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第二章 漂着 

                        一




 悪寒がした。


 背中から、ゾクゾクッ、と。


 俺は思わず跳ね起きた。


(起きた(・・・)・・・・?)


 手が掴んでいたのは、真っ白のシーツ。


 服はそのまま、靴は床。


(夢見てたのかな・・・)


 寝ていたところは、ベッドの上だった。


(んなわけ・・・)


 窓にはブラインドが掛かっている。枕の横には、ホテルでよく見かける笠付きの電灯が置いてある。


(・・・ねえよな?)


素早く後ろを振り返る。ドアノブ付のドアがあった。どこの家庭にも有りそうな(俺の下宿には無いが)、ごく一般的なドアだ。


(まさか・・・)


 ノブにとびつく。開かない。あかない。アカナイ。いくらひねり回しても、鍵がかかっていて微動だにしない。


 最後に俺は周囲を見回した。狭い空間には、埃一つないフローリングの床、純白のシーツが乱れたベッドに、肩身の狭い思いで小さな部屋の隅に佇む小さな読書机。まず、俺の部屋じゃない。俺の部屋で見られるような光景ではない。


 ということは、つまり・・・


 監禁されてる??


 ・・・


 殺気、感じる。

 後ろ、振り向く。

 腹の底から叫び出す。


 ドアを背にして、男が一人、既に立っていた。部屋を見回すために、今一瞬ノブから手を話しただけだというのに。


 男と俺との隙間を埋めるように、微かなノイズが流れている。


 正直、怖い。


 男は何か呟いたが、強張った俺の表情を見るなり、通る声で見下すように言った。


「シベリアから帰還したみたいだな。」


 日本語だった。けれども口の動きに声が少し遅れた気もした。鼻に渡されたサングラスが意味ありげに光る。


 俺は口をあんぐり開けたまま、男を上から下から眺めた。


 黒い短髪に、細く切れ長の眉毛、鼻筋の通った浅黒い顔。口元や顎には無精ひげがうっすらと生えている。肩幅は広く、屈強な体格で、姿から推察するに北東アジア系だった。


 上は濃紺地に金色の箒星が流れたブレザー、下は漆黒のスラックス。手には「MMF」と刻まれた制帽が握られている。制帽に付いた緑色の星が光を浴びていた。何故だか、この男に俺は既視観を覚えた。


「人物観察は終わったのかな?」


 その時やっと俺は、男がひどく不機嫌そうに眼光を向けているのに気づいた。慌てて俺は、食い入るように見ていた顔を引いた。


「さて、お客(・・)さん(・・)。」静かに男は言った。「英語なら話せるかな?」


「いや、俺、全然ダメで・・・すみません。」迫る男に、急いで俺は答えた。


 男の口元が若干緩んだ。


 足元にはまだノイズが残っている。


「―――中国語、喋れるのか?」


「はい?」


「しかも上海訛りと来るか・・・」男は(ほの)かに微笑みかけたが、すぐに、


「妙な奴だ。」と険しい顔に戻った。


 俺は啞然としながら、ただ、この張りつめた空気を溶かさんと、なるだけ友好的な笑みを浮かべて――時としてそれが逆効果になることもあるが――ゆっくりと尋ねた。


「失礼ですが、俺――どうしてここにいるのでしょうか?」


「何故ここにいるのか。俺が訊くべきことだ。」


 男は暗い声で続けた。


「この車両(・・)のこの部屋(・・)の乗客は、ツーポーで中央(・・)アジア(・・・)大本線(・・・)に乗り換えたはずだ。それなのに、異様に騒がしい音がすると思って見たら、日本人と思しき人物が一名、あたかも自分の予約した部屋かのように居座っているではないか。さあ、これをどう説明してもらいましょうか。」


