとことこと先立って出口に向かう。稲沢は黒瀬の隣を歩いてガラスドアに至り、そこで教室側に身体をむけ、固まってなにやら話し込んでいる手芸部員たちに

「ミシン貸してくださり、ありがとうございました」と丁寧に頭を下げる。そんな殊勝な態度に心打たれたのか、会議中の女衆は立ち上がって、いいよいいよ、また来てねとか答えてくれる。稲沢は満足したのかドアを開けて教室から出て行く。その後ろを黒瀬、山田がこそこそとお邪魔しましたぁと小声で言いつつ出て行こうとするが、桑野に呼び止められる。

「おい、山田」山田はゆったりと後ろを向く。

「なに?」

「いいアイディアありがとう。文化祭は自作着物を着て、喫茶店を開くことにしたよ。山田の一言なしでは出てこない企画だった。ほんと、ありがとう」と桑野は稲沢の殊勝さが伝染したのか頭を下げる。他の部員たちもありがと~とか言ったりして山田に手を振ってくる。山田は少しだけはにかんだように笑って、どういたしましてと恥ずかしそうに言う。適当に言った言葉が重大な意味を持ってしまったのだから、そのような反応をするも仕方が無いだろう。

「またな」と桑野は方手をあげ、さよならをする。山田もそれに答えて、手を振り教室から出て行き、黒瀬の背中を元気よく追いかけた。黒瀬は稲沢とよもや話をしながら階段をくだり、彼と工作室で別れた頃、山田に追いつかれる。それから、二人して日の注がれる芝生の上に立った。彼らは暑い暑いと思い出したようにぼやきつつ、ひょこひょこと冷房の効いた部室棟を目指すのだった。


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