サクラアゲハの頃-20
「そろそろ朝食の時間かしら。偶然にも雪山をモチーフにしたデザートが出るようだから、それを眺めて計画でも練ったら」
ミナルは額に手をかざし、外界を瞳におさめる。
「ばかに早いが、今日からゆっくりできるんじゃなかったのか」
「父が来るのよ。軍人の年寄りは困り者ね。朝がますます早まって周りが迷惑だわ」
「なんだ、急なんだな」
「さっき貴方が軍事訓練を考えていたころ、サーリが念達をくれたの」
「では、朝食ではあまりデザートを凝視しないようにしよう。将軍の見事な娘について説明せざるを得ない、という場面は朝から避けたいからな」
「そうね、そう願いたいけど貴方の考えそうな事はわかってると思うわ」
こちらも軍人らしく手早く身支度を整える。
ドンッ!
寝室の外でドアが大きく開いたようだ。
「なんだ、まだ寝室か。おいミナル、さっさとせんか」
名指しを受けた男はサッと扉を開けると、部屋の入り口に立つがっしりとした中背の男性をみた。ミナルはきびきびとした足取りで初老の男性に近寄ると、腰から中剣を鞘ごと抜き取った。柄を上に片手で捧げ持ちそのまま胸に当て、威厳あるこの男性にお辞儀をする。
「第三国国王に忠誠を。オービル将軍閣下におかれましては」
そこでグイッと脇を持ち上げられると
「そこまででよし。わしゃ腹が減っとるんだ。朝食は、おっ、そっちか。早よ来い」
配置についた給士に導かれ入ったダイニングのテーブルは、朝日を浴びた銀器で満たされたいた。
南面の大窓の脇に立っているにこやかな婦人が一同を迎える。
「おはようございます、オービル閣下、レイサ様、ミナル様。ちょうどよい時間でございました。まもなく先触れの一群が通過するようでございますよ」
「ありがとう、ジュゼウ婦人」
将軍を中央にしてレイサ、ミナルが窓際に並ぶ。小卓に用意されていた双眼鏡をミナルが二人へ渡す。ミナルは迷う事なく東南東の空に双眼鏡を向けピントを合わせる。
「確かに。来ました」
これに将軍が応じ
「双水眼のきらめきが、この朝によく映えとる」
そこに見えたのは、双子の浮き布袋葵であった。不思議なことに二つの浮き袋は進行方向に対して必ず垂直に並び、その上に粋な日よけのように葉を乗せていた。二つの浮き袋近くで朝日を反射した物がきらめいている。
「荘厳なる三頭蓮の手を引く、小さな双水眼。そのよく見える眼で行き先を見極め、巨大な存在を過たず導く。なにかを象徴しているようで感慨深いし、そうね、麗しいわ」
ミナルは将軍越しにレイサの横顔をちらりと見た。
「大橙のサクラが咲き始めたようです」
ミナルの声に二人は前方の森へ双眼鏡を振り向ける。大きな葉の隙間に桃色の花が急速に咲き始めている。
ぱっ、ぱっ・・・ぱぱぱぱっ
開く音すら聞こえそうなほどの勢いで、樹々をピンクに染め上げる。朝の陽光を浴びたその花たちは、ふるふるふると細かく震え始める。
「明日から八日間ほどが見頃でしょう。緑塔市でのパーティー期間中は十分に保ってくれるはずです」
「レイサ、お前は本当に来ないのか」
「何度も申し上げたはずです。せっかくの料理が冷めます。席につきましょう」
燻製された干し浮き魚のほぐし身と泡芋のフライをまぶしたサラダの前菜が置かれた。
ゆっくりと食事を楽しむ習慣のあるレイサの父、バンザ・オービル中将はドレッシングを丁寧にかけると、大きな一口に野菜を放り込む。
一口で手を止め、視線をレイサに送ると
「破滅をもたらす星は再び降下を始めるのか」
そこで巨人アルウィードによる青巫女襲撃の顛末をレイサが報告し始めた。自分は報告の裏付け役だったのか、と訝しむ傍ら正確に思い出そうと心構えをするミナルであった。
「それで、モセナ様の名をかたった女は」
将軍の問いにレイサが応じて
「はい、ウキユニ村という名はご存知ですね。では一夜にして壊滅したことは覚えておいでですか。その女はそこの出身でした。名はハルハ・ナル。当然暗殺者です。それもかなり腕の立つ一人です」
「復讐か」
