ポエル・ラウルの章ー1
円庭を取り囲む木々は高く、見える空は丸い天窓のようだ。現れた人物はその天窓に切り取られた空をしばらく眩しそうに、そして視線を落とすと木々の周辺を眺めていた。梢の葉が陽射しに透き通る。さらに視線を落とし、今度は庭の水溜まりを見つめているようだ。
肩にかけていた細綱の輪をエポーレットからはずすと腰袋から一繋がりの3つの球体を取り出した。少し大きく透明な中央の球体を握ると、何度か握り締め弾力を確かめる。両脇の小球は金属のようであり、中心を貫く紐は先端に小円盤を持っていた。
細綱を中央の球に結ぶと、この者は狙いをつけた枝を静かに見つめたまま、錘をゆっくりと回し始めた。空を切る音がそよ風の音をわずかに上回ると、斜め前方へ勢いに乗った球を放った。
細縄は指で形作る輪の中を滑りながら延び、球が枝に当たる寸前、ピシッ、と引かれた。両脇の円盤は枝を抱き抱えるようにぐるりと回り、どういう力が働くのかカチリと繋がり輪が完成した。
右手でグイッと縄を引き確認を取ると、両足を揃え倒木から軽く跳ねたのだが、身長に比して予想以上に高く飛んだ。振り子のオモリとなった身体は地面より下にある最下点に向かって速度を増すが、フッと半径は短くなり、体は下方よりむしろ上方へ向かって行く。
人を乗せた振り子が往復運動をするたび縄は短くなり、その都度、上の方でカチリ、カチリとほんの微かな音がする。みるみるその男の体は上へ上へと昇って行く。
縄のなか等間隔に編み込まれた物が互いを引き寄せ、尺取り虫のような形を成しながらループをつくり、綱を短くしている。縄を掴む男の左手の手甲にある石が木陰にさしかかるたび、うっすらと黄色に光を放っていた。
目当ての枝に差し掛かると、はらりと輪は解け、枝の先へ向かいながら細綱を片手にまとめた。しなやかな繊維で編まれた靴は足の動きに見事に追従し、吸い付くように太い枝の樹皮をとらえている。
この高さから眺める庭はまた格別で、楽園が眼下に広がっていた。三つ球を外し、腰袋へ仕舞うと今度は単眼鏡を引き出し、見開いた両目の右へ当て、池を覗き込んだ。しばらくそのままだったが満足したのか道具を戻そうとすると、
パキッ、ザアァァー、ザッ!
枝の男はニヤリとし、単眼鏡を円庭の反対側へ向けた。背の高い草海の中、倒される草、立ち直る草、と現れた空間はこちらへと向かってくる。
「よい時合いだ。」
声にならないくらいの言葉がもれたそのとき、またちがうなにかに気づいたのか、この円形の地を取り囲む木々の左へ視線を振る。濃い陰に紛れて判別できないが何か潜んでいる。
「ふむ、そうか。」
男は綱を枝に結び、他端を腰帯のフックに掛けると、すっと立ち上がった。背中の翼が際立つ。それは背負子のような架台に固定された木目の美しい翼であった。
表面には目立つような装飾はいっさいなく、しかし光に透かすと鈍く金属的な輝きを見せる翼であった。
ゆるやかに耳を掠めるよう左手を背に回す。真っ直ぐ下方に伸びる両翼を上端で繋ぐ紋様ある柄をつかんだ。瞬きをした目は一瞬でその色を変え、左手甲の石が薄く輝くと架台の留め金が音もなく外れ翼は解放された。
手は柄をつかんだまま頭上を舐めるように通り越し、腕をまっすぐ前へ伸ばすと羽は裏をこちらへ向け天を指す形となった。
その手を右へ捻ると左翼は天を指したまま微動だにせず、握り柄は右下へ傾き、右翼はそれに倍する速さで回転する。両翼が縦一直線になると、滑らかに反りを打つ弓が現れていた。
「この、」
ザッザッ
「いまいましい」
ザーッ、
「草め」
「火竜の息吹で・・・・・焼き払われるがいい・・・」
ふいごのように力強く呼吸を繰り返す分厚い胸、身の丈より高い丈夫な草を掻き分け続ける節くれだった腕、そして先程より呪いの言葉を吐き続けているよく動く口。
