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棄てられた楽園 駆竜人ピウィ  作者: 青河 康士郎 (Ohga Kohshiroh)
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ポエル・ラウルの章ー3


 オポイ老が掌を打ちならすとテントの内外はにわかに慌ただしくなった。


 精霊院の手回しの良さが実証された。パルワ砦まで連絡が行ったのだろう、砦詰めの従者が持ち出し運ばれてきた荷には二人分の竜槍士の正装が含まれていた。それぞれの家で代々受け継がれてきた鎧、兜、紋章を背負った外套。ラウル家譜代の家柄であるマルパは、手慣れた様子でポエルに着装する。


 9世紀あまり前の大戦で失った竜騎士と黒竜。この竜騎士の正装の作り手も、全装備を整えている家も大きく数を減らした。細かく手直しを続けるマルパの脳裏に想いは駆け巡るが、その様な事はおくびにも出さない。


「露払いとして遣わされたのが“白い賢者”とは、あれほど上位の使者、何やら大事のような。」


両腕を横に水平に保ちながらポエルは


「使者は昼間の一仕事を終始見物していた。結果のみで判断するつもりはない、という事だ。つまりはそれほどの事をさせようというのであろうよ」


長寿を保つ獣の中には知性を備えるものもある。それらは人などど同類と見做し、古来より同等の扱いをする慣わしとなっていた。


「臣下獣は異界の門に近寄ることができませんからな。ジアンコウの討伐も獣王室と精霊院との間で取引があったとお考えで。あれは確か森官寮からの依頼だったのではなかったですかな」


「形の上ではな」


「なるほど。ではこうなりますか。依頼の出処は討伐者の力量を確かめたい獣王室。取り決め量を上回る森の棲獣がこの地で消失している。白角鹿ほどの大型獣までも消えている事から大物のジアンコウと疑われるので是非に討伐願いたい、と黒翼城の精霊院へ請求。精霊院としても城代の覚えは良くしたい上、獣王にも城代にも影響力は残したい。黒翼城代マプ・ゴパルの息子が前年に聖獣に傷を負わせた借りをチャラにできるのなら自分の懐が痛むわけでもなし儲け物ですからな。精霊院白官オポイ老の養子、ポアナ様は森官の長に着任されたばかり。彼女からの依頼ならポエル様は断れまいと。獣王側としても森とは相入れない外来生物を駆除できるのなら一石二鳥ならぬ一石何鳥にもなりますからな」


ポエルは満面の笑みをたたえ


「まあ今の時点ではそんな所か。付け加えるなら意趣返しもあったのだろう。ジアンコウの頭に翠虎の爪痕が深々と残っていた。しかし、あの使者を見て考えを改めた。もう少し深いようだ」


マルパの支度も手伝ってやり、二人は精霊官の捧げもつ竜騎士の兜を受け取る。アードラ族がこの地に刻んで来た歴史。ポエルの兜にはそれとほぼ同じほどの年月を受け継がれて来たラウル家の紋章が刻み込まれている。


盾、長槍を両の鉤爪につかむ羽ばたく竜の飾りは、兜のひさしと一体化して戦闘の邪魔にならぬようしつらえてある。


今まで感じたことのない予感に襲われながら、ポエルの静かに紋章を見つめ瞳の奥に言い知れぬ思いが去来する。一族の半身ともいうべき黒竜、それを失って900年。それからというもの再繁殖の手立てを求め各地を彷徨ってきた探索隊が幾度となく編成され、そして失意のうちに帰還した。


 しかし、皮肉なことにこの遍歴の旅が一族にあまたの知識、知恵をもたらした。


地精族と同様、元来金属加工に突出した技能を持っていたアードラ族は、これでさらなる飛躍を遂げその名を近隣に響かせた。


風金かぜがねである。


 アードラ族はこの特殊な金属の扱いに優れる種族として知れわたるようになった。


風金はその名のごとく、風のように軽やかであり、一定の厚みを持たせると鋼の剛性を持つ。しかし、空気中のレジョン分子と激しく化合し、レジョン化物となると非常に重くなってしまう。レジョン化を妨げる酸化被膜をつくる合金化は難しい。長年の試行錯誤の果てに、門外不出の加工法を確立したことは、この一族に一定の誇りを回復させた。しかし、なんと言っても皮肉なのは、この風金を使った黒竜の装備を整えることが叶わなかったことだ。


 現在では、風金は飛鯨船の外装、飛竜、翼竜、伝書竜の装具の中では最上級の資材として扱われて、アードラ族の主な産業となった。



今、この時、森の使者の、それもかなり高位の使者の訪問を受ける。


長きに渡りポエルが構築してきた情報網。そこからもたらされた数々の情報をポエルは繋ぎ合わせ矢印を生み出す。四方から集まる矢印が指し示すその中心を探り当て、起こりうる出来事を予測する。ポエルにはそれが出来た。


 近年の情報の矢は、大きな出来事が始まる事を示していた。重ねて精霊院の知らせもあった。


 精霊宮はおいそれと情報は漏らさない。が、大巫女様の予知に明らかに関係する筋には知らせておかねばならぬ。ポエルもその一連にかかわっていたようで幾度か知らせを受けていた。近々大きなうねりが訪れると。これが我ら小さなアードラ族にどのような運命をもたらすのか。この渡意式がその予兆なのか。


 オポイ翁の声がテントに響く。


「よろしいか」


「整いましてございます」


マルパが答えた。


老人の静かな柏手に幕が開かれると、槍士の二人は表へと出た。


 光に透かされた明るい雲が織月を隠している。


右手に精霊白官(白官は序列に属さず大巫女の直属の秘書官)の燐光を放つ正装を纏ったオポイ、左手には儀礼用“カルガの弓”を背中の架台に掛け、森官の深緑の制服に身を包んだポアナがいた。