察しがついたのか、オービルの口からため息のように漏れ出た。その言葉にミナルは窓の外に広がる景色へ視線を向けた。レイサはしっかり頷くと
「ハルハは身につけた技能を駆使し、襲撃者の正体を突き止め、復讐を誓いました。それこそがアルウィードの狙いであったとは気付かずに。ロイリス伯王時代に起こった八年大戦の記録にその名を残す“美しき巨人アルウィード”と呼ばれた存在。かの者に関する記述をくまなく調べ上げ、彼女は一つの確証を得ました。巨人にはある呪いがかけられていると」
将軍はミナルの横顔へ一瞬視線を送った。
「精霊院の針糸医が数名、ハルハの治療にあっていました。我が方の軍医と比べても遜色ない医術を持っていると判断しました。かなりの重傷を負ったにも関わらず、翌日には明確に受け答えができるまでになっていました。青巫女様同席という条件でこちらの面会を受けています。虚偽はないでしょう」
実際にはどれほど冷静に話しが進められたわけではなかった。ハルハはもう暗殺者であることを捨て去っていた。湧き上がる闘志に突き動かされる戦士へと変貌を遂げていた彼女は、抑えられぬ感情を隠そうともしなかった。その情景がミナルの脳裏に浮かぶ。
「あの時を、あの瞬間だけを持ち望み、全てを賭けた。それをなぜ、なんの権利があってわたしから奪った」
己の死に場所を奪ったパミラに向かって放たれた恨みの言葉は、絶叫となって病室を圧した。
パシンッ!
平手打ちの乾いた音が響いた。パミラの小さな手が震えていた。レイサ、針糸医はもとより、ハルハの驚きは傍目から見ても印象的であった。その甲斐あって、ハルハの興奮は一気に冷めたようである。
「あなたの死に場所は、私が決めます。勝手に死ぬことは許しません」
小さな身体を目一杯使って、ハルハの頭を抱きしめた。
実際、パミラには確証があった。ズルーキから発せられた黒線が巨人に何らかの害をなすことを目的としていたようだが、巨人の様子からむしろそれを待ち受けていたことは明白であった。ピウィのワールと繋がったとき、潜んでいた存在が既に決定権を握っており、その後の流れは既に決められていた。あのとき、ピウィにウィーラを投げるように依頼したのは、自身の直感ではなく干渉を受けた結果であったのであろうと、パミラは判断していた。
ハルハは禁忌のエメルタイン“ズルーキ”を使い、何を目論んでいたのかを話し始めた。
ウキユニ村が襲撃された夜、ハルハは村の中央広場で仮死状態となっていた。仕事をしくじり、罰として太い柱の先端にある狭い空間に拘束されていた。意識はかろうじてあり、外が見えていたそうだ。巨人の振るう戦斧が、親しかった者の魂を次々と吸い取り奪って行くのをひたすら見守った。
村びと、親族、友人が次々と殺害され、包囲された村から逃げられる者はいなかった。絵に描いたような阿鼻叫喚の地獄絵図が目に焼き付いたという。重なり合う叫び声がハルハの耳に蘇る。
「心が・・寒・・・」 「よせ、魂が消え・・」
そして、夫と息子の雄々しい最後の戦いぶりを瞳に焼き付けた。それはそれは長時間の闘いであったようだ。敵う相手ではないことをはっきりと分かった上で、相手の技を出し切らせる、そんな闘いぶりだった、とハルハは漏らした。妻の、そして母の身を案じてのことであったのだろう。
ハルハは、家族の命を奪った、夫と息子の魂を吸い取ったあのいくさ斧に貫かれて死ぬことを願っていた。
「また一つになれると思った」
彼女はそう呟いた。
襲撃の翌朝、生き残った数名の村人がハルハの存在を思い出し助け出してくれた。家族の遺体を目の前に、彼女の中に構築された行動の規範が弾け飛び、再構築された。襲撃者がその後周辺に留まり、襲撃対象の行動を観察することはよくある手だ。十分に時間をかけ周辺の安全を確認してから、暗殺者の隠密性を駆使して彼女は行動を起こした。
暗殺に適した操甲体はいくつもあったが、ハルハが求めたものは他にあった。架空の存在と思われていた禁忌のエメルタインだ。今や村のどこを調べようとも彼女を咎める者はいない。復讐の怒りが彼女に休むことを禁じた。
