第四章 出立
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第四章 出立
一
「龍也―――・・・」
果たして、あかりだった。茶髪の髪を束ねて頭の上で結った、見慣れたスタイルのあかりだ。そして隣には、見知らぬ男が立っていた。
「お前、どうしてここに――」
「どうしてって、ねえ、それは私のセリフ!」あかりのかんしゃく玉がたちまちはじけた。「いくら捜したと思う?いくら迷惑かけたと思う?そもそも、淄博で西安行きの列車に乗り換える時に、あんたがホームに降りて来なかったのが原因で。先生とは、あんたがあのまま列車に乗って上海まで行っちゃったと思って、予定を大幅に変更して、上海に急行したんだよ?なのに、どこ捜してもいないし、上海広いし、おまけにあんたの携帯、国際電話使えないし・・・それでなんでよりによってここへノコノコと・・・」
「ちょっと、待て。」早口のあかりを俺は何とか遮って。「ちょっと、落ち着けよ。な?それでさ、その――」あかりの反応を予想して、俺は身を引きながら尋ねた。「――お前も、なんで中国に、いるわけ?」
あかりの顔が沸騰し、
「龍也!」
「わわわ、分かってる、分かってるって・・・だから落ち着けよ・・・」
「誰が落ち着けるって?一週間、どこほっつき回っていたわけ?」
「だからその――」俺は真偽半々の理由を述べた。「実は昨日さ、寝つきが悪くてさ、睡眠薬飲んだら、寝過ぎてさ・・・何か、頭が働かなくて、よく、思い出せないんだ。その、記憶を一部忘れたというか・・・そんなんで。」
「もっとましな嘘、つけないの?」
「あぁ――前半は嘘。でも後半は、本当。」
あかりは目くじらを立てたまま、じっと俺を睨んでいた。それでも、やがて、仕方がないと言うように髪を撫で、
「発掘に来たんだよ。西安行き。夏王朝の。」
「発掘?・・・俺たちが?」
「あんたそれ、マジで言ってんなら、感動するよ?」
「だからとぼけてねえって。」
「夏休みの集中講義、あたしと一緒に取ったでしょ?南条先生の発掘チームが中国側の大学と提携して夏王朝の遺跡発掘を進めていて、それに一ヵ月同行させてもらうっていう。まあ、観光も兼ねているから、最初は北京の故宮博物館に行って、次に西安、それから調査の現場、最後に上海の順だったの。・・でもあんたが途中でいなくなったから、予定を変えて先に上海に―――」
「ああぁー、そうだった。思い出した、やっと。」わざと大げさに声を上げてみたが、あかりは白けた顔を微動だにさせなかった。
でも、思わず声を上げたのは、何もわざとだけではない。失われていた記憶が、しっかりとつながったからだ。
半年前に戻ってしまった俺が、なぜ中国にいたのか。
そして、なぜ上海へ向かう世界鉄道の特急列車の中にいたのか。
それはこういうことだ。
俺は中国で考古学の発掘実習を行う集中講義を取っていた。そして、半年前の俺は、目的地に向かうために、世界鉄道の列車に乗っていた。どうして半年に戻されたのかは詳しくはまだ分からないが、多分、半年に戻される何か衝撃を受けた時、記憶の片隅に、中国を列車で移動した記憶があったのだろう。俺はその記憶を頼りに半年前に戻った。けれど乗ったはずの列車か、客室を間違えてしまった。その上冬の一月から夏の八月へ逆戻りさせられた俺は、気を失ったまま淄博駅を寝過ごし、上海に到着する頃に目を覚ました。そう言えば――この前タイガーさんが、降りるはずの駅で降りなかった客がいなかったかって、イチローに訊いていた。あれは、俺のことだったのか。
こんなことを考え、心に充足感を覚えてニヤついていたものだから、気づくとあかりが少し遠めにいた。そして顔を横に向け、今まで俺たちの激しいやり取りを不思議そうに眺めていた男のことを、あかりは見て行った。
「そうそう――すっかり紹介が遅くなったけど・・・都合で途中から参加することになった、韓国の留学生の院生の方。あたし達の大学に春から、東洋史を勉強しに来てるの。」
そう言い、あかりは、どうぞ、と会釈した。それに従って男は一歩前に出て、被っていた帽子を取り、朗らかに挨拶した。
「初めまして。朴武勇と申します。軍隊帰りなので年は少し上ですが、気安く、ムヨンって呼んでください。」
流暢な日本語だった。
「ね?上手でしょう?」
まるで自分のことのように、あかりは自慢げに言った。
「あかりの中国語が泣けてくるな。」俺はそう言い返す。
「いやあ、俺のは、まだまだですよ。」ムヨンさんは照れ臭そうに、黒いタンクトップの端をつまんだ。
「本当に、どうしたらそんなに上手になるんですか?」あかりはムヨンにしきりに尋ねた。「イントネーションも自然だし、こっちが早口で話しても大丈夫ですし。リスニング上達の秘訣とかって・・・」
するとムヨンさんは苦笑して、
「いやあ、だって俺には韓――」
若干の沈黙があった。
「はい?」
「―国語と日本語って、よく似ていますからね、韓国語で考えながらでも、日本語は案外話せるんですよ。」
