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棄てられた楽園 駆竜人ピウィ  作者: 青河 康士郎 (Ohga Kohshiroh)
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サクラアゲハの頃ー1

サクラアゲハの頃


 東の空が白々と明ける。


 薄紅色の光の中、黒々と空橙(そらだいだい)の木が威風を放っている。


 世に知れ渡るその果実であるが、今は見ることは叶わない。その代わり、淡く輝く象牙色の大きな蛹たちの影が、あちらこちらで早春の風を受け揺れている。


 成虫になればその体長は、アードラ族の子供とほぼ等しく、人族でいえば成人男性の半分。サクラアゲハの蛹は大空を舞う夢を見ているのであろう。


 空橙の大ぶりの枝が南へ向かって2本、上下に並んで突き出している。枝の間には広々と丈夫な網が張られており、その中ほどに、ターコイズ色の大きな大きな繭が広い葉に守られ宙吊りに収まっている。


珍しいミナミヤママユガが静かな変身をしている最中のようだ。小さな小屋ほどの大きさがある。そこに被さる葉の上に、散りばめられた光の露たちが1つ、2つ、動き始めた。じょじょに集まった大きな雫たちは明らかに何者かに整えられた筋道を通って繭にぶつかると、なんの抵抗もなく吸い込まれた。


 吸い込まれる露に従い繭の中に入ってゆくと、そこにあったのは巨大なサナギではなく、生活感あふれる居住スペースであった。中心は細い吹き抜けとなっており、幾層かの円形の階に分かれている。吸い込まれた露の行き先は最上階の桶で、そこからさらに下層へ管が伸びている。桶の隣には、フワフワと羽毛の大きな塊が見える。それが動いた。


『来てくれた』


 眠りの中の出来事であると、はっきりわかってる。。暗闇の中から大きくて柔らかい何かが現れ、その熱が伝わってくるような気がした。がそれは突然消え失せた。少年は


「おはよー」


目を閉じたまま馬鹿でかい声でその夢の中の存在に挨拶した。

大声がでたのと同時に、 ”ドサッ” とベッドから転げ落ちた。 すっと立ち上がり大きく伸びをすると、ベッド横の壁面に近づく。


カタッ


 繭上方の壁面の一部が楕円形に切り抜かれ、中へと引き込まれると、くるりと下へ回転して消えた。


朝焼けの世界に眼を潤ませた一人の少年が身を乗り出した。身長や、特徴的な耳の形からするに、この地に住まうアードラ族の少年とみて間違いあるまい。


ひとしきり夜明けの光をそのアーモンド型の瞳に吸い込むと、スッと頭を引っ込め、パタン、と窓は閉じられた。


この卵は狩猟小屋。歓迎せざる客を遠ざけるには効果的な繭の小屋だ。この繭の色をみて近づく者はいない。なにしろ幼虫の完全変態が終了し繭に穴が開けば、弱々しい成虫を狙う天敵を一掃すべく猛毒が辺り一面を覆いつくし、これを生き残るのは難しい。



 小屋の中ではこの少年が卵の底に設けられた栓を外しているようだ。栓が外れると、心地よい風が吹き上がり、前髪を揺らした。


今度は上階の小さな床面によじ登り、木桶の前に立つ。頭上のため桶から水を注ぐ。水面に映るのは上に伸びる丸い耳、綺麗に弧を描く眼。両手を突っ込み乱暴に顔を洗う。顔を拭きながら手探りで紐をひく。


外の大きな葉が揺れ、朝露は再び卵の壁に吸い込まれため桶を満たした。反対側の床に飛び移る。円筒形のものの蓋を外す。再び円筒形が現れ、蓋を取る。蓋を取る。白地に濃紺の絵柄があしらわれた陶器の筒が現れた。最後の蓋を外す。


幸せな香りが部屋を満たす。うっとりと眼を閉じる。黄金に輝く野菜と浮魚のスープ。そして干し芋の朝食を無造作に掻き込むと、喉をつまらせながら身支度を始める。



 足の形にピタリと沿う革のロングブーツを紐できつく締める。つま先は二股に別れ、毛山牛の毛を編み込んだ強草鞋を上から履きやすくしている。


携行食、道具類を詰め込んだ腰袋、左腰に古風な拵えの短刀、弓の掛台を背にし、草花の紋様をあしらった半鉢金を頭に巻く。その中央には翼を持つ生物の紋章が見える。


壁にかかる木製の翼を手にする。随分と使い込まれた古めかしい一品だ。少年はその表面を愛おしげに撫でた。この"カルガの弓"をよく手にする事ができたと想う。


『お前なんかにゃまだ儀式が通過できないだろう。』


師の言葉がちくりと胸を刺す。それはもっともな話だ。自分が一番よくわかってる。生まれてこのかたずっとメイワールとして生きて来たのだから。

しかし、今は永年の憧れであったこのカルガの弓を手にしている。目を閉じこの弓と出会った場面を思い出した。


係官に資格の木札を見せると、生涯貸与の書類に署名をした。それから無造作に指を差し、あそこから弓と槍を選んでもう一度登録のためここに戻りなさい、と言われた。試射室の狭い前室に所狭しと掛けられていたカルガの弓達。部屋の空気を深く吸い込んだ。それぞれが持つ来歴を知ろうとするかのように。


