うねりの胎動ー1
うねりの胎動
ユードネリ区2番街 掲示板
・・・大転移は本日夕刻9月時(注:1日12月時のサイクル )にて終了予定。即時外出禁止令は解除される、との通達がリローム区(軸区)行政局よりありました。
ほぼ一月間続きました大転移期間も終わり、第三国はこれより次の大転移までの30年間、王政期に入ります。各自治会員様におかれましては、これまでより一層の自治会への協力をお願いいたします。
明朝より行われるパレードの前夜祭として、外出禁止令解除後、2番街自治会館では紅鶏の唐揚げ、マイラ酒が無料にて・・・
それはいつからあったのか、誰によってつくられたのか、今はそれを知る者はいない。
グワルパ七国を区切るブルーグレイの破壊不能な七枚の壁。
クワルパ七国はあたかも地上に横たわる巨大な水車だ。地面から天へそそり立つ長大な壁はセイムと呼ばれる。第一セイムと第二セイムに囲まれた国グワルパ第一国から始まり、時計回りに第七国までが円状に並ぶ。
200ロピテ(210m)に達する壁を越えようとする試みは太古の昔から放棄されてきた。壁の上を越えるものはなんであろうとある種の場に捕らえられ、弾き返される。それがたとえ雨であろうとも。この障壁が上空のどこまであるのか知れぬまま今日に至っている。この七枚のセイムは車軸にあたるリローム区を中心に放射状におよそ60リーガ(63Km)伸びる。セイムの不思議の一つは、天体の放つ光だけは透過することである。よって壁の存在が日陰をつくることはなかった。
今、グワルパ七国は三十年に一度の大きな区切りを迎えていた。大転移である。リローム区に収まる七つの区画は、それぞれが異なる政治体制の中枢機関である。そのリローム区の一月間続いた回転が終わる。すると、ハフマ区と呼ばれる国土のそれぞれの国民は、30年続いた政治体制が終わりを告げ、新しい政治体制へと変わって行く。それがグワルパ七国であった。
旧パロミラル伯王領の東の国境から北東へ伸びる第三セイム。伯王領北東を囲むアプナー山脈の北端が間欠泉帯と接する地点から東へ伸びる第四セイム。この二つのセイムで囲まれた地域がグワルパ七国第三国である。
第三国は他の区国と違い、第三、第四、そしてアプナー山に囲まれるため領土が極端に狭いのだが、豊富な鉱産資源を産するため人口は多かった。とはいえ、軍事産業の中核を握る鉱物、ワイス鉱石の産出量は多くはなく、隣国の旧パロミラル伯王領は第三国にとって垂涎の的であった。
アプナー山を越える、いつしかこれが第三国軍事関係者の永年の暗黙の目標となった。
第三国は直接民主体制を終え、王政へと席を譲ろうとしていた。
「終わりか」
第三国リローム区5層。第4セイム側にある区画。ここはセイム高より上にあり、隣国第四国の一部分が切り取られたように目に入る。日没後のこの時、国境線である第四セイムの延長上にかすむアプナー山が黒々と姿を際立たせていた。リローム区側と同時に回転する短いセイムとハフマ区側の長大なセイムとの微妙なずれが収束しようとしている。そして一ヶ月に及ぶ極めて緩やかな大転移が終了した。
30年振りの衝撃が起こる。この慣性エネルギーは凄まじく、七国全体の住民に異様な振動を足元から伝えた。これは己という存在の根幹から揺さぶられたような感覚をもたらすという。
「アルトロ正上佐。第三国新王、コーグド・エタリアス王は只今、七界合に上がられます」
「わかりました。ありがとう」
しっとりと甘やかな香りが漂ってくるのを若い正上尉は感じた。
「退がってよし」
穏やかな命めいに心は鞭打たれた。
「はっ」
鑿で削りあげたような鋭い顔、冷徹な灰色の瞳。峻厳な印象を与えざるを得ない自分を知っている彼は、甘い香りを纏うことを気に入っていた。
左腕にワールを通すと、手の甲に張り付いた報時計はその時が訪れたことをノーラに教えた。
グワルパ内各国の指導者はリローム区上階7層、交界層へ昇り、取り決められた儀式の後、今後30年の政策の確認を行う。各リローム区にあった行政官、神官、軍属、宗教官、貴族議員、などなど中央政府に携わっていた者は全員地上に降りる。そして界合より戻った新たな指導者を出迎え、祝い、正式な着任を讃える。