 俺は腑抜けた顔をしていたと思う。車両、部屋、乗客・・・身に覚えがないものばかりだ。何の言葉も出せない俺の代わりに、男は手を差し出してきた。


「検札です。」男は言った。「切符(・・)を見せて頂けませんか?」


「ああ、切符・・・」取り繕おうと焦りながら。「それ、実は今、探していたところで。」


「失くした?」


 男は面倒くさそうに溜息をつき、持っていた制帽を被って、手帳を開いた。


「――とにかく、お客さん、この部屋じゃありませんよ。部屋、間違えていますね。確認するんで、お名前、教えてくれません?」


「あ、もしかしたらお手洗いに落としたのかも――」


「お名前。お願いしますよ。」


 ドアノブを掴みかけた俺の手は、男に軽く振り切られた。


「紛失されても再発行は可能ですから。ですから、お名前。」


「名前、ですか・・」


 俺は男の顔を見上げた。眉間にしわを寄せている。サングラスに潜む瞳に、疑心以外の何が浮かんでいるだろう。その時俺は、どう思ったのか、窮地を脱さんばかりに、浅はかにも本名を告げてしまった。


「葦原――龍也です・・・ちょっと手洗いに探しにいって・・・きます!」


 ドアノブから、一瞬、男の手が離れた。その隙を逃さず俺はドアの向こうへ体をねじ込んだ。


 急いでドアを閉め、前に向きなおる。


 窓ガラスは蒼白の俺の顔を映していた。


 摩天楼が車窓を颯爽と駆けていく。高速道路、アパート群、土気色の背丈の低い建物。右側通行の車が五列になって交差点に並び、十字路のど真ん中を軍団と化した自転車の群れがバイク連隊を引き連れて猛進している。青い看板に載るは、俺の知らない奇妙な漢字の文字列ばかり。あまりの壮大さとあまりの唐突さに、逃亡への渇望は一瞬にして削がれてしまった。


 肩の重みに顔を上げれば、さっきの浅黒い男の顔があった。


 サングラスは俺に照準を合わせている。


「アシハラ・・・」噛むように、ゆっくり男は唱えた。それから男は、確信を持って、太い声で俺に向かって問いかけたのだ。


「お前――ツバメだな?」




                      二




「何なんですか・・・いきなり。」


 いささか俺は腹が立ってきた。真剣な顔で、意味不明にも男はそう尋ねてきたのだ。俺は鳥じゃない。人間だ。そう言うと、


「そんな下らないことは訊いていない。でも『ツバメ』なんだろう?え?」


 今度は『ツバメ』の部分に特別なアクセントを付けて、怒号を上げた。


 じりじり迫る男に、俺は万策尽きる思いがした。こいつとは話が合わない。俺は人間だが、ツバメでもあるらしい。ただでさえ見知らぬ場所で見知らぬ男に会って参っているというのに。


「訳分かんないですけど・・・」俺は男に優る大声で言い返した。


「質問させていただきますが、ここ・・・電車の中なんですか?」


「それがどうした?」


 言うも愚かとの男の答えに、俺は絶望を感じながら続けた。


「じゃあ・・・俺、今どこにいるんだよ?」


「それより俺の質問に回答を寄こせ!」


 男は力強く俺の両肩を掴み、吐き出させるように不作法に俺を揺すり始めた。太い腕の強い握力で前後に動かすものだから、俺は永遠に宙返りを繰り返すジェットコースターに乗っているようだった。けれども、目を白黒させながら、俺は頭も回転させて、自分が今ここに在る理由を、素早く冷静に分析し出した。


 今、訝しい男に有りもしない自白を迫られている。その前は?列車のと思しき窓枠から、流れる大都会を垣間見た。さらに前。狭くて小ぎれいな部屋で目を覚ました。その前だ。眠っていたなら、昨晩床に就く前の行動があるはずだ、その記憶を―――


 びりっと、テープか何かが裂ける音を聞いた。


 身がふと軽くなった。体が浮かぶ。そう感じた。鼓膜に沈黙が、瞳に静止が、頭蓋に真空が現れるや、耳を(ろう)する叫号(きょうごう)を上げて鎖が引き上げられ、鋭利な音とともに重力が、刃を光らせて俺の脳天を突き抜けた。耳殻には爆鳴が轟き、角膜は暗黒に埋もれ、頭の中では張り裂くような痛みが膨張していく。喉は()れるほどに震えていたが、声は届かなかった。