村長の隠し書庫で不眠不休の数日を過ぎた頃、目指す資料を探り当てた。それを頼りに先祖代々の魂が眠る墓地中央の大樹の根本に石の扉を見つけた。村びと数人を説得し、操甲体を使って扉を開けると地下通路の最奥に鎖でがんじがらめとなったエメルタインを発見する。ズルーキである。
なぜこれほどまでに封印されていたのか、近寄るものを説き伏せるかのように文章が残されていた。
その呪われたエメルタインは、装甲に過度の負荷が掛かると己の破壊を逃れるため、装甲板の繋ぎを開き、エメルテの命を差し出す。その命が尽きる寸前、制御不能となったエメルテのマノンから極限までワールを引き出し、十指の先から呪いの黒線を放つ。それは対象者の拡張神経系をさかのぼりヨルトにたどり着き破壊する。ヨルトを失ったワールは変換対象を見失い、最後に熱と光への変換に行き着くと、相手の体の内側から対象者を焼き尽くす。
乗り手を守ることを優先せず、乗り手の命を利用して相手を打ち滅ぼしエメルタインの存続を図る。その機能を目にした者は、必ずこのエメルタインを利用したがるであろう。そうしてこのズルーキはこの世に死を撒き散らし続ける。これを作った製作者の自己顕示欲に、レイサは怒りを感じざるを得なかった。
「青巫女様はそれこそが巨人の狙いである、と見抜いたようでした。八年大戦時にかけられた呪いは、擬似的なヨルトを巨人の中に組み込むこと、これは確認が取れました。我々の理解を超えるほど圧倒的なワールを使いこなすアルウィードに、こちらの世界のヨルトを上書きする事でワールの放出量に制限を加えることが目的であったようです」
「しかし、巨人の目的は達成される直前で遮られた」
目の前で起こった光景をまざまざと思い描くミナルが、独り言のように言った。
「失われていた大いなる力を、巨人が再び振るう日が近い。情報局の予想通りだな、レイサ」
「それは否定できません。しかし情報局だけでなく、天巫女様、そしておそらくアルウィードもこの運命の結節点となる今回のことを見越していた、と思われます。特に巨人は自分の行動に関わる顔ぶれを見ておきたかった、という意図を感じます」
それはレイサの感想などではなく、些細な情報を付き合わせ組み合わせ積み重ねた結果から導かれた結論であることを、この場にいる者はわきまえていた。
「んっ、この大喰鶏のスープ、いいわね」
真面目な話はこれで終わり、とでも言いたげにレイサは舌鼓を打つ。
それぞれの思いを巡らせながら、三人は澄んだスープに向きあった。香草嫌いのオービルが密かにそれをスプーンで皿の端に寄せていると、娘に睨まれた。
「うむ、それでアードラ族の少年だな」
そういう矛先のかわし方をするのですか、と言いたげなレイサだったが
「ピウィ、そう名乗っていました。アルウィードにとっては予期せぬことでしたでしょうが、一番の収穫ともなったでしょう。見えなかった存在が確認できたのですから」
ミナルは
「背後関係は今調査中です。現在少年は緑塔市が勾留中とのことです。この少年に関しては、その登場、戦闘中パミラ様に傷を負わせた事、その後の退場の仕方、等々噂になっております。なんと言っても、青巫女様もろともアルウィードを貫こうとした行いを、かなりの人数が証言してしまったのですから。全体としては住民は疑いの目をこの少年に向けているようです」
「それとは打って変わって、青巫女の評判は良くなったようだな。あの小さな身体で、巨人に敢然と立ち向かったのだから。さすが青巫女よ、と賞賛される振る舞いであったようだな」
すかさずレイサが
「良くなるどころか、熱狂的ですよ。アードラ族が青巫女の座につく、というのは不安を、もしくは忌まわしい記憶を招くものですが、それに反してパミラの堂々たる行動が伝わると、その反動が起きたようです。パミラ様の評判が天井知らずに上がると、今度は自分たちの後ろめたさからか、ピウィへ厳しい目を向けざるを得なかったのでしょう」
オービルはそれを受けて、さりげなく
「その子はポエル・ラウル殿の養い子だ。妻女のポアナ・リゼハー殿からそう伝えられた」