今、リローム区に残っているのはノーラ・アルトロを含め十指に収まるであろう。ノーラは一人で情報局外の通路へ出る。リローム区自体が既に七国の中心軸であるのだが、その更に中心軸の壁面に立ち並んでいる昇降機の扉たちがある。円形の通路を進み、左端から3番目の扉の前まで来るとノーラが立ち止まった。
扉の上、絡まった蔦の装飾を確認する。今日はここだ。壁の四角いパネルに刻まれた溝に指を走らせなぞる。1層にいた3番昇降機は送られてきたワールに従い上昇を開始し5層に止まる。この時リローム区域に吹奏楽器の重なる音が鳴り響いて来た。七国の指導者達が交界層へ昇殿する合図だ。
時を同じくしてノーラはやってきた昇降機に乗り込む。中のパネルに再び指を走らせたのだが、乗り馴れた者からすればそれは眼を見張るような動きだった。複雑な動きで長い時間溝をなぞっている。行く先が指定されれば、パネルはぼんやりと黄色く光るのだが、この乗客の特別な意図を受領した証にパネルは水色に輝いた。昇降機は動くと同時に停止した。そこは4層と5層の中間。入り口とは逆、壁と思われた面は上にスライドした。そこに待ち受けていたのは全面に奇妙な、蔦の絡まる紋様の刻まれた扉であった。彼は再々度扉横のパネルに向かい、今度は大きく指を走らせた。
淀みない動きで両の人差し指が溝を這う。扉の全面を覆っていた紋様は、ノーラの指の動きに身悶えするかのごとくスルスルと解け始め、隠された扉の表面が明らかとなる。遂に扉は左右へ口を開き、秘められた内部を明かした。
そこに見えたのは上下に走る暗緑色の太いケーブルであった。ノーラは両の手で少し膨らむ部分を包み込むと、それはみるみる膨張し、円筒形の空間を形成すると、スルリと扉が開く。円筒形の空間は、人が一人やっと入れる程の狭さであった。白い壁と水色の天井、床。入り口でくるりと半転すると半歩下がり、細身のノーラは体をそこへすっぽり納めた。左右下方にある丸い突起に掌をあてると扉は閉まり、異文明の昇降器は下降を始めた。
伸縮性のある細い管を押し広げながら通過するカプセルはただひたすらに下降する。リズミカルな振動がノーラの身体を揺する。頭をのけぞらせると、天井の部分の溝が刻々と形を変えているのが見えた。判読できる者がいたのならば、すでに地上から深さ300ロピテ(315m)を越えている事がわかったであろう。
ノーラは狭い座席の中で再び反転し、下方の△の突起に触れる。円筒の上半分が透け始め、完全に透明になる。円筒内からの光を受け、目まぐるしく上に飛び去る管内の壁面が突然途切れた。現れたのは広大な空間であった。おそらくリローム区が丸々と収まる直径を有しているであろう空間。リローム区の下にこれほどの空間があろうとは、グワルパの誰が知ろうか。
昇降器の減速が始まったと感じる間も無く、音もなく停止した。
扉が開くと同時にノーラは颯爽と歩きだす。彼の到着を嗅ぎつけたのか、大型のアルマジロのような四足歩行獣が近寄ってきた。しかし、それはアルマジロのような小さな頭ではなく、猛々しい顎を有し肉食特有の目つきをした大きな頭を持っていた。体の鎧を波打たせ、ノーラに擦り寄る。それには構わず遺跡とも呼べる奇妙な構造物の通路をくねくねと曲がる。いくつもある脇道にも構わず、躊躇なく進む姿はよほどに慣れた者のそれであった。
突き当たりの部屋に到着すると先ほどと同じ手はずで扉を開けると、ノーラを出迎えるように薄明かりが灯り、丸い部屋を満たす。中央には直径2ロピテほどの半球が床に埋め込まれ、それがぼんやりと淡く輝いているのだ。入り口から見ると正面にあたる奥の壁にも同じような半球が突き出している。その中で何か白いものが動いた。ノーラの口が開いた。
「来たぞ、オーイン。話せ」
壁の半球の中の白い影は立ち上がり、全身を見せた。頭を包む円筒形の大振りな帽子。両側からたっぷりとした房が垂れ下がっている。白いローブ姿の右手には、何の結晶であろうか滑らかな光沢を放つ杖を握っていた。今、朗々と声を放つ。
「破滅の島が再び落ち始める。留められた時は再び動き出す。備えよ。パナヤーナの民は、此度の波からは逃れられぬ」