 やがて騒ぎは鎮まり、脳裏にしこりのような痛みを残し、全ては終結した。


 ―――。


 いつの間にか、眼に光が戻っていた。男が屈んで俺を覗いていた。サングラスを通しても、揺れる瞳が目に止まった。ようやく見た男の人間味ある表情だった。だけれど、それは突然目の前で人が倒れたことへの「衝撃」というより、何か心に思い当たる節があった時に見せる「恐れ」のようにも思えた。


 男は何も口にしなかった。俺には立ち上がるだけの力しかなかった。すみませんと俺は言って、窓の下の手すりに手を掛けた。もう夕方になってしまったような気がした。車窓には朝陽の斜線が差し、それに男の制服の金の箒星が重なった。


 後ろにもう一人、新たに男が増えていた。手前の男に比べると、小柄で、痩せぎす、面長の白い顔の中央に渡るサングラスは、男のより年季が入っており、威圧より愛嬌を感じた。


 二人は早口で、時に俺を見ながら、訳の分からない言葉で会話を続けている。訳の分からない――そう言えば俺は、人の話す言葉なら何語でも聞ける。はずだった気がする。それでいて、この二人の話が分からないとは、これまたどうしたことか。妙な疑問を抱きつつ、これが外国語の響きなのかあと心に嘆声をもらし、しばしぼんやりとその情景に浸っていた。


 新しい男の方が俺に話しかけてきたのは、あまりに唐突だった。滑らかな口調で、ベラペラパラポラ?と訊かれ、慌てて何を言っているか分かりませんよと答えると、男は一瞬たじろいで、次には満足げに笑みを湛えて、


「台湾語だってさ。面白い奴だよな。」と言った。


「お前、今なんて言ったんだ?」急いで最初の男が俺を見た。


「何って・・・『何を言っているか分かりませんよ。』って」


「あー、それじゃ僕が分かんないや。」新しい方の男が言った。


「なるほど、これは上海語だもんな。」と最初の男。


「まぁ――普通話(プートンホァ)で行こうよ。こっちが共通語で喋れば、向こうもそれで話してくれるさ。」


 黙っている俺の背中を叩いて、立ち話もあれだからと、元の部屋へ導かれた。新しい方の男はベッドに腰かけながら、俺に椅子を勧めた。


「こっちはチャンだ。チャン=リャン。それで僕はイチロー。」


 新しい方の男はドアの前に立つ男を差した指を自分の顔に持ってきて、気さくに微笑んだ。チャンという男の方は、俺がまた逃げ出したりしないように、ノブを後ろ手でしっかりと握っていた。


「日本人なんですか?」


「さあね。」イチローは短く答えた。ここではそんなこと大切じゃないから、僕にも関係がないんだ。君にとっては必要かな。日本人の大学生、葦原龍也さん。タツナリって呼んだらいいのかな。京都から遠路はるばる御苦労さん。」


 軽快な口調で返され、俺は思わず、


「どうして――」


「話していないことを知っているかって、話だろう?それはいささか時間の食う話だし、後にして――」


「サングラス。」ドアにもたれたままチャンが口を挟んだ。


「イチローのサングラスは、何でもお見通しなんだ。」


 嘘にしか聞こえないが、嘘とは断じえなかった。本当なんですかとイチローを見ると、彼は迷惑そうに、やだなぁチャンはすぐそうヒトの秘密をひけらかしたがるんだからさと言った。ということは真実のようだ。


 チャンのグラサンが俺に向けられた。


「本当に、言葉なら何でも話せるのか?」


「そう()()出て(・・)いる(・・)よ。保証する。」俺の代わりにイチローが答えた。


「でもさっきの俺たちが話してた時は通じていなかっただろう?」


「あれは人工語だからね。ちょっと勘の働かせ所が違うんじゃないのかな。」


「それは具合が良すぎるだろう。」


 チャンのグラサンは俺一点を捉えている。けれども本人がどこを見ているのか皆目分からない。残像が目に焼き付いて夜も眠れなくなりそうなほどだ。


「それより、さっきも言ったけど、タツナリはツバメじゃないよ。チャンの早とちりだ。」


「分かってる。」


「現に証拠も見たじゃないか。」


「分かってるさ。」


「でも腑に落ちないんだろう?」


「ほっといてくれ。」


 どうやら先程の訳の分からぬ言葉で交わされた言葉は、イチローが俺がツバメでないことを立証し、チャンはそれを認めつつも疑心未だ消えずというシナリオだったらしい。そろそろここで自分の主張を通しておかないと、怪しげな議論が恐ろしい方向へ発展しかねない。