この小さな庭に配された木箱の蓋が精霊官によってはずされた。蓄光石の幻想的な青緑の明かりが広がる中、4人は祭壇前に立ち並ぶと頭を垂れて使者の到着を待つ。


 光が届かぬ祭壇奥に使者の大きな影が見えている。佇んでいた左右の従者から、先ず白い賢者が動き出した。いつ現れていたのか、使者は二人に増えていた。滑らかで穏やかな動き、こちらを見つめる双眸がきらめく知性をはっきりと伝えてくる。直立四足歩行の長い腕を伸ばし、ジアンコウの肉を手に取ると、軽く持ち上げわからぬほどの目礼、ほんの微かな微笑みをしたかどうか。祭壇の向かって右へ居場所を変えた。


 そして、他方の使者。体の動きをこれほど美しく見せる存在はそうはいなのではないだろうか、緑の夏毛に覆われた堂々たる体躯の虎が動いた。目の前にいる小さな人間どもに鼻をひくつかせ眺める。何かに満足したのか、捧げ物の台に向かうと立ち上がった。左の手に畳み込まれた五指がすっとのび台木をしっかりつかむと、右手の五指は肉をむんずとつかみ口へ運んだ。

 

 足繁く森へ通う森官であれば猿虎えんこに出会うことなど珍しくもなく、別の地域に住まうアードラ族は騎乗用として用いることもある。が、目の前にいる猿虎は完全に別種である。


 ポアナの脳裏を忙しく記憶に検索をかけている音く。


      ・・・翠虎すいこ・・・


 では、実在したのだ、と呆然と感じた。


 誠に稀有な出来事が眼前で進行中なのを確認し、マルパはこれからおこるであろうことに憂いを抱いた。これまで出会った最上位の使者は先の”白い賢者”であった。それが露払いを努め、幻獣とまで言われた翆虎が護衛をしている。これほどの使者との意を交わすとなると、何を頼まれるにせよ断ることは難しい。ポエル様が面倒な立場に立たされぬと良いのだが。


 いつの間にか風はやんでいた。木々のざわめき一つせぬ闇が少しずつ濃くなった。空を渡る風は未だやまぬようである。森の中から放たれる気配が一つ、また一つと増えるのが感じられる。ポエルの動きに少し遅れて三人が、だいぶ遅れて精霊官たちが頭を垂れた。使者はそこにいた。


 辺りを威圧することなく、すでにそこに存在した。


 気配を察することに関しては、控えめに言ったとしてもなお自信を持っていたポアナだが、再び謙虚な心持ちになった。そこに現れるまで、いや今現在においても一切何も感じ取れない。気配ではない何か、そう清浄なる空気がこの場を支配していた。


 こちらを見るその目は、人の存在の核心を直接見られているようで、並のものであったならばその場にひれ伏してしまったことであろう。


 己の心が一点の曇りもないわけではなく、むしろ曇っていないところを探すほうが困難なマルパは、尻の穴がもぞもぞするのを感じたが、他の三人は一向に動じた様子もない。そのポエルの横顔に安心したマルパは使者の足元に視線を戻した。



 雲から現れた二つの月が注ぐ青白い光は、神秘の壁でこの場を切り取り、日常からこの場を切り離した。


現れた正使者、巨大なエカーペス(雄山羊)は、穏やかな眼の光を放ち、平伏する者皆を包み込んだ。。


白毛の従者が口を開く。


[歓迎の意、伝わります]


独特な文法。歌う抑揚に乗せて発せられる、天使のような少年の声。まるで腹話術の人形が喋っているかのよう、表情なく声だけが響く。


[皆、感謝の意、送り返す]


まっすぐこちらへ向けられているのは、白い賢者のまさしく知的生物の瞳だ。


[森と森王、地の下に住まうものにやすらぎを与えた人へ使者を送った。使者、その意を送る]


 すると、巨大な雄山羊が頭を振り上げる。眼球が大きく見開かれ、らんらんと輝きだすとそれは突然始まった。頭の中が徐々に何かに巻き込まれる。己の思考がまとまらない。エカーペスの思考が猛烈な勢いで回っている、それに巻き込まれ・・


自我は霧の中へ隠された。思い出の中の景色がはっきりと焦点を結ぶように、雄山羊の意思を強制的に覗き込まされた。


         真っ白な霧を透かして幾筋もの沢が見える。


                      門の沢だ。


 流れ落ちる滝に囲まれた広い円形の浅瀬。    

                           歓声に湧く闘技場のようだ。


               その中央に見まごうことなきバラ色の岩。     

                           

                                     ねじれた事象の結節点。


       この世のものではないものの門。


脳裏の画像が霞むと、ちがう場面へ飛んでいた。



全身を激しく震わせる巨大な蟹が何者かと対峙している。


常に礼儀正しい沢の守護者が、激怒している。右のハサミを高々と振り上げ、左のハサミは敵対する相手へと向けられている。水しぶきが渦巻く視界に、巨大な斧を振りかざす巨人が見えた。その向こうにうずくまるのは主より一回り小さい蟹たち。奥方とその子たちか。


この強烈なイメージに重なり白い賢者の声が響く。


 「私たち、門の領域には入らない」


マルパにはこの先の流れが見えた。主の身の上を思うあまり(なぜポエル様に)という言葉を意思の上になんとか浮かべた。が、口へと伝える途中でそれは途切れてしまった。


 「これはアードラの求めていたものと縁のあること。私たちも深くかかわること。」


意が明確に伝わったことを確かめたのか、しばしの沈黙を持つ。


 「夜明ければ、沢の守護者を助けなさい。」

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