降星大戦ーポエルの話8
よほど怖い目に遭ったのか少女は病床で青ざめた顔をして震え、夜も寝付けないようであった。
医学的な療法が見つからず少女は衰弱の一方であった。これを聞きつけた4番塔付きの巫女は精霊院に知らせを送ると、この少女のため流脈医を送り込んだ。
巫女でもあるこの流脈医が注死雲のもたらす死の謎の一端を掴んだ。流脈医は少女の身体にミーク(霊糸)を送り隅々まで異常のないことを確認すると、霊視を始めた。
心臓にある魂魄は全身に気脈を巡らしている。そこで判明したのは、毒手がもたらしていたいたのは毒ではなく、魂そのものへの傷であった。
このことは精霊院の秘匿事項に触れているらしく、詳しく知られていない。がこの流脈医がその傷をミークで覆い付き添うこと3日。無事に少女は回復に向かった。その後、その少女から得られた情報がある。
「足元の底が抜けて、自分がどこかへ吸い込まれて消えてしまうような」
という感覚であったそうだ。そして訪れる失神してしまうほどの激しい苦痛。しかし、その苦痛でさえも意識ともども吸い込まれ何処かへ吸い込まれてしまう感覚。苦しいはずなのに、それごと吸い込まれる狂おしさ。
空での異変が数多く取りざたされ、人々の関心が空へ向いていた。その隙をつくように、異変は地中や水中でも起こっていた。
地鮟鱇を知っているな。やつらがどこの世界の生まれかわからぬが、上空から卵が撒かれこの世界に定着した。硬質の、小粒の石のような紋様の卵は、夜に降る雨に紛れて撒かれていたようであった。
小さな流れは必ず太く大きくなる。行き着く場所は海か湖。卵から孵った地鮟鱇は、昼は湖底深く身を潜め、夜になると活発に捕食を繰り返す。そのため発見がかなり遅れた。
繁殖し、生活の場を広げるだけなら、異界より参った他の生物たちと何ら変わりはなく多様性を増すだけであった。
が、厄介なのはバテナの種卵の果肉を好んで食し、その種卵を地中深くで排泄することだった。バテナの種卵は言わずと知れたバテナード兵の卵であり種だ。
地鮟鱇は微細振動で土壌を液状化させると森の深くまで侵入する。土地の生物たちの排泄物の匂いを嗅ぎつけると地中に小さな空間を作り巣を構える。池巣と呼ばれる底にバテナの種卵を排泄する。と、得意の振動で水を温めるやいなやバテナの種卵は一気に芽吹く。
いや、芽吹くというのは語弊がある。根吹くというべきか。
その急激に伸びる根は地表を目指して伸び続け、やがて地表から伸びる植物群の根を探り当てると、その根にしっかりと絡みつく。そして密やかに養分を盗み始めた。
石のように硬く引き締まった種卵の表皮は緩み、養分を吸い取るほど大きさを増してゆく。種卵の中で育っているのは敵方主力兵バテナード兵だ。伸びる根はその成長過程で互いを結び、意識の統合を図り地上で活動する頃には、完璧に統率され訓練された小隊が完成しているというわけだ。」
降星大戦を少しでも知っている者ならば知らぬ者はないバテナード兵。
ピウィは本の中でその姿をよく見かけた。紡錘形の鉢のような兜を被った鮮やかな緑色の皮膚をもつ人型の戦士。驚くべきは、その成長過程から分かる通り植物と人との融合生命であることだ。
種卵での成長過程でそれらは天然の鎧を身に纏い始める。考えられているのは、その体内に宿る微生物が金属元素を取り込み外骨格のような装甲を形作るのではないか、ということであった。
ワールを使用する操甲体と違い、単なる鎧はその作りゆえ特有のギクシャクとした動きを伴うものだが、バテナードが生まれながらにして身につけたそれは全く違う。
緻密に計算された名匠の手による傑作のように、付け入る隙のない作り、各部の強固なパネルを繋ぐ腱、関節の滑らかさ。鎧われていない顔、頸部、腹部などの露出部分は強靭な繊維の束のようで、容易に断ち切ることはできない。
小さな頭部の下に巨大な胸。そして特徴的な長い腕。先端は3本の極太い指。重く硬い手で握りしめているのは、地鮟鱇の骨から取り出された鋼のような骨棍棒だ。
柔軟な腕は深い間合いを持ち、遠間から棍棒を高速で打ち出し、打撃を加える。接近戦ともなれば正面からの突き、上段から振り下ろし、または下段から振り上げ。まともに受ければエメルタインといえども相当な衝撃を受け、下手をすればオムル網(活導機の随所に組み込まれるコラン石とそれをつなぐワイス鋼線によるワール伝達網)にずれを生じ、当たりどころによっては活動停止状態に陥る。
また、中距離からも攻撃が可能だったようだ。石さえ転がっていればその高速で振り下ろされる腕は投石器と化す。
また、こちらから夜襲をかけることは割りに合わなかった。緑兵とも呼ばれたバテナードたちは各部のパネルを繋ぐ腱を緩めることで多少外形を変形させ、うつ伏せれば岩に、樹木にしがみついての休息では樹皮に同化した。
色の失せた夜間では松明や蓄光石に浮かび上がるものは全て同色に染まってしまう。擬態化したバテナードを見分け討つのはそれ故困難であった。こちらが優勢となりバテナード軍を追い詰めた時には、地中に消え失せてしまうことも度々あったようだ。
緑兵と地鮟鱇がいた異界ではそれぞれが天敵を抱えていたのであろう。切っても切れぬ相利共生の2種族は強力に互いを庇い合っていのだ。
ピウィが記憶を掘り返しているとき、ポエルの声がそれを遮った。
「しかし、この徐々に確実に数を増すバテナード軍団の存在はまだ誰にも知られず、地宙深く隠れて眠っていた。
パロミラル伯王領の各地で虚空魚の異常行動や注死雲が頻繁に見られ始めた頃、精霊院の要請により2回目の会合が持たれた。この会合では巻貝城記録官の残した光影石がある。」
いよいよ待ちに待った光影石の出番がきたようだ。
ポエルが再感機のバルブを開くと気化した燃料の匂いが鼻をつく。金属マッチをシュッと擦ると大きな火花が飛び、再感機に火が灯った。ガス調節ねじを回し炎が安定すると光影石にじわりじわりと熱が伝わるのか、色が明るくなってきた。加熱し過ぎれば、記録された全てが消え失せてしまう。が、記録を再現するのもまた加熱が必要であった。
慣れていなければ相当な時間をかけて火力を調節しなければならないのだが、ピウィの義父はその難しい作業をなんなく終えた。ポエルは再感機に手を乗せると、ワールが達したのか光影石が更に強く、続いて石を囲むリングが輝き出した。
準備を終えたポエルは再感機のボタンをカチッとおすと、光影石がゆっくりと回り始めた。回転数が上がってくると石は安定して回っている。
「目を閉じて、オーグを展開しなさい」