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第四章 出立 その5

                     六


 翌日の昼下がり、バイフー八○号は終着地の西安に到着した。さすがの世界鉄道も寝台車に慣れない俺たちに安眠をもたらすことはできなかったらしく、現代と昔の交差する、混沌と調和の織り成す古都の土を踏んだときには、車酔いのようなめまいと頭痛が長旅の疲労を助長して、街の中心部のホテルに入ったきり、自由時間になっても、外に出て行く余力のある学生はいないようだった。俺もその例にもれなく入っていた。


 二人部屋で、俺はまたもやムヨンと同室になった。というより、この研修旅行では俺はムヨンとバディを組んでいるらしかった。空調から流れる冷気が心地よい。俺は黒のタンクトップ姿のムヨンを恨めしそうに眺めながら、列車の中で貰った観光ガイドで顔になけなしの風を送っていた。


 精悍な顔つきで筋骨隆々した見かけに違わず、ムヨンはタフらしく、疲れたねと俺に話しかけてきたものの、顔はすがすがしかったし、通りに面した窓に寄りかかると、羨ましそうに外を眺めていた。時々気を引くものに目を留めては、何かをぶつぶつ呟いていた。


「・・・読めるの、中国語?」


「うん?」ムヨンはベッドに寝そべる俺へ首を回し。「・・ああ、一応中国史が専門だからね。」


「あ、そうか。」愚問だったか。


「いつから勉強してるの?」


「大学一年の時だから、まあ、五、六年はやってることになるかな。それが?」


「ああ、いや、別に。ちょっと聞いてみただけ。」


 それだけ言うと、俺は再び観光ガイドに目を落とした。何となくムヨンがこの話題に乗り気でないように感じたので、俺はそれで会話を打ち切った。


 暫く沈黙が流れた。


「・・・明日、どこ行くんだっけ?」


「兵馬俑博物館だと思うよ。明日一日は西安で観光してから、明後日また鉄道に乗って東に行って、それから発掘調査が始まるんだ。」


「また東に戻るのかよ?何か無駄じゃないか?」


「いいじゃないか。研修とはいえせっかく海外に来ているんだから、観光も楽しめばさ。それに、タツナリは初めての外国なんだろ?女友達も一緒に来てるわけだしさ。」


 ムヨンはいたずらっぽく笑って見せた。けれども俺は浮かない顔を崩さなかった。最後の言葉に、引っかかっていたことを思い起こし、俺はむくりと起き上がると、窓際のムヨンを静かに見据えた。


「あのさ、ムヨン。」


 ムヨンは不思議そうな表情を浮かべた。


「俺がいなくなる前と戻ってきた後とでさ、その・・・あかりの態度、何か変わったとか、思い当たることがあったらさ、そういうの、あるかな?」


 俺は思い切ってムヨンの返事を待った。しかし、ムヨンはきょとんとしていた。色々まどろっこしく話したので、外国人のムヨンには俺の言いたいことがつたわらなったかもしれない。俺がもう一度言い直そうとすると、同時にムヨンが口を開いて言った。


「そりゃあ、一緒に来ていた友達が途中でいなくなって、また戻ってきたら、喜ばない人はいないよ。尚さん、タツナリの前では出さないけど、タツナリが戻ってくるまで、かなりタツナリのこと気にしていたんだよ。」


「いや、そうじゃなくてさ。」俺は続けた。「つまり、俺・・・あかりに避けられているんじゃないかな、って。」


 すると、ムヨンは一重まぶたの目を優しく細めて、穏やかに言った。


「考えすぎだよ。中国の滞在にもそろそろみんな疲れてくる頃で、少し人当たりもいつもよりきつく見えるだけなんだよ。タツナリと尚は仲良いわけだし、避けられることはないよ。というか、俺にはそんなふうには全然見えなかったんだけど、何か思い当たることでもあるの?」


「いや・・・まあ。」


 ムヨンの前では、俺の疑念も邪推にすぎないように思えてきて、何だか自分が馬鹿らしく思えてくる。ムヨンはそんな、人を安心させる空気を持った人だった。


 それでも、あかりはどうしてあの時、俺を見てすぐ、もとの車両に無言で戻っていったんだろうか。あのとき以降、夕食と朝食、それから先ほどの二度目の昼食があったわけだが、そのどの食事も俺はムヨンと二人向かい合って摂り、あかりが加わることはなかった。あかりと車両ですれ違うこともなく、俺たちが部屋を出て食堂車に向かうのを伺ってから出てきているように見えなくもなかった。


