サクラアゲハの頃ー2
パロミラル湖に波飛沫を立てた風がタマラの森の木々に波を生み出す。押し寄せる波は、一瞬途切れ、再び始まった。
延々と続く樹海の緑を、緩やかな弧を描いて綺麗に掘り込んでいる白い線がある。道だ。樹々に生じた波を遮ったこの道は、見事に加工された平面をもつ大柄な石と、隙間なく埋める天然石との調和が風情あるつくりである。古来より存在する風情を醸し出しているものの、轍らしきものが見当たらず整った平面が彼方まで続く。
パロミラル湖を取り囲むように点在する六塔市および街。それらを結んでいるのがこの地方の大動脈、太古道パロムージュ環道がである。いつから存在するのか、誰によって整備されたのかはまったく判明していない。この道に沿って6つの塔市と多数の街が点在する。
ここはパロミラル湖東南東に位置する四番塔市と、同じく湖の南東にある緑塔市をつなぐパロムージュ環道の一部、四緑道と呼ばれる箇所で、そのほぼ中間に位置しているのがロンドローの街である。環道と隣国グワルパとを結ぶ交通の要衝でもある。人影が絶えることないこの道だが、この時期は更に緑塔市へと向かう観光客も多く、ロンドローはその前泊の地として賑わっていた。
往来の激しい道ではあるが住民の習慣で常からある程度の清潔さを保っている。しかし、今日は環道の中心が広く空き珍しく往来が途絶えている。路上はいつも以上に掃き清められ、各塔市からの派遣だろうか、様々な制服の役人達が忙しく動き、常より多い警備が見える。
幅広い路上を往来する馬車、牛車等は見えないが、歩道にはあふれんばかりの人が詰めかけている。炎天下であるにもかかわらず、日傘もささずそれぞれ敷物に座って声も聞こえないほどのざわめきを生み出していた。掻き消されがちな警備の声、物売りの声が交錯する。
「座れ、この場に止まるものは座れ。立ち止まったままの者、街道に近寄る者は捕縛の対象と・・・」
「傘と名のつくものは使えないよ、濡れ頭巾要らないかい。頭ヒンヤリ、涼しいよ。たった3テルン・・」
「緑塔市名物、大橙の冷やし水・・30ビーナだよ」
街道沿いのホテルは昨日から軒並み満室となり、チェクアウトする客などいない。中央広場に面するホテル・ロンターノも例外ではなかった。
チェックインカウンターの上に設られた隠し窓に、この賑わいを見下ろす視線があった。
『何という幸運か。年に一度のこの時期に60年ぶりという特別な行列が合わさるとは。強気な特別料金に関わらず、早々に予約で埋まった。歴代支配人の中でもトップの業績が狙えるかもしれん』
覗き窓から、ロビーを行き交う人々に満足の視線を送る。ホテルロンターノ支配人オンダナ・ブローナは気づいていないが、ニヤニヤと込み上がる笑みが止められなかった。更に笑顔が広がる。
フロントに近づいてくるのは銀に縁取られた漆黒のタイトな上下、宝石を散りばめた短マント、地精族だ。前払いを常とする上客だ。当然支払いは地精族の上質な金貨だ。フロント前の段をひとつ上がり、手続きをする。が、支配人であるオンダナの目は、従僕の捧げ持つ小箱に釘付けである。今回はいかほどお持ちになったのか。いっぽう、人族のカウンターには常連の四番塔市の上級役人がフロアーから一段降ってカウンターにもたれかかり、スタッフと談笑している。
どちら様も当ホテルの金庫、ひいては自分の懐を満たしてくれる有難いお客様。今年になって新設した2階の水槽部屋にもクウィーカ族御一行様が入室された。不備がないよう入念に整えた特別室だ。
予想通り表の水路から部屋まで順調に、それこそ流れるようにうまく運んだようだ。
『うん、我ながらうまい言い回しだ、宣伝に使えるかもしれん』
ここで既にチェックインされている得意客の顔が脳裏に浮かんだ。挨拶回りをしたいのに、なぜ支配人である私がフロントから離れないよう指示されなければならない。手にした封書を一瞥する。いったいこの“レイサ嬢”というのは誰なんだ。
そもそもことの始まりは、銀燕竜だった。この街に大騒ぎを引き起こした原因の伝書竜だ。伝書塔の燕竜達が怯えているのに気が付いた伝書係が、止まり木に神々しい佇まいの姿を見つけた。慌てた係に連れられ見たが、それはもうカタログで見るのとは大違いの美しさだった。
フサフサとした銀色の羽毛、輝くサファイアの瞳、通信塔の伝書係でさえ初めて見る高価な翼竜が携えて来たこのホテルの予約申請書。