「すみません――」


「何だ。」顔を微動だにさせないチャンはモアイ像みたいだった。


「俺はツバメじゃありません。そんなのに取り巻かれた覚えもない。大体ツバメってなんですか?俺、鳥じゃないし、事情も噛み砕けてないし、それなのにいきなり決めつけて怒鳴るのって、失礼じゃありませんか?」


 俺は二人を見比べた。予想範囲内の反応だった。チャンは、俺が再び愚問をしたとでも言うように軽侮で顔を曇らせ、イチローは、不意を突かれて写真を撮られたような間抜けな顔で、きょとんとしていた。


「お前・・・白々しいぞ。」とチャン。一方イチローは、俺の意図が伝わったらしく、


「ツバメ・・・知らないの?」と訊き返してきた。


 俺が頷くと、イチローは、あれツバメって日本にはいないのかなとひとりごち、シーツの皺を伸ばしながら話してくれた。


「ツバメには、二種類ある。一つは鳥の名前だ。」


 それは知っている。それでもう一つは?


「もう一つは・・・よく分からないけど、鳥じゃないことは確かなんだ。」


 何とも煮え切らない回答だ。


「鳥じゃないことは確かって、どういう意味なんです?」苛々して俺は尋ねた。


 するとチャンがドアから体を起こし、ブレザーの内ポケットから、何枚にも折り畳まれた白い紙を取り出し、俺の前に広げた。


 紙の上には、黒く細長い線が何本も伸びている。電車の路線図のようだった。そしてチャンが出したもう一枚には、黒い羽を大きく広げ、今まさに空へ羽ばたこうとする、躍動感ある鳥の絵が描かれていた。


「ツバメ・・・ですよね?」


 俺は思わずイチローの方を見た。


「心当たりは?」とイチロー。


「・・・というと?」


「このツバメの絵を描いた理由は知らないかってことだ。」ぶっきらぼうにチャンが言った。


「理由って――」呆れてチャンを睨みかえした。「――俺、第一誰がこの絵を描いたなんて知りませんから・・・」


「アシハラって言ったのに?」まだチャンは諦めていないようだ。


「あれは俺の名前ですよ。本名を言えって言ったから――」


「本当に、アシハラっていうのは、人名にしか、使われていないのか?」


「そんなの知りませんよ!」鬱陶しくなり、俺は若干声を荒げて言った。そもそも自分の名前についてどうこう言われるのは、昔からうんざりしていたのだ。


「チャン、タツナリはお客さんだよ。」イチローが助け舟を出した。「あまりこっちの事情に深入りさせるのは失礼じゃない?」


「でも、アシハラって言ったんだぞ、こいつ。」


 大人げなく口を尖らせて反論したきり、チャンは黙って二枚の紙をポケットに戻し、再びドアにもたれかかった。


「とにかく――二番目のツバメについては、僕たちもよく分かっていない。ただ、このツバメの絵を暗号代わりにして、何か事を起こそうとしている連中がいるんじゃないかって推理して、暫定的に彼らを『ツバメ』って呼んでいるだけなんだ。」イチローは説明した。


「でも、お二人とはどんな関係があるんですか?」


「それは――いささか時間の食う話、だ。」イチローは微笑んだ。「また機会があったら話してあげるよ。ところで。」そう言ってイチローは、俺のジャケットの胸を叩いた。


「真夏なのに、随分と着込んでいるんだね。」


 言われて気づくと、額を首筋を、汗の筋が何本も走っていた。ジャケットを脱ぎ、セーターを脱ぎ、フリースをもぎ取ると、背中の湿地帯にシャツがべっとりへばりついていて、思わず口を歪ませた。揺れるカーテンの向こうは照りつける日差しと快晴だ。


