降星大戦-ポエルの話4
「でもバロワ君、ガログ・オグルは裏切り者ではない、という証拠がこの本のどこにあるというのかな」
この本に吸い寄せられる己の視線をそらしながら、ルパールはバロワ、そしてポエルへと問いかけた。それに対しポエルは
「ガログの行いが、裏切りに値しないということは既に確信を得ていました。しかし今、バロワ君は新たにこの」
と、ここで言葉を切り真正面からルパールを見つめ、言葉を継いだ。
「『アポクリータス・コベンナ』を提示した。彼の話を聞きましょう」
“アポクリータス・コベンナ”の名を聞いてルパールはポエルに向けた視線に、そっと探るような色合いを混ぜた。ポエルの眼は雄弁にこう語っていた。
(あなたはこの名を知っている)と。
『いやはや、まいったわい。この方は何処まで知っておられるのか底が知れん。まぁできるだけ合わせて見ようかい』
三人の視線が集まると、バロワはしっかりとした口調で語り出した。
「あの大戦の後、オルグの家には消しようも無い不名誉が残っちまった。
そのせいで取れ高の少ないパルワ地空に領地替えになっちまったけど、まぁこれまでなんとか主根氏族八家の一つとしてやってこれた。こんな落ちぶれちまったオルグ家をそれでも信じてくれて、何とか盛り立てようと支えを惜しまなかった支根氏族のお陰さ。
それはガログのことをうわべだけで信じていたわけじゃあないからだ、って爺様始めみな口を揃えていってた。
でも、どこへ行っても侮られるわ見下されるわで、生きにくいのにはかわりがなかった。そんな時に一番奮い立たせてくれていたのがこの本なんだ」
バロワは丈夫そうな表紙を無造作に叩いた。
「バロワ、見てもいいのか」
ピウィが尋ねると、嬉しそうにうなずくバロワだった。
時を得たりとばかり蓄光石に手を伸ばし、ルパールはピウィの背中を押して共に本に近づいた。
ルパールは胸のポケットから眼鏡を取り出すと慣れた手つきで掛ける。全くの老眼鏡に見えるが実はそうでは無い。ワールで機能を発揮するワール機器のひとつ、拡大率調節眼鏡であり、本の作りから印刷文字まで細かくみてとることのできる特殊な道具だ。
すでにルパールは専門家の目で観察を始めていた。確かにこれはアリ型先住民族、ミルマイシナ族が残したとされる地下空洞全図、『アポクリータス・コベンナ』に間違いない。この地に来るまでは、この本の所在を確かめ、しかる後に上手く利用させて貰おうと思案していたが、いざこうして目の前にすると、さて、どうしたものか。
ピウィは再びこの本をしげしげと見た。
初めて見たときのように蓄光石の光に輝いているのは表紙に描かれた本の形に合わせたような金色の太い円。この旧パロミラル伯王領を知る者であれば見たことがあるはず。これはパロムージュ環道だ。
しかし、明るい室内で見た時とは違い、この薄暗い洞窟の中にあって、この本は違う表情を現していた。中のページが全くの透明で、地下道のみが浮き上がるように立体的に描かれているとは。
実際にこの本が必要とされる時は、今のような薄暗い地下の現地であって、初めてこの本は違う機能を現したのだった。題字に書かれていたのはまったく不明な文字だったが、さきほど聞いたアポなんとか、と書いてあるのだろう。
充分と見てとったバロワは表紙を左へめくる。そして表紙の裏、中央に書かれた達筆な文字を指さした。書かれていた文字は懐かしい文字。ラウル家では必修となっている上代ラポヒリス語だ。それと共に嫌な顔を思い出した。教育に熱心な長兄の顔。
ルパールが良く響く声で読み出した。
「忠誠を誓い合いし 親愛なる友よ。旅の無事を祈る」
その下には砕けた調子で続きの文が添えられていた。
「人の為となるとお前はすぐに無理をする。重ねて言う、無事に帰ってこい」
空の下を離れ、地の下を空としようとする者よ、光石、光虫を星とみなし、連れ添う友とみなし
心安らかにいられようか、慰めとなろうか、あまたの案ずる者がいることを忘れるな
パウド・ラウェルーン
左上の隅には太く力強い筆跡でこうあった。
初心の志をここに記す
そも、これは何のため。生涯の友と心に定めた者のため。
偉大なる竜騎士が、命を賭した業を為さんとする。彼の名誉を穢すな。油断するな。怠け、見落とせば、すなわち恩義に背くことになろうぞ。どんな困難が立ちはだかろうと、自分はダフルドと化して打ち砕かん。
ガログ・オグル
パウド・ラウェルーンが友へ向けた友情。それに精一杯応えようとしたガログ・オグル。
互いを想い合う熱い心が900年の時を超えてこの場の皆の心を熱くした。皆の心情がありがたかったのか、心なし眼にいつも以上の潤いを見せるバロワであったが、言葉を続けた。
「ガログが人から何と思われていてもいい、そんな事じゃあオレらの気持ちは小揺るぎもしない。親父は特別にピウィにも見せたんだ、この本を。そしたらさ、こいつは眼を潤ませてさ、『いいな』って言ったんだ。こいつは信用できる奴だって、改めて思ったんだ」
全くこういうことを臆面もなく言ってしまうのがバロワだ。ピウィは顔が赤くなるのをはっきりと感じていた。それを聞いたポエルは嬉しそうに微笑むと、ルパールに顔を向けた。
「ガログ・オグルは俺の誇れる先祖で、それは心の底でじっと持っていろ、と言われた。だけど、ここでは誇ってもいいと感じた。だからこれを見せた。これを見れば、ガログは決して友を裏切るような奴じゃないってわかるもんだ。例え裏切ったと見えても、それには絶対事情があったに違いない、と思えるんだ」
その場にいた皆は頷いた。
「さて、少年たちはその心の底をはっきりと見せてくれました。大人である私たちもそれに倣いませんか、ルパール師。そろそろ手持ちのカードをきるとしましょう。
私はあなたが誰であるかを知っている。いや、あらかじめあなたという存在がいるらしい、ということを知っていたというべきか」
ルパールは決められていた行動を始める時期と判断した。