若干ぎこちなくなった日本語でそう言うと、ムヨンはグレーのハンチングに手を当てた。なるほどー、とすかさずあかりが相槌を入れたので、今の違和感はすぐに消え去ってしまった。
「それで――」ムヨンさんは俺を見て。「お名前、伺ってもよろしいですか?」
「あぁ、はい。」俺は答えた。「葦原龍也っていいます。どうぞ、宜しく。」
「葦原君。じゃなくて、龍也?」
「ええと、俺も、簡単に、タツナリ、で。」
「分かりました――宜しく、タツナリ。タメで、いいよね?」
「もちろんです――もちろん。」
「尚さんも。」
「――あかり、で。」
ムヨンは歯を見せて笑い、日に焼けた手で握手した。
「それで、二人はどこへ行くところ?」俺が尋ねると、
「あぁ――」とムヨンはあかりを見下ろして。「もちろん、タツナリを捜すつもりだったけれど、どこにいるのか俺たちじゃ分からないから、とりあえずタツナリのことは先生に任せて、みんなは自由行動。それで、俺は、尚さんが四川北路に行ったって言うから、付いて行こうかな、と――」
「スーチョアンペイルウ?」俺は眉をひそめた。
「あー、でもあたし、別に四川路では大したことはしてないよ。すぐに外灘に行ったから――」
俺は、ムヨンの言葉が気になってあかりに尋ねた。
「南条先生、俺のこと捜しているの?」
「うん。」先にムヨンが答えた。
「だね。」とあかり。「まあ、南条先生のことだから、雷落ちたり単位が吹っ飛んだりはしないだろうけどさ、会ったらちゃんと謝ったほうがいいよ。ただごとじゃないんだから。」
「じゃあ、今から行こうか?」
「いや――」この時になって、ようやく俺は、チャンを毛沢東像の下にある怪しげな地下駅に待たせていることを思い出した。「実はちょっと用が――」
「用って、なに、もしかしてその服と関係があるの?」
すかさずあかりが制服の袖をつかみにかかる。
「や、やめろよ、借り物なんだから――」
「会った時から変だと思ってた。これ、あたし達が乗った鉄道の制服でしょう?まさか寝ぼけて着替えちゃったってわけじゃ――」
「それは、違うけど、それとは別の成り行きで――」
あかりとムヨンの目は、もう俺を見ていなかった。俺の背後で鳴る足音の方を、一方は驚いて、もう一方は興味深げに、首を伸ばして眺めていた。
「龍也。『ツバメ』はいたのか?」
チャンの太い声だった。
「チャン・・・」
ムヨンより顔一つ高いチャンは、黒光りするサングラスで二人を見比べ、
「・・・二羽か?」
「じゃなくて、俺の友達。」
「友達?」チャンは顔をしかめたまま。「『ツバメ』と友達になったのか?」
「大学の友達だ。日本の大学の。」
チャンは怪訝な咳ばらい一つ、二人の方へ向き直り、また俺を見た。少し声を大きくして。「どうして上海にいる?」
「夏休みの講義だよ。」
「講義。」
「中国で古代遺跡の発掘調査に同行する、実習の授業。それで、世界鉄道に乗って西安に向かう途中だったんだ。」
「発掘調査だと?」
「俺、思いだしたみたいだ。」見上げて俺は言った。
「――」
「何を忘れていたのか、やっと思いだした。気がする。」
チャンのグラサンは、物言わず俺を眺めていた。
「――なるほど。」グラサンは、あかりたちの方を向く。「ツバメ二羽じゃなくて、かわいい友人二人を見つけたってわけか。」
「ねえ・・・」
あかりの声が聞こえたので、俺は急いでチャンの紹介を始めた。
「――と、この人は、俺は今まで世話になっていた、『素晴らしき世界鉄道』の車掌さんで、チャン・リャンさ――」
あかりの方へ向き直って、ようやく俺はあかりの表情に気付いた。
「ねえ・・・」あかりは驚きというより恐れに染まった顔をして、俺に言った。
「・・なんで、龍也、そんなに中国語、ペラペラなの・・?」
「え――?」
チャンが俺の肩を叩いて、囁いた。「俺見て話すな。全部上海語になる。」
言われて、俺の置かれた状況を思い起こし、俺は口籠ってしまった。この不可解な事情を、どうあかりに伝えたものか。
チャンは続けて。「とりあえず、荷物を取りに、南京路駅に来い。今、いきなりたくさんのことを話しても、どうせ混乱させるだけだろう。」
「そう、だな・・」チャンの右手に囁き返し、俺はあかりとムヨンに。
「――詳しいことは、あとで話す。俺、一旦戻らなくちゃいけないから、ちょっと失礼するよ。いつ会えばいいかな。明日の朝でも?」
「ちょっと待てよ。自分で勝手に決めるなって。」ムヨンが口を開いた。
「とにかく・・・」うつむいたまま、あかりは言った。「南条先生には会った方がいいよ。これ以上、心配かけるわけにはいかないから。」
俺は振り返った。
「何だって?」とチャン。
「教授に会った方がいいって。心配かけたから、謝りに行かなきゃ。」
「じゃあ、俺は下の駅で待っている。そろそろ連絡した仲間が来るだろうから。」
「――どうも。」俺は再び二人の方を振り返った。あかりのいつになく不安げな顔で、俺は何だか落ち着かなかった。