「シベリアから帰還したみたいだって、言っただろう?」チャンは俺の隣の机に寄りかかり、前屈みになって俺を見た。「日本からどうやってここまで来た。覚えているか?」


「どうやって、って――」記憶を辿ろうとする。しかしその一歩を踏み出そうとした途端、先程のしこりがうずき始めた。針のような不吉な痛みが一瞬、散った。


 俺の表情が険しい顔のチャンの心に触れたのだろうか。チャンはひそめていた眉を緩ませ、穏やかに頷きさえした。


「忘れたんだな。」


「忘れた・・って、何を?」


「忘れた、ということを、忘れたんだ。厳密に言えば。」


 この男の言葉はどうもよく分からない。


「痛むんだろう?」


「え・・・」


「痛みだ。ほら――」チャンは自分の頭を指でなぞる。「この辺り――頭の後ろのさ。」


 まるでその通りだ。先ほど俺を襲った針のような痛みの震源は、確かにそこだった。


 目を丸くしたまま、俺は取り敢えず頷いた。


「チャン、さんも・・・痛むんですか?」


 緩みかけたチャンの顔が、再び強張った。部屋の鏡に目を落とす。


「真夏に厚着するよほどの寒がりでない限りは――龍也。」


 名前を呼んで、チャンは鏡に映った俺を見据えた。


「もしかすると、冬からいきなり夏へ連れ戻されたのかもしれないな。案外。」


 突拍子もない推理に俺は空いた口が塞がらなかったが、全てを見通せるイチローが、なるほどいい考えだと賛同しているのを見、俺は何だか茶番劇を見ているような気がしてきた。


「とにかく僕たちの方にタツナリはいるんだ。良かれ悪しかれ、手を借りる方がいいんじゃないの、チャン?」


 案の外が急に暗くなり、床のノイズも太さを増した。地下に入ったようだ。今更ふと思い出し、ところで俺はどこにいるんだと尋ねてみれば、チャンの奴、にべもなく言ってきたのだ。


「上海だよ。」


「しゃんはい?」


 素っ頓狂な声を上げる。車窓を過ぎ去った街の光景が脳裏をよぎる。藁をも掴む思いで頬の肉をつねってみたが、麻疹のような痛みが刺すほどに感じるだけ、夢ではない。顔から血の気が引きつつも、俺は現実を受け入れた上での対処法を求めた。


「電車・・・そうだ、俺、日本に帰してくれますよね?」


「残念だけど。」みるみる青ざめる俺の表情をむしろ楽しげに見て、イチローが。


「この鉄道は、日本へは通じていないんだ。悪しからず。」


「でも俺、飛行機乗る金無いし・・・」


「そもそもパスポートも無いしな。」


 チャンが肩に置いた手で、俺は崩れそうになった。


「でも言葉はできるんだろう?」


 泣き出しそうな俺の前で、チャンの顔は一転して晴れやかになった。


「心配するな。MMFにいる限り、衣食には不自由させない。帰国の手続きも、何とかしてやるさ。」


 聞き慣れない言葉が発せられた。


「何ですか、その、モー、モー、・・・」


「モーモーフォー。俺たちの働いている鉄道、『ミリンダ・モンド・フェルヴォーヨ』の略称だ。意味は『素晴らしき世界鉄道。』そこで俺は車掌を、イチローは運転士をしている。」


 世界鉄道。『ツバメ』といい、『世界鉄道』といい、何と陳腐なネーミングだろう。


「本当に・・・信じていいんですか?」


 聞いたところで意味のない質問を俺は投げかけた。気乗りしないのも当然だ。そもそもこの二人にもその一字一句も、全てに欺瞞の臭気が立ち籠めているのだ。


 俺の反応に、チャンは妙に口元をほころばせて答えた。


「俺たちに協力するなら、日本に帰してやる。それが唯一与える条件だ。」


 轟音が途絶え、穏やかになった振動とともに、光が溢れた。荷物を抱える人の波、電光掲示板、番線の標識、そして彩り鮮やかな列車の数々。


 そこは、駅だった。


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