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棄てられた楽園 駆竜人ピウィ  作者: 青河 康士郎 (Ohga Kohshiroh)
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サクラアゲハの頃ー4

浮遊樹・・・浮蓮(うきはす)の一種は養分を補給しながら、樹海における陽光の争奪戦から抜きん出るため、倒木を数個から十数個の群れの根で丸ごと釣り上げ大空に浮き上がる。時にはそれが大きな浮遊島を形成し、独自の生態系を持つことさえあった。


少年は浮遊樹の側面にできた大きなウロにいた。地上との距離からすると高度はそれほど高くはない。辺りを取り囲むギラギラとした反射体に映し出される木々はゆらゆらと揺らめき、眩暈めまいがしそうだった。


大小さまざまな種類のガナに取り囲まれ、体側に反射する樹海が歪んで見えているのだ。このガナたちはどうしたわけかこの浮遊樹と厳密に一定の距離を保っているように見える。まるで、この浮遊樹に固定されてしまったかのように。


膨大な出来事が、一瞬のうちに起こった。無我夢中で動いた結果、気がつけば自分の身は浮遊樹にいた、そんな感じだった。あまりの情報の多さに、処理が追いつかず呆然とする。


眼下の不可思議な樹海をぼーっと眺めながら、飛鯨船ってこんな感じなのかな、とぼんやりと思った。


ブルッと頭を振り、気を引き締める。よし、頭が冷えた。ここまで何が自分の身に起こったのか思い返してみる。


「ゴンドラにガーンってアイツがぶつかってきてから…」


現れたのはあのマリーガだ。襲ってきた大型のガナは、一度姿を隠した。狡猾なことで知られるマリーガがそうそう簡単に獲物をあきらめるとは思えない。自分の居場所を消去して、思わぬところから再び襲いかかるつもりか。


地上に達することがかなわなかったゴンドラをレバーを引いて固定し、ウィーラ(縮縄)を手にする。真下を目指すのは悪手だ。待ち構えているマリーガはそれを期待し、待ち構えていることだろう。


ウィーラに三つ玉をつける。あたりを警戒しながらよさそうな目標を選ぶ。ウィーラが捉えられる枝ならばなんでも良いわけではない。逃走経絡、反撃点、身を隠す場所。


視線が止まった。玉をクルリと回すと真横へ飛ばし、枝を捕らえた。伸びきったウィーラをつかみゴンドラの外へ飛び出す。半円を描く軌道で体は加速した。最下点付近から強烈な殺気を感じる。が、そこまで獲物が落ちてくるのをのんびり待ち構えるほど相手は甘くなってなかった。


マリーガは通常いきなり喰らい付いたりはしない。丈夫な頭で獲物に頭突きを食らわせ、相手を失神させるのが常道だ。がこのマリーガは衝動を抑えきれなかったのか、紅い口を一度大きく開いてから猛然とこちらに向かって来るなり宙に消えた。少年の円運動が8分円を描いたあたりで、持てる限りのワールを一挙に流し込みウィーラを縮ませる。斜め上方へ放物線を描き小さな体が飛ぶ。


自分の体が思うように動いている。もともとウィーラを使うだけの極微量のワールは備わっていた。森での追いかけっこでは仲間内でも負けることはなかった。異界の門に現れたあの黒い獣をみてから、マノンから正常にワールが流れ出るようになった。その今ではウィーラに込められる力が格段に上がった。少年の姿が森の木々を突き抜ける。


太い幹の右側を通過する直前、幹の左へ伸びる枝に三つ玉を飛ばす。ウィーラが太い幹に巻き付き、ピンと張った瞬間、少年の発するワールはウィーラを急激に縮ませると強烈な遠心力が掛かかる。極短半径で身体は円運動を行うと、小さな体は幹の陰にスッと隠れた。


その背後で宙より現れた巨大な口がバクンと閉じられた。巨体が持つ猛烈な慣性を消すことができず、マリーガは反転の姿勢を見せつつピウィから遠ざかる。ブーン、ブーンと体側の細かい翼の列が軌道修正のため高速回転を始めている。幹の背後に伸びる枝の上では満月を描く弓がそれを待っていた。機を逃さず矢を放つ。


真横を見せるマリーガののたうつ尾を貫いたのだが、結果も見ずに地上を目指す。


黒竜を失ったアードラ族がいまだ他の種族から一目置かれているのは、このカルガ弓が一つの大きな要素となっている。砂つぶほどのコラン石を矢に仕込み、そこへカポと呼ばれるワールを留まらせる。矢と共に放たれたカポは射手と繋がるカルナというワール糸を引きながら飛ぶ。


この小さなカポ矢の威力を侮ると痛い目に遭う。


熟練の射手が放つカポ矢が対象にまともに当れば、突撃するエメルタインの勢いをも止めてしまう、と言われている。ピウィが産まれながらに授かっていたのはウィーラを使えるだけのわずかにワールのみであったため、カルガの弓本来の力は引き出すこと難しい。


