サクラアゲハの頃-12
ミナル機の一撃が虫兵に手傷を負わせたのを確認すると、ユリナスは転じて黒チョッキリ2個体に当たっているオグスト機、コルナ機の援護に入っていた。ミナルのオーグは機敏に相手の動きを察知し続けている。
「ユリナス、見えるか」
ユリナスのダワース級エメルタイン‘ラブリオ‘の眼窩に埋め込まれた眼晶体が空を追う。ダフルドの砲撃を受ける浮遊樹を背景に、新たな飛翔物が螺旋を描いて降下中であった。
「・・・新手ですね。見えます。グワルパでは確認されていない個体型です」
ミナル隊が相手にしている3個体とははっきりと違う大きさ。透明な翼で翼面積が把握しづらいが、悠々と旋回しながら滑空するその姿は王者の風格を放っていた。灰色より上位だな。ミナルの思考が回り始めた。
黒チョッキリ兵であれば1.5から2機、大型に分類される灰色チョッキリ兵であればエメルタイン3機以上と同戦力と見なされる。
いまミナル隊の操甲体4機で黒チョッキリ兵3個体と渡り合っている。
音操兵と黒虫兵との1セットでエメルタイン3機以上の働きと勘定するのが戦場での常識だ。通常なら少なくともエメルタイン9機で相手をするところをエメルタイン3機、メルタイン1機の計4機で対応しているだけでも大したものだ。1体でも倒せば一気に形勢がこちらの有利となる。
戦況の分析と把握は、自身が戦闘中であっても指揮官なら当然の行いである。
あちらさんにこの後どれほどの戦力の追加がなされるのか読めない以上、今のうちにこちらを有利に導いておく必要がある。
「俺は衛士団の援護に回る。右目を潰した左の個体を撃破後、後ろの操り師どもを掻き回すからな、2虫兵を仕留めろ。その後は牛車に回るからな、お前らも片が着き次第追ってこい」
「「了解」」
共振膜がビリビリと音を伝えてきた。衛士団は大型の灰色チョッキリ2体を引き受けている。ミナルの見立てでは、灰色2体ならこちら同様衛士団も対応できているが、膠着状態を打開する手が欲しいはずだ。相手方に新手が加わる前にこちらの形勢を有利にする必要がある。出力を増やす時間を極力短時間に抑えて衛士団の援護に回る。
マノン(霊門)を少しづつ静かに開く。ワールの強まりを感じる。脳内回路ヨルトへの流れ込みが強まる。
ワールは霊的な系から構成される拡張神経体”オーグ ”をより明確な存在とし、エメルタインに散らばるコラン石の掌握力を強めた。
眠っていたコラン石を新たにいくつか目覚めさせる。オーグは足裏への展開を広め、足元に広がるテンセルは石畳を広範囲にわたって掴んだ。エメルタイン表面に空気を固定し、重銃弾への備えとすると、エメルタイン“ 雷鳴 ”は細かく振動を始めた。ミナルは閉じていた眼を開き呟く。
「参る」
黒灰色のエメルタイン“雷鳴“は両刀の刃を外へ、切っ先をゆるく下へ向け、歩む速さのまま躊躇なく甲虫兵の間合いに踏み込んだ。
ワールの高まりはオーグを有する相手には容易に察知されるが、虫兵にはそれはわからない。虚をつかれた音操兵は束の間判断が遅れた。指示の無い黒チョッキリは訓練された通りの行動に移った。
虫兵の折り畳まれた前肢に圧力が高まってゆくのをオーグは正確にミナルに伝えてくる。シャコのような前腕を有するチョッキリ兵は、自然界に生息していれば主に大型の陸貝を主食にしている。強烈な前肢パンチは分厚い殻を容易に砕く。が、コルワールを張り巡らせた装甲には、前肢が砕けてしまう。打斧は攻撃のためだけでなく、虫兵の身体を守る意味をも持っている。
可能な限り相手を引きつけ逃れようのないタイミングで左右の打斧を時間差で打ち込む。チョッキリ兵は刻印されたヨルトを有し、音操兵が送り込む単純なワールを使用できるため、打ち出す重い斧にレイワールが乗っている。ミナルのオーグはそれを赤い輝きとして感知している。
虫兵の装甲に防御のワール『コルワール』を施しているのは後ろに控える音操兵だ。
高速に打ち出される打斧の直撃を受ければ並のメルタインなら装甲が割れる。割れた隙間にとどめの口吻剣を突き立てるのが常套手段だ。
ミナルは一つ目の打ち込みを紙一重で見切ると、さらに踏み込み二打目の打斧に被せるように左の黒雷を真っ直ぐ中心線に沿って切り下ろした。
瞬間的に増大したレイワールを乗せた黒雷は、チョッキリ兵の左腕に刃が触れるや否やコルワールを眩しいばかりに輝かせ、防御を打ち破った。斬り飛ばされる腕が地に叩きつけられるや、“パチッ”音操兵から反射神経操作音。
甲虫兵の小さな頭がヒュンと下がる。
目の前の敵に熱を入れすぎることは、どの相手とも戦う時にも避けるべき行為だ。音操兵から放たれた運動体、エメルタイン潰しの重銃弾の軌道をミナルのオーグは抜かりなく正確に捉えていた。
右の紫雷が跳ね上がり、銃弾を切り割る。しかし、その紫雷を追うように、黒チョッキリ兵の口吻剣がレイワールの光を放ちながら切り上げて、同時に初期位置に素早く戻った始めの打斧が左脇腹を目掛け打ち出された。