体を横にして通路を次々に進んでいくうちに、誘い込まれるように奥へ奥へと向かっていた。それこそ奥の奥、壁ぎわの最上段に忘れ去られたようにこの弓があった。誰もこの弓に興味を示さなかったのか、長期間使われていないようだった。しかし弓に使われるカルガの木は少しもその強靭なしなやかさを失ってはいなかった。少年は出会った時からすっかりこれが気に入っていた。


 この翼状の弓と身長に由来するのだろう、他種族から「森の妖精族」と呼ばれているが、アードラ族はそう呼ばれることをあまり好んではいなかった。弓を背中の掛け台にカチリと収める。壁に吊るされた楕円形の大きな羽に向かい、森に住まう精霊神に獲物の恵みを願う。


出口の上の長い棒を掛け台から外し、床に突く。少年の身長より拳2つほど長いだろうか。下段に構えると再び目を閉じる。しっくりと手に馴染む。生まれた時から一緒だったように錯覚する。

この黒竜槍。何代のアードラ族がいったい何頭の黒竜をこの槍で従えてきたのだろうか。その槍を手にする事が出来た事に畏れさえ感じる。


儀式にはよくぞ合格できたと思う。多分下限ギリギリの線だったであろう。多くの年下の子たちと受けたのだが、皆目を見張っていた。この少年がワールを使えぬ者、メイワールであることは良く知られており、誰もが受かるとは思っていなかったらしい。


この槍を選ぶときも迷いはなかった。槍に呼ばれた、としか言いようがない。穂先が収納される鞘管の意匠も古風な趣であった。目を開きその鞘管に意識を凝らす。スコン、という小気味良い音とともに鞘管は手元へ滑り、艶消しの黒い穂先が瞬時に現れた。よし、大丈夫だ。手甲のコラン石が輝き穂先は再び隠れた。


扉らしき楕円板の両脇の金具を滑らせ、蹴る。パカリと開いた口からスルリと出ると素早く出口を閉める。扉の中央に手のひらを当てる。感覚の網が手甲のコラン石を取り込み、その中で石の存在感の明滅が始まる。閂に仕込まれた引石はしぶしぶ、というように言うことを聞き扉は固定された。「ふっ」溜めた息が小さく漏れる。意外とうまくいった。小さな進歩の手応え素直に嬉しい。


「出来損ないのメイワールにしちゃあ、良い方か」


頭の中で声が響く。 メイワールはワールが使えない者の総称なのだから、出来損ないのメイワールとはつまりワールが使えるようになった者、という意味で彼女としては褒めてくれていたのだろう。


 本来、メイワールであった少年が森の狩人小屋に入れるはずなどなかった。


少年が変わったのは、異界の門にあの生物が現れた時からだ。


 数日後、ついにワールが使える様になっている事に気がついた。師の言葉に従い、養い親の元を離れあの偏屈な婆さまと暮らしてきた甲斐があった。


昨年の晩夏、恒例の儀式に間に合わせようと、ルパール師の許可を得て試験を受ける事が出来た。おかげで滑り込むような形で儀式に合格することができた。


 乾涸びたような身体の師には何か脂の乗った獲物を食べさせたい。あんな碌でもない捻くれた婆さんでも、育ててくれた恩には報いたい。立ち上がり、このとてつもなく高い場所から森の様子を伺う。


小屋の真下、枝から3本のロープでぶら下がる椅子に腰掛ける。据え付けられた金属製の大きく長いラッパを左右の耳に当てる。足元のペダルを漕ぐと椅子はゆっくりと回転した。決めた方位があったのか、ぴたりと漕ぐ足を止める。今度は、右手にあるハンドルを左回しにグルグルと回すと椅子全体が下向きに姿勢を変えた。


心を緩く、鼓膜の緊張を徐々に高める。ひたひたを押し寄せる音。そして暗い音の海がどっと押し寄せ、瞬く間に意識は絶海の孤島と化す。すべては音の海に呑み込まれ、何物も形を成さぬ虚無の世界。しばらくすると変化が現れた。海面からユラユラと像が立ち上がる。この形は虎岩。虎岩の足元の向こうから2足歩行の生物。極々小さく鳴いている。(ピュイ、ピュイ)餌を探している。子亀岩へ向かっている。