「そうだったら、いいけどさ。」


「そうだよ。だから、考えすぎる必要はないよ。安心しなよ。」そう言ってムヨンはまた笑った。


 次の日、俺たちは兵馬俑博物館や西安博物院、大雁塔といった博物館や観光名所をバスで移動しながら見て回った。中国古代遺跡の発掘調査の研修旅行に参加している身ながら言うのも問題ではあるが、俺はそれほど考古学に興味があるわけでもなかった。特に博物館については既にイチローたちと上海で見に行っていたので、中国の三大博物館のひとつだと言われても、俺には展示物の土臭さに何の違いがあるか分からず、いまいちピンとこなかった。


 それより俺の関心を引いていたのは、あかりのことだった。まだこいつとは知り合って半年も経っていないわけだが、そのわずか数ヶ月の間に、やれ文化博物館だやれ近代美術館だと、何かの展覧会があるたびに出不精の俺を引き連れまわしては、俺をベンチに残して閉館時間間近まで展示品とお見合いするのがあかりと俺の日常の風景になっていた。今回の研修旅行も、言ってみればそのあかりの強引さの適用範囲が海外にまで拡大しただけなので、今回も俺はいつものように市中引き回しをされるものだとある程度の覚悟をしていたのだ。


 それが、武士俑を見ているときも、博物院の暗い明かりの中を歩いているときも、音声ガイドを耳にしているあかりは、独りだった。たまに南条先生の下に駆け寄って鋭い質問で先生を往生させてはいたが、基本的には、うつむき加減に、少しほほをふくらませ、むっつりとした表情で、独りで見学をしていた。俺が展示室に入り、展示室の真ん中まで来たところで、俺とうまく顔を合わせることのないように部屋を出て行った。特に興味もない俺が足早に展示室を転々とするせいで、やむなく俺と鉢合わせしたときは、明らかに不服そうな色を顔に浮かべ、黙って横を通り過ぎていった。それでも、俺と顔を見合わせようとはしなかった。


「尚さん、何か機嫌悪そうだね。」


 他の院生と見物をしていたムヨンが、ソファに腰を下ろしている俺を見つけ、こっそりと囁いた。俺はため息をつき、大儀そうに頷いた。


「まあ、気にすることはないよ。俺だって今日は一日口を利いてもらっていないからね。面白いものがなかったのかもしれないしさ。」


「そうだといいけどさ。」俺はコーヒーを一気に飲み干し。「俺さ、何か気に障ることしたか?」


「じゃあさ、後で晩御飯、誘ってみようか?今晩、自由行動だし。」


 俺は黙ってコーヒーの缶をゴミ箱に捨てると、展示品のそばにいるあかりの方へ歩み寄っていくムヨンの広い肩を眺めていた。大好きな考古学の展示品を見ているはずのあかりは、明らかにつまらなさそうな顔をしていた。ムヨンが肩を叩くと、怪訝そうな顔のまま振り返ったが、ムヨンが静かに話すのをおとなしく聴いているようで、ムヨンの話が終わると、さしたる興味をしめすわけでもなく、目を伏したまま、黙って首を縦に下ろした。


博物館の前で一度一行は解散となり、俺とムヨンはあかりを連れて観光客で賑わう鼓楼へと向かった。緑や赤色のタクシーの行き交う通りを思い切って渡り、光に包まれて真紅と金に輝く楼閣へ俺たちは吸い込まれるように近づいていった。露店で買った串焼きを三人で分けて、見上げる高さのレンガの壁にもたれ、流れる人波を黙って目で送っていた。俺とあかりの間に、ムヨンが立っている。時々ムヨンはキャメル色のハンチングを手に持ち、腕で額に滴る汗を拭った。時間を引き止める会話がないから、あっという間に串焼きは串だけになってしまった。