二階の続きの2部屋はそれぞれ祭典や行列の見物には最適で、この時期の最高額が付いている。既に常連の客が昨年より押さえていたのだが、その書にはそれぞれの予約客から、予約譲渡の書類が添付されていた。
昨日今日の成り上がり者ではない、一体誰なんだ。いや、どなた様なのであろうか。支配人オンダナ・ブローナーの苛つきは言い知れない畏怖に代わっていた。
緑塔市西側、パロムージュ環道、緑塔市と五番塔市に挟まれた緑五道。今日は通過するはずも無い青巫女行列のため、街道沿いに配備された操甲体の影が色濃く石畳に落ちている。旧パロミラル伯王領ダープ級メルタイン『コンカース』を装着するメルテ達は、茹だる暑さに辟易していた。頭鎧を跳ね上げ木陰に避難し、メルタインの手で器用にミント香のするパイプを燻らせているのは、やっと休憩に漕ぎ着けたメルテ達である。
街道の中央に、ずんぐりとした木の実のような物体が黒々と違った形の影を落とす。地精族独特の操甲体ダフルド。上部が丸まった縦長の独楽のような機体の上に砲塔が搭載されている。不思議なことに何の支えもなく地上から微かに浮いて、微動だにしていない。それが少し傾くと、本体に収納されていた腕と脚が現れ、地に固定された。滑らかな背面に丸い面が浮き出て、パカリと開くと小さな人影が現れた。
「あー、つまんねー。なんで俺がこんな事しなきゃなんねぇのか誰か教えてくれー」
大きな声なので辺りには聞こえているのだが、あまりにいつものことらしく、だれも相手にしない。一人が
「うるさいぞ、バロワ。そのドングリの中で静かにしてろ」
霞むロンドローの街を眺め、少年は呟く。
「森の神さま、ピウィのやつがうまく狩りを成功させますよう、加護を与えてやってください」
アルヘカント種の巨大な後脚が、規則正しく、力強く動いているのが視界を埋める。強い陽射しに霜が解け輝く毛並みの下を馬の筋肉がうねっている。巨人族が騎乗していた品種なのだから、相当な大きさだ。
馬の後ろ足ばかりをこれほど眺める機会は人生の中でそうそうないだろう、と男は心で呟いた。巨大な馬車の両脇から太い角材が斜め上方へ伸びており、前方を見渡すための御者台を高く支える。御者台の下、一機の操甲体がある。一見するとこの周辺で警備に使用されるメルタイン“コンカース”に見える。が、詳しい者が見れば隅々に違和感を感じるはずだ。
先方の馬車の後部担当のコンカースは、頭鎧を後ろへ跳ね上げ涼しい風を浴びている。装着者のメルテが今メルタインの太い腕を持ち上げ額から流れる汗を拭っている。
『ピィーン、ピィーン』
何頭もの巨馬の蹄の音と馬車の騒音を貫くように、甲高い音が御者台に響いた。御者が装着するガントレット(手首から指先まで覆う鎧)を持ち上げると、馬車の上に高々と伸びるクレーンが動き出し、馬の手綱を軽く引いた。
全ての馬車が同時に、少し速度を落とす。
御者台は口元の伝声管に向かって喋り始めた。
「いいぞ、始めてくれ」
先程まで御者の下にいた補佐役の男は、熱射病になったらしく馬車上のテントで休んでいる。
メルタインの上半身が前方へ90°腰を曲げると、背中が左右に割れメルテが姿を現した。メルタインから両脚を引く抜くと、先端に金属のヘラを付けた長い棒を手に、手すりの付いた階段を降り4頭の馬を繋ぐ太い轅の上を歩き出した。
「すまんな」
後ろの伝声管から漏れる籠った御者の言葉に片手をあげて応える。アルヘカントは巨大な筋肉の塊だ。筋肉内部で生じた途方もない熱を冷却するため体表にワールを使いながら歩いている。身体を伝う汗が腹部に達すると大きな氷柱を形成してしまうのだが、塊で落下すると後続の馬の蹄が滑る。突き棒の男は先頭を行く2頭まで達すると、腹部に延びる太い氷柱を先端から細かく砕きはじめた。揺れる足場と氷柱、しかしその一突き一突きが的確に鋭く氷を砕いてゆく。
この男、その顔に似合わず引き絞った筋肉に鎧われた身体つきと、危険な雰囲気といえば良いのだろうか、そういうものを纏っていた。
アルヘカント種の四頭立てなのだから荷車も巨大であった。天然石の長く大きなブロックがいくつも積み上げられている。これを数人の男が付き添って進む。これが青巫女様のお屋敷を造営する資材であり、この付き添っている男女は労役につかされることは、沿道のひとびとには知れ渡っていた。
作業を終えて男が再びメルタインに入ると、頭鎧の中で声が響く。
「しょ・・・・少々あきましたね」
馬車の左方に立つメルタイン、コルナの声が共振膜から聞こえてきた。随分と若い声だ。
