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シビルは何を見たのか その1

 妙な事ほど良く広まるものだ。その奇妙さが身近で現実味を帯びているならばなおさらである。金魚が水泳の授業中に見つかるという珍事は放課後までには全校生徒の常識とまでになっていた。小林は、一匹見逃していたのだ。残る一匹を見つけたのは黒瀬だった。彼のへその辺りをふらふらと泳いでいたのを彼の級友が発見して、大騒ぎになった。黒瀬は冷静に金魚を捕獲し、教師に献上した。おかげで、二匹の金魚は特別教室棟三階にある生物室の狭い水槽で仲良く泳ぐはめになった。

 金魚がプールを遊泳するというのは、本格ミステリーとは言えないまでも、現実的問題としては十分に謎めいた出来事である。山田が騒ぎ出しそうだと、黒瀬は金魚のフンが浮いているかもしれないプールの中で推測した。放課後、彼がミス研部室に赴いたとき、それは事実として提示された。

「ろっくん、遅い!」とソファにくつろいで座る山田が入室してきた黒瀬に吼えた。中田はすでに自席でクリスティと戦っていた。

「ちょっと暑かったんで」と脈絡の無い回答を黒瀬は行う。

「まあ、来たから良いほうね。とにかく、捜査だよ、捜査!」山田はニコニコしながら言う。

「はあ、一体なに調べるんっすか。期末の問題でも探すんですか?」

「そんな下等な事はしません。それはバカのすることで、バカでないわたしはしなくていいの。素晴らしいロジックね。それよりもしらばくれてんじゃないの、ろっくんが金魚見つけたんでしょ」

「はあ、金魚くんは確かにおれのへそに纏わりついてましたけど、アイツとのかかわりはそれでお終いでしたよ」黒瀬はそう答えながら、中田の対面にある自席に腰掛ける。

「それはお金で買えない関係だから大切にしときなさい。というか、金魚は二匹いたらしいの。ろっくんのへそのごまを食べてた奴と、小林先生が早朝掬った奴。金魚がプールに放されるって前代未聞じゃない?金魚のフンを飲み込んじゃってたらどうすんのさ」山田は立ち上がり威勢良く話し始めた。

「そりゃあ、また出すしかないんじゃ」黒瀬は本を通学鞄から取り出しつつ答える。

「そういうむかつくことをするような奴は縛って、炎天下の中庭に放置するべきでしょ。だから、捜査するの、分かった?」山田は黒瀬に近づいて言った。

「どうぞ、ご自由に。おれは中田と留守番しますよ」黒瀬は文庫本を開きながら、興味なさ気に受け答える。期末考査八日前であるのにもかかわらず、教科書ではなく文庫本を開くとはなかなかの胆力の持ち主である。

「捜査には人員が必要で、留守番は最小限でいいの。つまり、ろっくんも行かなきゃならないの。そんなのも分からないの?バカなの?」山田は黒瀬の手から本を取り上げて、そう宣う。文庫本を取り上げたのは決して教育的配慮からではない。黒瀬はため息をつき、頭を横に振った。

「はあ、わかりましたよ。さっさと犯人を見つけて、金魚のフンを食わしてやりましょう」

「さすが、ろっくん。バカだけど、優しいね」山田は笑顔でそう黒瀬を評する。人の優しさに甘える奴のほうがバカだ、と腹の中で思うのが黒瀬である。表情にも口にもそんな気を見せずに山田の後をのこのこ附いていくのも黒瀬である。彼らは部室を出て、金魚の由来を求めに行くことになる。しかし、それは彼らには無理なことであった。

 七月初旬の青空を頂いて、山田と黒瀬はとりあえずプールに向かった。山田は加害者が現場に舞い戻ることを信じているらしかった。それだけではない。山田、曰く、

「よく考えれば、学校のプールに金魚入れられる人って限られるじゃん。先生か、生徒か。それでさ、水泳部以外の先生と生徒は授業でしかプールに入れないわけでしょ。授業中に金魚を放流できるわけないじゃん。ということは水泳部関係者が一番怪しい」

「そうっすね」と黒瀬は気の抜けた返事をした。彼らは部室棟から出て、技術家庭科棟と特別教室棟の狭間を通って、プールのある中庭へと至る。プールは高さ3mほどの木々で囲まれていて、敷地内の様子は窺えない。そのとき外部から知れるのは、笛の声、水の掻き乱れる音だけだった。山田は昨夜に野山が侵入したプール入り口へと向かう。黒瀬はその後ろをたるそうにたらたら歩いてついていく。ろっくんおそいと叫びつつ山田は、プール敷地内に侵入し小林を探し始める。黒瀬が山田の下についた頃には、小林は山田に捕まっていた。