「・・・何か、急かされている感じだよね。俺たち。」


 あかりと俺の串を集めて袋に入れながら、ようやムヨンが話の口火を切った。


「・・・どういうこと?」


 俺はムヨンのハンチングを見ながら。


「せっかく三週間も中国にいるんだから、もっとのんびり街中を散歩したり露店を冷やかしたりして時間を過ごしてもいいのにさ。研修旅行だからって毎日予定をぎっしり埋められてもね、っていうさ。」

 

 ムヨンは楼閣の前で写真を撮っているカップルを瞳に移しながら、ぼんやりと話した。「こんなに中国は広くて、この古都は落ち着いているのに、俺たち、どこに行くつもりでこんなにせかせかしているのかな。」


「それさ・・・一度南条先生に言ってみなよ。」


 俺が冗談で言うと、ムヨンは俺の方に目を移して、無理だよ、それ、と笑いながら肩をすくめた。


「西安か・・・」


 俺とムヨンは話すのをやめた。


 あかりは口が寂しいのか持ってきた飴の袋を破りながら、遠くの方を見て呟いた。それは、ほとんど独り言のように聞こえた。


「あの、ムヨンさん。」


「何?」


「西安って、昔の長安ですよね。当たり前の話だけど。」


「うん、そうだね。」


「長安からは世界中から色んな人が集まってきたんでしょう?まだ中国に唐王朝が栄えていたときは。」


「うん。」


「・・・どうして、宋とか元とか明とか清とか、その後の大きな王朝は、長安を離れたんでしょうね。」


 俺はあかりと同じ方向を見ながら、耳を澄ましてあかりの声を聴いていた。眼前の鐘楼も、俺たちのいる鼓楼と同じようにライトアップしている。


「確かに・・・南京とか北京とか、西安からは離れていくよね。その後の王朝は。」


 ムヨンはそう答えてから、静かに尋ねた。「尚さんはどう思うの?」


 ムヨンのタンクトップ越しに、俺はそっとあかりの影に目を落とした。皓々と明るい楼閣には、人々の残像が影を落とすだけ。不思議と音は無かった。俺は見えないあかりの声にそっと耳をそば立てていた。


「・・・・そうですね・・。」あかりは少し迷ったような口調で。「何か、多くの人に見られちゃいけないものでもあったのかな、って・・。」


「西安じゃだめだけど、北京や南京だったら良いもの?」


「そうじゃなくて、西安の近くに何かそんな物か場所があって、あまり近づくべきではないとか、そういうことです。あの・・・言っていること、分かりますか?」


ムヨンは暫く黙ってから、穏やかに答えた。


「何となくね。」


「・・・もしかすると、今度の研修旅行も、そんなことがあるのかな、とか、あり得ないですけど、そういうこと思うこともあるんです。ここも中原だし、これから向かう発掘現場も中原なわけだし・・。あの・・」あかりの影がムヨンの方を向いた。「何かすみません、変なこと聞かせてしまって・・。」


「俺は良いよ。むしろ面白いし、そういう話聞くの。」ムヨンは笑顔でそう言った。


「じゃあ・・あの、私は先に。」


「え?」


 俺は思わず声を漏らした。


「でも、ホテルまでは距離あるから、俺たちと帰ろうよ。せっかくだしさ。」ムヨンは続けた。


「あ、大丈夫です。ちょっと鐘楼の方もついでに見に行くだけです。ムヨンさんの言っていたように、散歩です。」


 あかりは俺たちの方を振り向かないで、鼓楼から続く階段を降りていった。それを見た俺の脚は自然とあかりの方へ走っていた。呼び止めても止まらないあかりに追いつくと、急いで俺は腕を掴んだ。


「ちょっと待てよ、お前さ。」


 あかりは黙っていた。周囲の目が恥ずかしいのか、俺に握られた方の腕を迷惑そうに一振りした。俺はそっと手を離す。あかりは動かなかった。


「何か言うことくらいあるだろ?ちょっとお前、様子おかしいぞ。この前電車に乗る前はあんなに俺と話してたのにさ。今日だって全く顔を合わせないじゃないか。」


 あかりは黙っていた。道の真ん中を陣取っている俺たちの両脇を、ある人は迷惑そうに、ある人は不思議そうに、観光客が通りすぎながら俺たちを振り返っていった。


「俺が気に障ることしたら、それ、謝るからさ。直すから。だからこう、水を打ったように急によそよそしくするの、やめろよ。・・・せっかく中国まで来たんだからさ、もう少し気分良く過ごしたいし、俺・・・。」