微笑みがこぼれる。少年は脱兎のごとく動きだす。椅子から駆け上り、大枝の上を走り、大きな幹にたどり着く。ここにも露を集める仕組みが施されていて、棚段には上から順々に水を溜めている桶が並んでいた。そのうち2杯を棚から下ろし、空の桶と入れ替える。よたよたとこれを両手で下げると、宙へとせり出す足場に置いた。足場にぴたりと横付けされているのは、書棚から棚を抜いたような板で組まれた箱型の枠であった。アードラ族一人なら立てそうな大きさで厚みもない。ただ、組まれた材は分厚く艶やかに光り丈夫そうだ。中央部分だけ横板が渡され、これが扉なのであろう。それを開くと、桶を左右の足元の穴に固定する。


手に握る棒槍は枠内の細い壁に納める。木箱の上方には三本のロープが見える。中央の一本は木箱を吊り下げ、細い二本の半透明のロープは箱を貫ぬき、風に揺られユラユラと遥か下方へと消えていた。両手は木箱の取手をしっかり握り、左足は床に張られた細布の下へぐっと突っ込む。


壁から突き出るレバーを右足で下に踏み付けると、ガコン、という音とともに振動が伝わり、木箱は自由を得るとともに落下を始めた。ほんの数瞬で周りの枝々は飛ぶように上へと消えてゆく。木枠の上下のロープは動きにつられゆらりゆらりと大きく揺れているのだが、不思議なことに木枠が通過している部分だけは、大樹の幹から一定の距離を保っている。しばらくすると木箱のゴンドラは一定の速度に達したようだ。


吹きすさぶ突風の中、西の彼方に臨む湖の煌めきを少年の眼はとらえた。歴史の大舞台、虹のパロミラル湖。空想は千年を一気に飛び越える。オパールの輝きを放つ巻貝城、巫女の塔、駆竜人の塔、城を囲む数々の塔達、湖の守護者−清水竜、それに騎乗する水智類のクィーカ族、そして天空の守護者−黒竜・・・そして、少年の目はいつの間にかいつものように巻貝城のあったはずの上空を無意識に凝視していた。


チンッ、ロープの何かが木箱の仕組みを起動したらしく、速度が落ち始めた。いつの間にか樹海の屋根が近づいていた。葉の一枚一枚がはっきりと区別できるようになると、視界は突然途切れピューウゥーーッと唸りとともに暗闇に包まれた。


森の屋根を突破する天突管だ。鼓膜を緩め気圧を逃す。樹海の形成する天然の屋根には、肉食獣も当然のごとく住まっている。小さなアードラ族が近寄れば、襲うな、と言う方が無理な話である。暗闇の中、強烈な速度で上方へとすれ違うものがあった。もう一つの木箱のゴンドラが、人を乗せぬまま小屋の終着駅を目指して飛んで行った。


再び明るさは戻り、視界が開ける。広がるのは巨大な屋根を支える巨木達の世界、広く“樹海の神殿”と称されるうちの一つである”緑北の間”に入った。茫洋と広がる緑の空間に彩りを添えるよう、花クラゲたちが群れ浮く。森の食物連鎖の高度に達しようとしている。少年は壁からゆっくりと棒を手に取る。手甲のコラン石を微かに輝かせると、先端の金属管は小さく回り、手元へスルリと近づくと再び半回転した。棒の先に現れたのは、鈍く輝く槍の穂先、棒は槍へと変じた。


タユナの一種―アルージの群れが魚体をキラキラさせながら、どうやらこちらへ近付いてくるようだ。体長はゆうに10ピテ(105㎝)ある大きな群れが回遊してこちらへと向かってくる。違和感を覚えた少年は、進路を変えさせようと思った、そのときにはすでに左手は背に伸び、弓は体の前に形を成していた。言い知れぬ予感を持ちながら、極く細い小音の鏑矢”小笛矢”を番え、放たれた。


小笛矢はその名の通り甲高い音を

キューーー‐₋₋・・・

と立てて飛んで行く。


がしかし散を乱して逃げ惑うはずの群れは、先頭集団がチラリを乱れを見せただけで、まとまりを取り戻した。そして何を思ったか猛然とこちらへ突進してきた。いや、何かにおびえ、恐慌をきたしている。眼前を弾丸のように飛び去る群れ。無意識に答えを探る頭を、何かを察した体が引きずり落とす。しゃがみ切る直前、宙に浮かんで見えたのは、大きく見開いた眼をした自分の顔であった。


ダァァーーン!


ゴンドラは激しい揺れに見舞われた。

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