鞣し革のような肌は浅黒く焼け、左頬から口端にかけてまっすぐひきつれる刀傷はどこか愛嬌を感じさせる。
「だいたいポエル様もポエル様じゃわ。
『マルパ、確か見本を見せてくれると申しておったな。』
とはよくいいなさった。ありゃ言葉の綾というもんじゃ。昔より、要らぬことをよく覚えておるものは早よボケる、と申すからの。わしゃ今から心配じゃ。」
草間より前方の空間が透けて見え始めた。足と口の動きを止め、手にした槍をそっと草に立て掛ける。首根から尻までを覆う亀の甲状の背の荷を下ろすと、まず中にぴたりと納めてあった袋を取り出した。
そして丸みを帯びた甲の覆いの布を剥ぎ取ると、現れたのは兜であった。しかし、その大きさは尋常ではない。人族のそれを遥かに上回る大きさだ。濃紺に鈍く輝くそれは、帯状の花模様に縁取られ、全体には立ち並ぶ戦士達が技を競いあっている姿が描かれていた。
重厚な作りの大兜を事も無げにヒョイと持ち上げる。背負い紐をほどき背に密着させるとそれは不思議とピタリ張り付いた。
立て掛けておいた背丈より半分ほど長い槍を左手で掴み、穂先下の金属の筒を捻り先の方へスライドさせもう一度捻り固定する。石突にも同じことを繰り返す。穂先と石突きは筒に覆い隠され槍は一本の棒と化した。
「いざ、参る。」
草むらを掻き分け草原に入った。
小さく波立つ小沼へ向かって一直線に歩む。水際へたどり着くと、マルパは水中の小さな住人と対峙した。ゆらめく光を通して小魚の姿が見える。
水底にたたずむその体つきは根魚そのものだが、少し変わっているのは頭から飛び出ている柄のついた眼球だ。それ2つの眼球がすっと離れて、こちらを見つめている。お互いに相手の出方をうかがっているのか、奇妙な間が生まれた。
その均衡を先に動かしたのは小魚のほうであった。口許がほんの少し開き掛けたその瞬間、自らをマルパと明かした男は岸沿いに左へ回り始めた。魚も軽く泥を巻き上げてスッスッと追いかけるように向きを変える。
が、あるところまで回るとそれ以上岸辺の男を追いかけるのをやめた。すかさずマルパは反転し元の場所より2歩ほど先へ進む。再び魚は男を追い元の向きへ直った。それを確かめるとマルパは手にした棒を水辺へ突いた。
ズブリ、一歩を沼へ踏み込む。
魚は両目の間隔をさらに開いてこの男を見つめる。
ズブリ、2歩めを踏み込むと膝下まで埋まりよろけそうになる。
それを待っていたのか、小さな魚体はくしゃっと潰れたかと思うと、何かが爆発的な勢いで放たれた。
マルパの背から頭上を通り越して上半身を覆ったのは濃紺の大兜。コーォーンと辺りを響かせ見事にこれを弾き返した。現れたと同時に消える盾となった兜。瞬転、棒を腹の下へ滑り込ませ倒れざま左脇から抜く手を見せず短刀を抜き打った。たまらず魚は水底に引きずり込まれ姿を消す。
ドズゥ―ン ズズゥーン
辺りの樹木の梢の葉が激しく細かく揺れる。
美しい庭の草原は地中より滲む水に浸かっていた。
地面は固さを失い、マルパは水底の泥へ腰まで沈んだ。苦労しながら地中の棒を探り、体を反転させ尻をその上にのせ、その時を待つ。振動が直下にある存在を艶かしく伝えてくる。
静寂が訪れた。前ぶれなく地中より現れた2つの黒いドームがマルパのいた空間を切り取る。空が青い線となって消える直前それはビクッと動きを止めた。
それは違和感だった。大型の獣をも一飲み噛み砕いてきた顎を最後まで閉じることができない。あろうことか開くこともできない。おまけに口内の異物には腹に収まっていない獲物がまで引っ掛かっているようだ。体を土中より引き出し、天を仰ぎ頭を振りつつ全力で口を開こうとする。