カポを凝結させることまでは叶わない少年の放つ矢である。ワールを伴わない弓に関しては上級者かもしれぬが、ワールを伴わないのだから威力など始めから期待しない方が無難だった。例え当たり所が良かったとしても、致命傷を期待するなど身の程知らずにほどがある、と身に染みて知っている少年であった。


地に足がついた途端、怒り狂った大きな口が迫ってくるのが見えた。体が硬直してしまったのか、幹を背に少年は大きく目を見開き身動きをしない。


獰猛な顎が獲物を捕らえようとした直前、少年の体は上方へ飛ぶ、と予想したのだろう、マリーガは体を反らし急上昇する。丈夫な頭が太い幹に衝突しズシンと地響きをたてた。ガナが上へ軌道を変えた瞬間、少年は横へすっ飛んだ。マリーガの左目がグルリを斜め下方を睨む。少年は猛烈な勢いで走っていた。ウィーラのもう一つの端に予備の三つ玉を付け、予め右の木をとらえておいたのだ。ウィーラの急縮した勢いを借りて猛然と走る。


森を成す巨木の密度が減った。若木の多い地帯だ。走る軌道を細かく変え、ほどよい横枝を見かければウィーラを飛ばして前方へ大きくジャンプし、追跡者との間を少しでも増やそうとする。しかし、後方の派手な衝突音との差は少しも開こうとしなかった。森が明るくなってきた。獣道を照らす陽の光が、両脇に点々と置かれた目印を浮き立たせる。目的の道に入ったのだ。目指す断崖は近い。全力で走りつつ手順を組み立てる。目印の切り株は見えている。コの字形の金具が打ち付けてあるはず。


ここで追手との距離を確実に引き離す仕掛けが目に入った。若木に絡みつく蔦に見せ掛けた綱。タマラの森で仕事をする者のみが知る仕掛けの一つ。短刀でその綱を切り払う。木で組んだ格子が後ろで立ち上がって道を塞ぐ。ぶつかる音は聞こえないが、距離は少しひらいたはずだ。


目的の切り株にウィーラを掛け、断崖に飛べば振り子の要領で崖に埋め込まれた避難小屋へ向かう。扉をワールで開けて中に飛び込めば、降りる鉄板で横穴は閉じられ何物も追ってはこれない。


よし、切り株が見えた。が、少年は知らない。先程まで2頭の獣が黒い影となって切り株の金具に齧り付き頭を振っていたのを。


槍を持ち直す。もう距離がない。速度を落とすことなく切り株を通りすがりざま金具にウィーラの輪を閉じ固体・・・!


伸び切ってピンと張るはずのウィーラは、その限界の長さを超えてもアードラの少年に静止の衝撃を伝えて来なかった。


体はすでに宙へと水平方向へ投げ出される格好となっていた。咄嗟に視界から消えかかる切り株を振り返った。固定されているはずの金具は消えて無くなり、それはウィーラの先端の3つ玉が咥えていた。小さな身体は綺麗な放物線を描き始めていた。


反射的に槍で後ろを薙ぎ払った。手ごたえはなかった。あれほど執拗に追いかけ回していたガナは、突然興味を失ったかのように身を翻し、森の中へ姿を消した。


少年の体は柔らかい衝撃に襲われた。浮き蓮だ。当たった感触で咄嗟に判断した。が、弾んだ勢いで浮き蓮の広い表面を滑り始めていた。表を覆う短すぎる産毛を掴めるはずもなく、縁に向かってスルスルと進んでゆく。ウィーラを仕舞う暇もなく一緒に滑ってゆく。無意識に短槍を突き立てていた。浮き蓮がそれほどのことで破裂するはずはなく、槍は深々と刺さって少年は止まった。次に何が起こるのか、少年は知っている。それを待ち受ける。


 来た。浮き蓮の縁からスーと一本の根が持ち上がってくると、表面を不吉な蛇のように進んでくる。浮袋に突き刺さる不埒な異物を取り除こうと向かってくる。少年の身体に根が巻きつこうとする瞬間、槍を抜きざま立ち上がり、可動部分より奥にしがみついた。異物が抜けたことで目的は達せられたと判断したのか、根は元の位置に戻ろうとする。浮き蓮上面の傾斜が徐々にきつくなり、移動速度が増す。ついに縁を乗り越えた。一瞬、下を見てしまい肝が縮み上がる。垂直に落ちようとする根が速度を増す前に手近な別の根に飛び移る。が、それがまた滑る、と判断した途端槍を突き立てる。が根は簡単に裂け、槍は固定されず、少年は両脚で根にしがみつき、両手で槍を握り締めたまま、下降を開始した。次第に速度が増している。このままではまずい、と焦り始めたが、それが突然止まった。腰に巻いていたウィーラに吊り下げられる形で宙に浮いている。三つ玉で掴んでいた金具が、根の束の何処かにうまいこと引っかかったようだ。腰袋から細引き縄を取り出し、一抱えほどある根に巻きつける。縄が根に食い込んでいることを確かめるとハーネス状に縄で輪をつくり、両脚と腰を固定した。