「ねえ、ほんとに金魚いたの?」と山田は小林を尋問する。

「いたよ。いま、生物室にいるから見に行くといい。それとちゃんと敬語使いなさい」と小林は半袖短パンで教師面をする。

「では、いつ金魚を発見しましたか」と慇懃無礼な感じで山田は尋問をつづける。黒瀬はプールの方をじっと眺めている。健全な男の欲望の結果である。それに気がついた山田は、なにガン見してんのと黒瀬の頭をはたく。黒瀬はいてぇと呟き、小林は腕時計を見ながら思い出し顔で答える。

「今朝、七時ぐらいかな。ふらふら泳いでたんだよね」

「なにか奇妙な点には気がつきませんでしたか」山田はそんな小林をじろじろ眺め回しながら聞いた。

「そうねえ、全部がヘンだと言えばそれまでだけど。一番ヘンだったのは昨日のことかな。関係してて欲しくないけど……」小林は困ったような顔で独り言のように話す。

「昨日、なんかあったの?」と丁寧さを忘れた山田は小林に食いついた。黒瀬はその隙に、プールサイドで休憩している人々に目を向ける。

「あったんだけど……。よくわかんないんだよね。野山さんが見たっていうんだけど。金魚じゃないかもしれないし」小林は頭を抱えてぶつぶつと呟く。

「なるほど。じゃあ野山先輩に聞けばいいのね。のやませんぱーい」と山田は大きく空気を震わせて、野山を呼んだ。プールサイドに座る人々の群れから、一人小柄な女子生徒が立ち上がって山田たちのところへとぺたぺたとやってくる。水泳部員の注目が彼らに注がれた。黒瀬はやむなく水着鑑賞を止めて、空を見上げる。

「どうしたの、やまだちゃん?」と笑顔で野山は山田に聞き、ついでに山田の頭をごしごしと撫でる。

「昨日、ヘンなことなかった?」山田は自分の髪を撫でつつ、野山に問う。

「あった!」

「どんなんこと?」

「えっとね……」と野山は昨夜の出来事を話し始める。シーラカンスが夜空を飛んでいたことだ。山田は神妙な顔つきでその証言を聞いた。黒瀬は気だるそうに青空を見上げていた。

「それって、なんてミステリー」と山田は感想を漏らす。

「違う。あのシーラカンスはスカイフィッシュなんだから、不思議じゃないよ」

「スカイフィッシュなら、尚更ふしぎ」

「そうかな」と野山は濡れた髪を揺らす。山田は考え込むように地面を見つめる。その間を利用して小林は意を決したように、勝手に昨夜のことを語り始める。吉野との雑談。音源のないノック。誰かが中庭を横切った音。それから、野山の救出。それらのこと話し終えて、小林は一つの仮説を打ち立てる。

「あのね、これってイタズラだと思うんだけど」

「どうして?」と野山と山田は揃って小林に聞く。

「昨日の夜、誰かの足音を聞いたんだよ。だから、野山さんを発見できたわけ。あの芝生を駆け抜けるような音が無ければ、外を見なかっただろうし。それでね、その足音というのは人の存在を示してるわけじゃない? それだと、やっぱり誰かがやったとしか考えられなくない?」

「う~む。経験から言えば、そうだとおもえるけど」と山田は眉間に皺を寄せて呟き、

「じゃあ、スカイフィッシュを放し飼いにした人がいるわけか」と野山はあっけらかんと言う。黒瀬はぼけぇと突っ立って、三人の態度を見つめている。木々にひっついているセミの声がよく響いた。その乱雑な交響曲は、小林に自分が水泳部顧問であることを気がつかせて、加えて部活中であることを思い出させた。そうして小林は山田と黒瀬を追い払って、野山と共に水泳練習へと戻るのだった。

 追い払われた山田は、首を傾げながら、なんかふくざつ、と呟いた。黒瀬は名残惜しそうにプールを囲う木々を見つめながら、

「とりあえず、生物室に行って、金魚でも見ましょう」と提案した。

「そうね。吉野先生なんか知ってるかもしれないし。昨日の幽霊ノックも気になるし」と同意して、さっさと特別教室棟への扉へと向かった。黒瀬もその後に続く。こうして彼は炎天下から逃れることができた。