 あかりは黙っていた。後ろからゆっくりした足取りでムヨンが近づいてくるのが分かった。やがてあかりは、雑踏に飲まれてしまいそうなくらいあいまいな声で、こう呟いた。


「・・・龍也。あんた、怖い。」


 雑踏が流れていく。人波に俺は流されそうになる。


「怖い・・・?」


「・・・ごめん、今はそれしか言えない。研修旅行中に何とか頑張ってみるから。だけど今は、ちょっと待って。もう少し、一人で考えたいから・・・・。」


「・・・訳、分かんねえんだけど・・。」


 それだけ言うのが精一杯だったのだろう。あかりも、俺も。

俺の声から逃げるように、あかりは颯爽と歩いていってしまった。人波の中に、あかりの赤い夏服が揺れ動き、飲まれ、やがて見えなくなる。ムヨンが俺の肩に手を置いた。立ち尽くす俺の眼前には、濡れたように滲んだ鐘楼が、霧のようにくもった空の下に、ぼんやりと浮かび上がっていた。


「怖い、か・・・」


 次の日、俺たちは再び世界鉄道を利用し、洛陽ルオヤン行きの急行電車に乗り込んだ。列車は黄河の流れに合わせるように東へ敷かれた線路に乗って軽やかな音を立てて快走し、やがて終着地の洛陽駅に到着すると、隣のホームから出る各駅停車に乗り込み、揺られながらさらに東へ進み、ようやく目的地の偃師イェンシ駅にたどり着いた。

 ホテルは駅前通りを一つ入った筋にあった。そこから発掘現場まではバスで移動する。最寄りといっても、発掘現場まではバスでさらに一時間ほど進む必要がある。今日はただの移動だけの日だったので、宿舎につくと、すぐに夕食となった。無駄に疲れた一日だった。


 俺とムヨンは二人部屋で同じ部屋だった。ムヨンが持っていた中国語の会話本を借りて、俺はベッドで寝転がりながらそれを音読していた。お世辞にも上手いとは言えない、カタカナの中国語だった。勤勉なムヨンの方は、明日から始まる発掘調査に関する資料や、先行研究の論文に目を通していた。中国語や日本語で書かれたものをすらすらと読んでいく。二段ベッドの上段に寝そべりながら、俺はムヨンの勉強ぶりを興味深く眺めていた。


 あかりの話が出たのは、夕食を食べて、シャワーから出てくるときだった。話の接ぎ穂がほしくて、俺の方から話を切り出していた。


「それで、理由は何も言ってこなかったんだっけ?」


 俺は首を縦に振って。


「俺、あいつのことだから、もっとキツいこと言ってわめきたててくるかと思っていたのに。『怖い』って一言で。逆にすごく、刺されるようにここに来てさ・・・」俺は胸を指で押しながら、苦笑いを浮かべた。


「・・それでもさ。」ムヨンは既に乾いてしまった短髪を撫でながら。「旅行が終わるまでに、尚さんなりに整理したいって言っていたんだろ?なら、心配することないよ。とりあえずそっとしておく方が良いよ。」


 部屋の扉を開け、俺を先に通しながら、ムヨンは言った。


「だって、二人、あんなに仲良いんだし。」


 俺はムヨンを暫く見上げ、ため息交じりに暗い部屋を覗いた。


「・・・だと、良いんだけどな。」


 意識が戻り、重たいまぶたを押し開けると、俺は目の前の窓ガラスに顔を打ち付けた。痛い額を触りながら周囲を振り返る。俺はバスの座席に腰を下ろしていた。車内は静かだ。当然である。俺しか中に残っていないのだから。外から照りつける陽光は暑く眩しい。どうやら俺は、寝足りなかった分の睡眠をバスの中で十二分に味わってしまったようだった。