「しかし、豪勢なものです。巫女様一人の宮入りに、御殿一つ立てられる額の材を丸ごと付き添わせるんですから。前代未聞とはこのことです」
なんの脈絡もなくそう話し始めた。相当に飽き飽きしているようだ。二十代そこそこの若者が分別臭くそう言うところが可笑しい。まぁそこをわかっていっているのだろう。こいつを気に入っている点の一つだ。
「青巫女様の行列は60年ぶりのことなのだから前代未聞ではないだろうが、お前の思っている事はわからなくもないな」
と後方のメルタインの中で知的な顔先の男が応える。
「わたしはそれより白牛車の前を行く精霊院直属というエメルタインを拝みたいですな。ここからでは全く見えない」
これは馬車の右方のメルタイン、ガラガラ声がいたたまれない様子で話を遮る。馬車の上から上半身だけ横へ傾け前を見ることに熱心な男。頭鎧の中の男は多少しゃくれた顎をしている。声を張っているわけではないのに、ブツブツ言う言葉がやけにはっきり聞こえる。眉毛の若者がまぜっ返す。
「まぁたオグストの趣味が始まった。そういうのは執着心というんじゃないですか」
このオグストと呼ばれた男も動じないようで、かえって落ち着き払った顔で
「いいか、ワールの使える者の中で、気従器を操る気従士がお前の村に何人いた。そうはいなかったろう。増して人型のメルタインを装着、操縦しうるメルテはどうだ。そう考えるとだ、極限まで高められた運動性能を誇るエメルタインを、しかも他国のエメルタインを人生の中で目にすることのできる機会がどれだけ貴重なことかわかっておらんな」
ここで自分の興奮を悟ったのか、少し間を置いて
「すぐそこにいるのが名高いルイテモン衛士団であり、その保有するエメルタインは歴史上で有名なロワーリンなのだぞ。30機のうちの特に銘機と謳われる4機がいるのだ。こんなチャンスはなかなかにないぞ。これが見ずにいられるか」
結果、前の興奮を上回ることとなってしまった。
熱く語るオグストに、コルナは
「オグストの横の囲いからぶら下がってる額縁を裏返してみなよ」
「なんだ、俺にか」
オグストのメルタインが額縁を持ち上げる姿をコルナはニヤニヤと眺めている。額縁を斜め下に持っていたメルタインの腕がどんどん上がり、男の目もどんどん見開かれていった。
「これ・・・これはボライド・ルーモのロワーリン」
描かれていたのは、着座のエメルタインと美しくも意志の強そうな女性であった。
「と、レフィヨンド伯の長女にしてルイテモン衛士団、現団長 白槍のアロータ嬢」
「コルナ、これをくれるというのか」
「前方を見に行きたいと騒がないならね」
「それはどうかわからんが、これはありがたく貰っておこう。そうか、お前もこの機能美に魅入られただろう。お礼に今夜はエメルタインの歴史とその魅力についてたっぷり語ってやろう」
この展開は予想外だったらしく、コルナのその大変な困り顔はしかし頭鎧の中で誰にも見られることはなかった。
「ミナ様ぁ」
「そういうことだ、コルナ、あきらめろ。それで、ユーリ!」
精悍で童顔な男が、知的な顔付きの男に話しかける。
「はい、今確認が終わりました。この行進速度だと予想通りにことは運んでます。さすがですね」
「癪にさわるな」
「嫌ってばかりでは何も耳に入って来ませんよ。情報局の動向はあの方も気にしておられる件ですから。それに「さすが」という言葉はなにも情報局にだけ向けたわけではありません。天巫女様からも同じ予測がもたらされたのですから」
「癪に触るのは情報局のいけすかないあいつのことだ」
少し間が空き、ユーリと呼ばれた男は
「そうでしたね、あなたには他に気にしなければならない事、いや人がありましたね」
「んっ?何をいっている。余計なことに気を回すんじゃない。確認するぞ」
雰囲気は変わった。
「荷馬車付きの奴らをつまらん仕事から解放してやるのは荷の点検作業後、昼飯中と予想される」
「贅沢ができるのもこれまでか」
コルナの口の両端がうんざり感を伝えて来る。
「これから起こるであろう大騒ぎに巻き込まれる奴らにくらべればなんてことない。昼食が支給されるが、半分にしておけ。休暇のような任務もこれまでだ」
1月時(約2時間)後、巨大な荷車の下は日差しを避ける人足、給仕の者たちで一杯となっていた。街道沿いの食堂、宿の者が雇い入れられていたようだ。忙しく給仕に勤しむ人影の向こう、満たされた人々の談笑が響いている。例の4人組の男達はメルタインを除装し、敷かれた紙に頭を寄せ合っている姿があった。