 生物室は特別教室棟三階の端に存在する。山田たちは特別教室棟の中心に位置する階段を用いた。涼しいですねえと黒瀬は階段をのぼりながら呟いた。風鈴の音を聞いてそう呟くなら風流であるが、クーラによってそう呟くのだからいやしさがにじみ出るだけのことである。山田はう~んと唸って、口を開く。

「ほんとに、さかなが飛んでたのかな。どうおもう?」

「さあ、どうでしょうねえ」

「というか、さかなってそもそも飛べるのかな」

「トビウオは飛べそうな名前ですけど」

「ねえ、ほんとどうなってんだろう。わけわかんない」そう弱々しく山田は呟く。

「そうっすねえ」となんだかにやけた感じの返事を黒瀬はした。山田はおさげを揺らして反応し、階段の踊り場で立ち止って、

「なんか気付いてるんでしょ!」と黒瀬を追求する。黒瀬はにまにましながら、

「そうかもしれませんな」とはぐらかす。これは脛蹴りの刑に値する返事であろう。実際、山田はそれを執行し、

「ふざけるのやめたら」と冷淡に言った。黒瀬は涙目になって脛をさすりつつ、

「暴力はイカンです」と呟く。

「で、何に気がついたのさ」山田は階段のぼりを再開して聞いた。

「整理しましょう」と黒瀬は足を軽く引きずりながら小声で言う。

「何を?」

「問題点を。何が問題なのか。それが分かればだいたいのところが分かりますよ」

「どういうこと?」山田は二階フロアで立ち止り、黒瀬を上から見下ろす。

「そうですね。二人の話を要約しましょう。どれぐらい覚えてますか?」黒瀬は蹴られた足を丁重に扱いながら、階段を一段一段踏みしめてのぼって行きつつ、そう山田に質問した。

「えっと。野山先輩は飛ぶ魚を見て、閉じ込められた。小林先生は幽霊ノックを聞いたあと、誰かの足音を聞いて、野山先輩を救出した。それからプールに二匹の金魚を発見した、だったかな」山田は天井方面を何かを探るように見ながら言った。

「そうです。そこまで分かってるなら、色々分かるはずですよ」

「分からないから、聞いてるんでしょ?」と山田は一段下にいる黒瀬を睨む。

「じゃあ、小林先生の仮説を考えてみましょうか」そう黒瀬はのんびりと言った。彼はようやく二階フロアに到達して、立ち止った。天井からクラリネットの声が微かに響いてくる。

「それって、誰かのイタズラだってこと?」山田は手すりに身をもたせながら黒瀬に聞いた。

「そうです。それが一番妥当な考えじゃないっすか?」背を曲げて脛の辺りを撫で回しながら、黒瀬はそのように言う。

「そうだけど、だれがどうやったのかわからないじゃない」山田は黒瀬のつむじを眺めつつ答えた。

「猜疑心を深めれば良いんです。勝手に関係を繋げていきましょう。そもそもこの一連の出来事は連続か。つまり誰かがすべて何らかの意思をもってやったものか、そうでないか」黒瀬は自問するように言って、上に通じる階段へと歩き出した。山田もそれにつられて、黒瀬の隣を歩いていく。

「そんなの、わからくない?」山田は黒瀬を見上げて素直に聞いた。

「分かりそうにない。そういうときは、つながりが深そうなところを考えてみましょう。一番は、金魚とシーラカンス、それから監禁。これらは共にプールで起きたことです。関係が深そうだ。おそらくですが、野山先輩をあのむさい更衣室に監禁した人物と金魚をプールに放った人物は同一でしょうね。というのは、その人物はプールの鍵を持っているから。でなければ、野山先輩を閉じ込める事はできない。それで、その人物は鍵を持っているので、人の居ないとき自由にプールに侵入して金魚をプールに放流できる」そう長々と言いつつ黒瀬は山田と肩を並べて階段をのぼる。

「じゃあ、シーラカンスはなんなの? それも誰かがやったっていうの?」

「ええ、まあそうでしょう。でなければ自然法則を少し変える必要がありますね」

「でも、どうやってさ?」

「どこかでさかなを支えていたはず。どうやって支えていたのかは、もう一度野山先輩に聞く必要がありますけど、まあ、だいたい予想はつきます」

「ふ~ん。じゃあ、ノックとか足音とかはどうなのさ」

「そっちはまだ分かりませんな。とにかく、吉野先生に幽霊かどうか確かめて見なければ」

「そうかあ。かなちゃんがいると分かりそうなものだけど」と言い合いながら彼らは三階にたどり着き、音楽室から響く吹奏楽部の演奏を背負いつつ、生物室へと向かった。

 生物室には、ほこりとホルマリンのにおいが微かに漂っている。ホルマリンは提示棚にある様々な教材から密かに漏れ出るものである。微量であるから身体に影響は無いが、ある程度不快な気分にさせてくれる。その部屋の中で、吉野は金魚にエサをやっていた。金魚はその浮遊物に興味なさ気にふらふらと泳いでいる。それが食べられることに気が付いていないに違いなかった。吉野がどうしようかとぼんやり思案に暮れていると、扉が開いて、山田たちが侵入してくる。