「おい、タツナリ。起きた?」


 前のドアからムヨンが顔を出していた。袖のある服を着ているムヨンを見るのは、おそらく今日が初めてだ。


「ごめん・・・皆は?」俺は体を起こしながら尋ねた。この日差しだとペットボトルとハンチングは必須のようだ。


「休憩中かな。中国側の先生方と南条教授の打ち合わせが終わるまで、ちょっと時間があるみたいだから。ほら、見てごらんよ。」

 

 バスの出口まで出で来た俺の背中を押しながら、ムヨンがもう一方の手で前方を指差した。「もう、現場まで来たよ。」


 俺は顔を上げた。


 青々とした山々に囲まれた緑の草地に、悠々と風がそよいでいる。近くに民家はないようで、山のみどり、地の緑、空のあお。それだけで完結した世界がそこに広がっていた。そして、この世界の三原色と明らかに調和しない格子状の褐色の大地の肌が、むき出しになって俺の目に入ってきた。


「グリッド調査だよ。」俺の視線の先を理解して、ムヨンが話した。


「何、それ?」


「向こうに見える発掘現場に、升目みたいな窪みがあるのが分かるだろう?遺跡の調査をするときは、あんなふうに、まず、正方形の升目を作って、升目の区画に分かれてそれぞれ発掘を進めていくんだ。」


「ふうん。」俺は緑の中へ進みながら、またムヨンに尋ねた。「じゃあ、升目の外枠みたいなところは?」


「あれはあぜ道で、土の層を観るために残しておくものなんだよ。」


「ムヨンはよく発掘現場に行くの?」


「そりゃあ、まあ、専門だからね。」ムヨンは笑って。「あ、ほら、そろそろ発掘始まるみたいだよ。急いで行くか。」


 升目の並ぶ現場に人だかりができている。中国と日本双方の研究者と学生のようだ。その中に南条先生が立っていて、隣に寄り添うようにあかりが立っていた。


「そんな、いや、先生こそご挨拶してください。」


 どうやら調査開始の挨拶で南条先生が中国側の先生と譲り合いをしているようだった。先生の口と声が重ならない。ということは、これは南条先生の流暢な中国語だということだ。


「それでは・・・では、お言葉に甘えて・・・恐縮至極ですが。」そう言い、南条先生は俺たち日本の学生の方を向いて話し始めた。


「今日、この快晴の下、こうして研究調査を再開できることを大変嬉しく思います。特に今回の日中合同研究調査の実現のためにご尽力された日中双方の方々に心からの感謝の意を表したく存じます。」


 先に中国語で話してから、先生は器用に日本語で同じ内容を言い直した。文意どころか一字一句までほぼ同じ言葉を二回聴くことになり、俺は先生の中国語の能力に改めて感嘆した。


「この偃師宮城址遺跡は、ご存じのとおり、ニ里頭遺跡と類似した都市構造のみならず、五つあるとされる伝説の『禹の五つの印綬』のうちの黒の印綬が発見されたことで、聖王・禹の創始した夏王朝の宮城跡として注目を浴びつつある遺跡です。夏王朝の王都としては、従来、偃師市の南西にニ里頭遺跡が有力視されてきましたが、今回の研究調査いかんによっては、偃師市の北東にあるこの遺跡が王都の可能性が高まることにもなります。」


 南条先生は、俺たち学生を手で指しながら、話を続けた。


「この歴史的な発掘調査に、学部生から博士課程の院生まで、多くの若い学生たちと共に取り組めることを喜ばしく思います。将来の考古学を担う世代がこの発掘調査を通して新たな刺激を受け知識を深めてくれることを、同じ歴史の一学徒として大いに期待しております・・・」


 ふと、何気なく移した視線の先に、あかりの二つの瞳が合った。二人とも偶然のことに、あかりは視線を横に反らそうか迷った挙句、俺をじっと見据えたまま、小さく笑窪を作って見せた。


「・・・・それでは、早速調査を始めましょうか。」


 いつの間にか南条先生の話は終わっていた。研究者や学生たちはそれぞれ割り当てられた持ち場に向かって動き出していた。


「おい、龍也。」後ろからムヨンに背中をこづかれた。「俺たちも、行こうぜ。」


「お・・・うん。」


 俺は振り返り、ムヨンと共に、緑の大地に抉られた、碁盤のような人為的な褐色の升目へ向かった。


 さりげなく、あかりの華奢な後姿を確かめながら。


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