「ふー」


大きくため息をつく。ウィーラにワールを流すと自分を救ってくれた金具をそっと解放する。


やっと落ち着き、周り下を眺める余裕ができた。そのとき自分がいる場所がわかった。浮遊樹だ。浮遊樹に助けられたようだ。上を眺めれば、幾つもの浮き蓮が林立し、下に見える巨木を吊り下げている。


荒々しい呼吸が収まらない。咳き込みながらウィーラをまとめ調べる。大三つ玉は残っていたが一箇所切断され、金属芯のワイス鋼が剥き出しになっている。三つ玉で掴んでいた金具が今の落下の途中でどこかにひっかかり、少年の落下を瞬時に止めた衝撃で切断されかかっている。しなやかさと強靭さを兼ね備えるウィーラの素材は、徐々に加わる力には強いが衝撃には弱い。衝撃を受け流すには予めウィーラに節輪を作って縮ませ、衝撃の際に節輪を解放し吸収しなければならない。


自分のせいだ。緊張が続いてワールを流しっぱなしにしてしまったせいで、先輪を解放し忘れた。手持ちの装備で修理はできるが、いまそれをすべき時ではないと判断する。ウィーラの他端である小三つ玉の方を根に回した細引き縄で作った輪に連結する。


ウィーラの全てに節輪を作り、最短にする。槍を根から引き抜き、下を確認しつつウィーラを徐々に延ばし下降する。ワールを最適に調節し下降速度をしばらく保っていると、トン、とこもった音とともに固い樹皮に足がついた。


しばらくボーっとした状態のままだったが、我に帰った。固い物体に足のひらが着いていることがこれほど安心できるものとは想像もできなかった。ずーっと上には大きな浮き蓮が高々と浮いている。あそこから落ちて来たらしい。左右に伸びる浮遊樹を眺める。大きい。このサイズは中々お目にかかれないレベルだ。それにしても


「よくぞ助かった」


声を出して自分を褒めた。自分の幸運を実感した。どの場面で命を落としてもおかしくなかった。


『お前は道具として生まれたんだ。用が済めばお払い箱さ。私と同じにね』


ルパール師の声が蘇る。道具とは何の事なのかよくわからなかったが、親に捨てられたのは確かだ。なにか事情があったのだ、とポエル父とポアナ母は言うが、そうかもしれないし、違うかもしれない。


なんの因果か知らないが、小さなアードラ族の子供の、しかもメイワール上がりの自分が、こんなあり得ないような状況に追い込まれた、そして生き延びた。運命の神は何かさせたいのだろう。そう、たまたま生まれて来たにせよ、


『この世に生まれてきたからには誰にでも背負うべき役割があり、意味がある』


と、ポエル父が


『何よりあなたの全身はあなたに生きろ、と訴えかけているでしょ』


とポアナ母が言った。


そうだ、その通りだ、と思う。自分を成しているのは細胞という小さな生物だと言う。この子らは今も全力で自分という存在を支え続けてくれている。自分は今出来ることを全力でしよう。


もう少し落ち着ける場所を探す。後方の下にうろのような出っ張りが見える。真上まで移動し、再び槍を突き立てウィーラを繋ぐとジリジリと樹皮を滑り降りたのだった。


 そうだ、そうして今ここにいる。頭が整理できた。これからの事だ。


洞の中で体を点検する。打ち身、切り傷、擦り傷、小さなとげ刺さり、どれもあるがどれも大したことはない。短刀、竜槍、カルガの弓、矢。使用する暇がなかったお陰で各種の矢は揃っている。切れかかったウィーラ、単眼鏡、芋粉とドライフルーツの粉を練り焼しめたアムナ、塩、水。


「さてと!」


腕を組み仰向けになる。暗い天井に蜘蛛が歩いている。はっきりと言えるのは、今この状況が異常なことだ。浮遊樹がガナに囲まれ、それに引かれている。浮遊樹とガナとのつながりは目には見えない何かに繋ぎ留められているようだ。


浮遊樹の進路は風の流れとほぼ一致しているが、していないときがある。一つの意図に従って、いずれかの目的地に向かって動いているのははっきりとしている。


行く先は。


腰袋から単眼鏡を引っ張り出し、周囲の風景を確認する。大橙が後方の彼方に見える。ポピート川沿いに渓谷を移動している。このまま行けば間違いなくパロムージュの4緑道に出る。


この時期に何かあったか?・・・大きな、そう特別な行列があるとどこかで聞いた。


んっ?そうだ、バロワ。


バロワ・オグルが警護に駆り出されている区域じゃないのか。 この浮遊樹は青巫女の行列に向かっている。




セーネマール湖。中央のに浮かぶマイエ島、精霊総本院ー天晶精霊院。

円形の広大な部屋。暗い一面に水面が煌めいている。天井に届く水晶球がその水面に映っている。一人の巫女が瞑想する麗しい女性に尋ねる。


「始まるのですね」


女性は長い睫毛の瞼を開き、煌めく瞳を露わにした。そして、ゆっくりと、はっきりと頷いた。


「永い眠りから星は目覚め、刻の輪は再び廻り始めようとしています」

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