「ねえ、それってプールにいたやつ?」山田は水槽に近づきながら言う。

「そうだ。それで、彼らは今断食の最中なのかもしれない」

「どうしてっすか?」と黒瀬は吉野の背後に立って聞いた。

「エサを食べてくれないんだ。まあ、死にそうになったら食べてくれるだろう。かれらの自由だ。我々はどうすることもできない」

「ふうん。けど死んだら困るな」

「どうして」と吉野は面白そうに尋ねる。

「だって、証拠が消えちゃうじゃん。もしかしたら、指紋付いてるかもだし」

「うろこに指紋はつかないでしょ」黒瀬はふよふよ泳ぐ金魚を眺めながら反論した。

「そうかなあ」山田はどうでもよさ気に答えつつ、水槽の中身を観察している。そんな闖入者たちの様子をにこやかに吉野は見ている。平和な時間である。山田は金魚が水槽を往復した辺りで用件をようやく思い出した。

「そういえば、こいつらどこから来たかわかる? というか、だれが放流したのか知ってる?」

「さあ、知らない。どちらもどうでも良いようなことに思える。考えるべき事はほかにたくさんあるよ」

「でも、気になるじゃない。金魚のフン飲まされたかもしれないし」

「金魚のフンぐらいどうってことない。マラリアぐらいじゃないと考慮に値しない」

「ふんむ。そうかもしれないなあ」

「さて、私は、君たちのためのテストを職員室で作らないといけない。今日は科学部がこないからここを閉める必要がある。金魚たちには自活をしてもらうことにして、我々はここから退散しよう」と言って吉野は戸締りを始める。山田はすごすごと教室から立ち退き、黒瀬は生物室全体を観察しつつ、雑多な生物模型を認識しながら教室の外へと出た。吉野は最後に教室のスライドドアの鍵を閉めて、職員室に向かおうとした。黒瀬がそれを阻む。

「先生、最後にちょっといいですか?」吉野は立ち止り黒瀬を見る。山田はぼんやりと二人を見る。

「どうした?」

「昨日、小林先生に怪談をしたんですよね?」

「ああ、したな。とびっきりの奴をしてやった。小林先生に聞いたのか」

「はい。聞きました。それでですね。その後、ノックがあったらしいじゃないですか。そのノックは幽霊がしたようだというのは本当ですか?」

「さあ。少なくとも、わたしはノック主を見なかった。それだけだ」

「そうですか。そのとき校舎に生徒がいたと思いますか?」

「いなかったんじゃないか。わたしはその直前に見回りしていたよ。そのときには少なくとも生徒は見なかった。あの時間だと教師も帰る頃だ」

「なるほど。もう一つついでに聞きたいんですけど、シーラカンスってどのぐらいの大きさなんですか?」

「そうだな、だいたい体長1.5mだ。山田ぐらいの大きさだ。それがどうしたか?」

「いや、テストに出るかなと思いまして」

「出ないよ。じゃあな」吉野はそう笑って、立ち去った。残された二人はぼんやりと突っ立っている。少しして山田が口を開く。

「ひらめいた」

「なにを?」

「犯人、吉野先生だわ。わたしの勘がそうささやいてる」

「まだ叫んでないんですね」

「うん。まだ栄養がたらないみたい」

「じゃあ、証拠不十分で無罪にしておきましょう」

「うん。そうしようかな。というか、次、どこ行く?」

「そうですねえ。もう部室に帰っても良いような」

「だめ。まだ何も釣果を得てないじゃない。坊主じゃない。かなちゃんに申し訳ないよ」

「じゃあ、野山先輩のところにもう一度行っておきますか」

「どうして?」

「スカイフィッシュの飛び方確認しないと」

「なるへそ」

 ということで、彼らは再度、プールへと向かった。無駄の多い人々である。暇人はたいてい無駄な動作をするものだ。なにせ、時間を持て余しているつもりなのだから。


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