左の黒雷は地を指し、右の紫雷は天を向いている。恐るべき音操兵とチョッキリ兵による嵌め手であった。
銃弾を放った音操兵はニヤリと笑みを浮かべ、パッカリと切り割られ横へ吹き飛ぶエメルタインの予見に打ち震える。この多重の攻めを逃れて命を保った者はいない。隊長格らしきこのエメルタインが片付けられるなら、チョッキリ兵の片腕などお釣りがくる。
その時、天地を指す両刀の間を細く光が走った。“バシッ”と“ドダン”が同時に鳴り響く。と共に黒チョッキリの体が低い放物線を描き、音操兵向かって飛ばされてきた。あまりの予見との違いに音操兵は何が起こったのかわからなかった。
頭部から胸部にかけてザックリと切り割られていたのは虫兵であった。跳ね飛ばされた甲虫兵を盾としながら音操兵へ高速移動を開始する雷鳴。二刀を収めるると、両端の尖った太い鋼の短い棒を両手に一つずつ腰から引き抜く。チョッキリ兵の身体が落ち始めると、その向こうには対装甲銃を構えた音操兵の姿が待ち受けていた。
向こうのオーグが放つ注視線をミナルのオーグは感知した。甲虫兵の落ちる速度に合わせ、雷鳴は更に前傾姿勢をとる。既に射出された重銃弾は、エメルタインの頭部を正確に狙っていた。ミナルはその前傾姿勢に見合うだけの速度を得ると、灰色チョッキリの左をすり抜け抑制された力で対甲手裏剣を握る左手を振った。
“ズダガン”
大気を震わせ手裏剣は音操兵の頸部へその尾部が見えなくなるほど装甲を突き破った。生体左腕、つまりエメルテであるミナルの左腕における軽度の痺れの情報をオーグはミナルに伝える。この程度ならしばらくすれば治る。
構わずそのまま音操兵–甲虫兵間を突っ切る軌道に向かう。数瞬のうちに1組が打ち倒されるなど、まったく想定外の出来事に残りの2組の反応が遅れた。
ミナルにはそれで十分であった。右手の対甲手裏剣を振る。距離はあるが、音操兵メルタインの反応速度では対応しきれない胸の中心に打ち込む。何処へかの被弾は免れまい。結果を確かめることもせず、エメルタイン“雷鳴”は左右の敵を尻目に衛士団の元へ向かった。前方には今にも着地せんとする新手のチョッキリ兵が、銀色の毛並みを輝かせていた。
宙に浮く大きなレンズ。風が吹くたびに端の方にさざ波が立つ。水蒸気の凝結によって形をなした大小いくつかのレンズがアルウィードの前に浮き、地上の出来事を映し出していた。頃合いを見たのか、大きな男はこちらを振り向くとその後ろでレンズ達はサラサラを崩壊した。アルウィードはピウィへ腕を伸ばすと、その大きな手で少年の胴を掴んだ。
「では、ゆくとしよう」
独り言かどうだったのか、いずれにしても何も喋らないと少年は決めていた。言葉を口に出せば気力が漏れる、そう感じた。先ほどより頭の中に浮かぶ言葉がある。まだその時ではない、と。しきりに湧き出すこの言葉を信じることにした。今は、それしかできなかった。
晴天に向けて奇怪な銃を捧げ持つ男が、伝書塔を背に風に吹かれている。長い鋼の棒の先端には銃口が見当たらない。そのかわり、銃身から左右に短い棒が一列にならんで生えていた。魚の背骨を思わせるそれは、ワイス鋼独特の光を放っていた。
気従器、メルタイン、エメルタイン。ワールを動力源とし、生命体がこれを装着し作業を行う機体全般は“気従機”と呼ばれる。ワールの主な使用目的は、この気従機を動かすことにあるのはこの世界のどの国においても変わらない。
が、その一方で“ワ―レイス”、と呼ばれる人々がいる。
己のオーグを介すことにより、ワールを目的のエネルギーへと直接変換しうる人々だ。脳内回路ヨルトを意図的にワーレイス向きに構築する必要があるのだが、必ずしもそれが功を奏すとは限らない。マノンより流れ込むワールがヨルトを通過した後、何処とも知れぬ場所へ消えてしまう例は後を絶たない。ワールを扱うものが背負わなくてはならない宿命だ。このホテルの屋上に立つ男は、銃を背に回し太い単眼鏡で下方をじっと見つめている。
「ミール・タイナ正上尉」
「ん、うーん、君は聞いていなかったのかなぁ。僕はね、レイサ様の護衛のためだけに軍属になっているんだ。できれば護衛長と呼んでくれたまえ」
「えっ、はい。ではタイナ護衛長、レイサ正上佐です。繋げます」
念信兵が受信機を操作する。
「ミール、念達射撃体勢、ミナル従下佐機に伝達用意。そのまま待機」
「りょーかいー」
いたってのんきな受け答えとは裏腹に、長大な単眼鏡を銃に据え付けるとその瞳は、世界と隔絶された、己と標的のみが存在する世界へと入っていた。
「確認したのか」
レイサの落ち着いた声が、竜人の持つ受話器から響く。
「竜人の眼で望遠鏡をつかったのです。間違いようがありません。私たちはあなた方人族が残した千年前の大戦記を読んでいます。その中にあるいくつもの目撃談と一致します。浮遊樹にいるのは”美しき巨人アルウィード”そしておそらくこの世界には存在していなかった生物”幸福のマレルマルマ”」